昭和29年8月某日、
初めて見た吉祥寺・・井の頭線のガード下には
まだ露店商が地べたに商品を並べ、
片隅では白装束の傷痍軍人(しょういぐんじん)が
物悲しい音色のアコーディオンを弾いていた。
まだまだ戦争の名残りの残っているご時世だった。
今でこそ若者の集うオシャレな町並み吉祥寺だが、
その変遷は程なくして徐々に見え隠れしてきたのだ・・
そう!まさにあの「3丁目の夕日」の昭和32-3年頃か?
そのガードのあたりにオシャレな高級洋菓子店「ボア」(Bois)
いつしか吉祥寺の名店になっていた。
東郷青児デザイン画の包装紙を使った「ボア」
今でもあるのだろうか?
話は戻るが・・
駅から南に直進して5分程歩くと階段下は井の頭公園のど真ん中、
軒並み「氷」の旗を掲げた茶店があって鯉の餌(麩)も売っていた。
その先は大きな池に長~い七井橋が掛っていた。
橋の途中で麩をばらまくと40-50センチはあろう見事な鯉が
大きな口をパクパク開けて面白いように寄って来た。
側でカイツムリがすばしっこく水面に出たり入ったりして、
遠くのほうにはアヒルの親子が優雅に行列していた。
それを眺めていた私は子供心になんだか得した気分で、
「凄~い!イイ処に越して来たねっ。お父ちゃま。
このお魚釣って食べれば晩ご飯のおかずも助かるよねっ」
「バカだな、泥臭くて食べられたモノじゃないよ。」
いやいや我ながら天真爛漫な子でした。
この頃父は齢49才を迎える誕生月だった。(明治38年8月31日生れ)
そのうち引っ越し第2グループの
母・姉・兄二人4人連れ立って橋の上に追い付いて来た。
姉が「今そこの茶店でかき氷り食べたのよっ」
「ウワ~ずるいずるい」
「ちや子はお寿司食べたんだからイイじゃない」
「私もかき氷たべたかったよ~~う」
かき氷よりも何よりも母と一緒に食べた姉兄が無性に羨ましかった。
(このかた母とは一度も外食などしたことなどないのです。)
「もうすぐそこだよ、あと2-3分だ。」
父に連なって6人の親子は千坪あるという新天地?に行列した。
初めて見た吉祥寺・・井の頭線のガード下には
まだ露店商が地べたに商品を並べ、
片隅では白装束の傷痍軍人(しょういぐんじん)が
物悲しい音色のアコーディオンを弾いていた。
まだまだ戦争の名残りの残っているご時世だった。
今でこそ若者の集うオシャレな町並み吉祥寺だが、
その変遷は程なくして徐々に見え隠れしてきたのだ・・
そう!まさにあの「3丁目の夕日」の昭和32-3年頃か?
そのガードのあたりにオシャレな高級洋菓子店「ボア」(Bois)
いつしか吉祥寺の名店になっていた。
東郷青児デザイン画の包装紙を使った「ボア」
今でもあるのだろうか?
話は戻るが・・
駅から南に直進して5分程歩くと階段下は井の頭公園のど真ん中、
軒並み「氷」の旗を掲げた茶店があって鯉の餌(麩)も売っていた。
その先は大きな池に長~い七井橋が掛っていた。
橋の途中で麩をばらまくと40-50センチはあろう見事な鯉が
大きな口をパクパク開けて面白いように寄って来た。
側でカイツムリがすばしっこく水面に出たり入ったりして、
遠くのほうにはアヒルの親子が優雅に行列していた。
それを眺めていた私は子供心になんだか得した気分で、
「凄~い!イイ処に越して来たねっ。お父ちゃま。
このお魚釣って食べれば晩ご飯のおかずも助かるよねっ」
「バカだな、泥臭くて食べられたモノじゃないよ。」
いやいや我ながら天真爛漫な子でした。
この頃父は齢49才を迎える誕生月だった。(明治38年8月31日生れ)
そのうち引っ越し第2グループの
母・姉・兄二人4人連れ立って橋の上に追い付いて来た。
姉が「今そこの茶店でかき氷り食べたのよっ」
「ウワ~ずるいずるい」
「ちや子はお寿司食べたんだからイイじゃない」
「私もかき氷たべたかったよ~~う」
かき氷よりも何よりも母と一緒に食べた姉兄が無性に羨ましかった。
(このかた母とは一度も外食などしたことなどないのです。)
「もうすぐそこだよ、あと2-3分だ。」
父に連なって6人の親子は千坪あるという新天地?に行列した。