あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

新天地・井の頭!?団塊の世代のひとりごとPー4

2007年03月01日 15時24分01秒 | 地谷子のひとりごと
昭和29年夏・中野の生家から井の頭公園に引っ越しだ。
父は1000坪のところに引っ越すと家族に豪語していたが・・

引っ越しの先発隊として父と私ふたりは電車で移動だ。
父にとって10数年住み慣れた町を後にする思いはどんなだったのか?
途中、父の馴染みの店か?都立家政駅で寿司を食べさせてくれた。

父が寿司屋の店主に何やら挨拶をしていた。
店主が「おなごりしいですなぁ。お元気で・・」
”おなごりおしい”
その日はご近所の皆から散々聴かされた耳新しい言葉だ。
7才の私には妙にへんてこな言葉だった。

西武新宿線で新宿を経由して省線(ショウセン)父は当時そう云っていた。
今でいう中央線に乗り換えた。車両はチョコレート色だ。
「ねえ何と云う駅で降りるの」「きちじょうじだよ」

車中”きちじょうじ”が一回では覚えきれず何度か父に聞き返した。
結局覚えられず「キリンのきがつく駅・キリンのき・・」とひとりごとを反復して
停車する度にプラットホームに掲げられた駅名プレートのひらがな文字を探した。
途中、ふっと以前母に「お行儀悪い」と叱られた痛い思いが脳裏をよぎった。
後ろ向きに車窓に向かって膝立ち座りは人様に迷惑と散々言れたが・・父は叱らなかった。

大久保・東中野・中野・高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪・西荻窪・吉祥寺
各駅停車で行くこの8駅が私にはすごく長く感じた。
(今でも電車嫌いな私の原点はここから始まっているのかも。)

「キリンのき」がつく文字がやっと目に入ったっ。
「吉祥寺駅」が転居先の最寄り駅なのだ。

昭和29年8月某日・・三鷹市牟礼(現・井の頭4丁目)が、
菱見地谷子がアンヌやゆり子になるまでの新天地に踏み出す一歩だった。
さて1000坪のところはどんな場所だったのか?

朗報&御礼!

2007年03月01日 11時38分31秒 | ゆり子のひとりごと
ひし美ゆり子写真集 YURIKO 1967-73(新装版)
昨年の秋に第5刷りとして結構な多部数刷られましたが、
ナントお陰さまで第6刷りが重版される事に決定致しました。
皆さま~有り難うございま~す(ペコリ)
たった7年間ものプライベート写真ですが保存して置いて良かった!

イエネ、この写真集を刊行する一寸前に親友から
「チヤちゃん、そろそろ貴女の昔の写真を処分しといた方がイイわよ。
 子供達があとで大変な事になるわ」
と云われたところでした。
彼女のお母さまも女優さんで東宝映画の前身PCLのスターさんでした。
お亡くなりになった後、彼女が大変な思いをされたとか・・
うふふ危機一髪でした〜。

まだお手元にない方はぜひこの際お買い求め頂ければ幸せで~す。

ひし美ゆり子写真集 YURIKO 1967-73 <新装版>

ジェネオン エンタテインメント

このアイテムの詳細を見る