あれから55年・・アンヌのひとりごと

ズバリ!団塊の世代。ひし美ゆり子のブログsince・06・1・14

千坪の邸宅と大正ロマン!?団塊世代のひとりごとPー6

2007年03月03日 13時55分21秒 | 地谷子のひとりごと
「ここだよ~。」
母や姉の顔がフリーズした。
「どこが1000坪なの?」
「いや~裏に回ってみてご覧っ。広いぞ~」
父の云った「1000坪」とは何と住いの裏の邸宅が千坪だとっ。
「窓からウチの庭だと思って眺めてりゃ同じ事さ。ハハハ」

一家6人三鷹での新生活が始まった。
一軒家ではあるが6帖2間に3帖の板の間に台所だ。
6人住むには窮屈な家だった。おまけに中野と違って水道がない。
外に出て井戸水を汲みに行く、母は溜息ばかりをついていた。
「三鷹って田舎ネ~」

母の嘆きの極め付けは内風呂の無いことである。
人前で裸を晒すのはイヤだと近所の銭湯には一切行かなかった。
夜な夜な薄暗い台所でタライで行水をすませた。
近所のおばちゃんに
「ちや子ちゃんのお母さんいつお風呂に行くの?」
応えに困った。
「ウン?夜遅く。」
それでも冬場はたまに吉祥寺の駅むこうの銭湯まで
買い物籠に風呂道具をそっと忍ばせて
人目を忍んで入りに行っていたらしい。

子供心の私の夢は、内風呂のある家に両親を住わすこと。。
アンヌ隊員のギャラじゃとてもとても無理だったなぁ。
それが叶ったのはズーっと後のコトだ。

銭湯にはよく父に連れて行かれた。
父はカラスの行水なのでさっさと上がってしまう。
男湯にひとりポツンと残された少女、子供と云えども恥ずかしいものだ。
イヤな思いや恥ずかしい思いはいつになっても忘れられないモノですね。

あっそうそう銭湯と云えば姉と一緒に行った時のこと。。姉が
「あの人、ゾルゲのお妾さんよ。」
度々見かける50がらみの断髪でほっそりとしたモダンな感じの女性だった。
当時「お妾さん」の意味も分からない私だったが「ゾルゲ事件」の超本人。
ゾルゲとはロシア人のスパイ「リヒャルト・ゾルゲ」
何とか法違反?で尾崎秀実と共に日本で1944年処刑されたらしいが、
後に愛人の石井花子さんによって多摩墓地に埋葬されたらしい。
いつも銭湯でお見掛けした方がその「石井花子」さんだった。

愛人と云えば・・話が拡散しそうなので端折って書くが、
女流作家の山田順子の寂しい晩年もご近所に身を寄せていたので知っている。
作家の名声よりも人妻でありながら竹久夢二や徳田秋声と浮き名を流し
いわば魔性の女かも知れない。
恋多き大正ロマン画家「竹久夢二」の愛人お葉から横恋慕し
夢路と秋田に逃避行したが、わずか半年足らずで別れている。
翌年30才年上の小説家「徳田秋声」の愛人になったんだとサ。


「大正ロマン」って響きのイイ言葉だ。
文壇や画壇に身を置く人の情炎に身を焦がす話は数知れず、
私が崇拝する「宇野千代」も昨日ここのブログに出た「東郷青児」と、
また梶井基次郎や尾崎士郎ともかなりの狂恋だったらしい。
調べてみるとその東郷青児も若い頃竹久夢二の女性に横恋慕した~!?
明治生まれの人ってけっこう激しいねぇ。

憧れるな~。
ウチは大正生まれの母だが「二夫にまみえずタイプ」だ。
今や「男はロマン・女は我慢」なんてぇ云っていられない。

同じ一生だもん、私もまだまだ人生楽しまなくっちゃ!