あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

ボクシングと私・・パート2

2006年03月09日 13時02分00秒 | 地谷子のひとりごと
昨日のボクシング亀田興毅の試合6RKOで勝利した。
とどめはボディーだが、ちょいとローブローぎみ?
しかしジャッジはセーフだからそれが結果だ。
世界タイトル挑戦に一歩近付いた。おめでとう~。

私なりのジャッジは予告KOの5Rまではほぼ互角のイーブン、
やはり戦暦の長いボウチャンにそう安々とは勝てない、
細かいジャブを喰らい、かなり手こずったようにみえた。
一発パンチを狙い過ぎたのか、もう一寸リズムにのって
ジャブやカウンターを頭脳的に組み込んだらいいのにナ。

さて、昨夜は私めのボクシング・ヲタ暦を振り返ってみた。
時は1960年3月31日、小学校の卒業式を終えて一週間あたり、
当時まだ家にはテレビがなく父親に連れて行かれた吉祥寺の
開かずの大踏切脇にあった「今川焼き屋」で観たボクシング。
日本では一番重量級のミドル級の試合だった。
1R48秒で決着がついた海津文雄ーラッシュメイヨン(比)戦
を観てボクシングに魅せられてしまった。丸で猛牛のごとく
恐そうなメイヨンを海津がいとも簡単に料理したのである。

それ以前にも'59年、米倉・矢尾板が立続けに世界戦挑戦試合の
対パスカルペレス戦を観に吉祥寺の中華屋に連れて行かれたが、
餃子が食べられる嬉しさだけでまだそれ程の興味は湧かなかった。

1960年夏初めて我が家にテレビがはいった。
それからと言うもの中学1年~高校始めまでの数年間は
もうもうボクシングに夢中だった。世界・東洋・日本の
ランキングのランカーを空で言えた程。

中学生の私の夢は女ボクサーになりたかった。(笑)
関光徳所属の新和ジム・若松会長を訪ねようと住所まで調べた。
港区赤坂一木・・・だが、そこまで積極的に行ける勇気は・・
結局なかった。だって女ボクシングってその頃ないものね。

その後、色気も出て来たか?他の事に夢中になり
ボクシング熱もだんだんと失せてしまった。
ウフフ・・ゆり子のボクシング・ヲタ・マル秘物語でした~。