あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

ブログの恩恵!

2006年03月29日 14時39分41秒 | 地谷子のひとりごと
このブログを始めたお陰で・・何と言う事でしょう!
まさか夢にも御会い出来るとは思わなかったお方に、
実は昨日巡り会えたのです。ウ~ン何とも感動的な日でした。

先日書いた『プロボクシングと私』を読んだある方の
頼もしいお計らいに後押しされ、
私が中学1年から憧れていたボクサー、関光徳さんに
お会いすることが叶いました。
現在は「横浜光ジム」会長であの元世界チャンプ畑山選手や
現世界チャンプ新井田選手を育てた方なのです。

あれは'61(昭和36年)1月4日私が中学1年の時でした。
関光徳×チャチャイ・ラムファパー(後のチオノイ)戦
10代同士の若いふたりの試合にすっかり魅せられてしまい
関選手の大々ファンになったのです。それからと言うもの・・
彼の事を思うと夜も眠れず、寝床の横にあった障子の木の部分に
爪で相合い傘を書き 関光徳×地谷子 と真夜中の落書きを
したっけナ(テヘッ)そんなトキメキが1年以上続きました。
その後一級下の野球部のピッチャーに憧れましたが(笑)
考えてみれば関光徳さんが私の初恋の人でしょうか。
今思うと・・ソーカモネ♪ 
当時の女の子は歌手やら俳優に憧れていましたからね、
初恋に似たこの気持ちを誰にも打ち明けられないまま、
45年経った今、このブログに白状しま~す。

でも女の子が何故ボクシング?と思われるかも知れませんが
当時はテレビが一家に一台時代ですからチャンネル権は
父にありましたもので、連日連夜ボクシング三昧でした。
私のスポ-ツ好き・ドラマ嫌いはここから始まったのかもネ。

さて、昨夜お会いした関光徳さま。私の思った通りの方でした。
当時、あの甘い優しいマスクからでるハードパンチ。
そのギャップに魅せられたものですが、やはりお優しい方でした。
ジムの会長として堂々とした男気の中に、優しい笑みと
シャイな部分を備えた方。
私が古い雑誌「プロレス&ボクシング」('64年)を差し出し
サインを求めたら「サインなんか忘れたナァ」と照れながらも
快く表紙と中の写真の部分に2箇所もして下さいました。
あの頃の自分じゃ考えられない夢の様な出来事がやっと
45年後の昨日叶ったのでした。フ~~ッ昨日は感動で震えました~。

今回後押しして下さったファンの方、イエ~イ恩人をバラしちゃえ、
ETさ~ん、昨夜は本当に有り難うございました~!
あなたの後押しがなければ1人で訪ねる勇気はありませんものね。
(多謝)