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心に素直に正直に、感じるままに表現出来る社会に

2023-03-08 04:50:00 | 社会

異端


全体主義が重視される社会においては異端とされる人たちはとかく敬遠されがちです。

でも異端といってもいろいろあると思うんですね。

自分は子どもの頃から変わった人が大好きで、いじめられてる人や嫌われてる人や怒りっぽい人などに話しかけたりしてました。

地下道で靴磨きしてるおじさんや、公園に住んでるホームレスのおじさんと仲良くなったり。

その相手がさみしいのかな、とか、なんでキレてばかりなんだろう、とか、孤立の理由はなんだろう、とかホームレスって楽しそうだな、なんて思って。

イジメられてる子をかばって逆に自分がいじめの対象にされたなんてことも何度かありました。イジメ首謀者のボス的な女性がわたしがかばった子を取り込んで、庇った子からもいじめられたり、そんなこともあったりしました。

自分も幼い頃から変わり者と言われ続ける変人なので、イジメられ経験はたくさんあります。


いじめというのは閉じた環境で起こりやすいと思います。関わる相手が限られていて、その中に支配的だったり嗜虐的だったりする人がボス的立場にある時にそれは起こりやすいです。そして同性間ほどその傾向は強くなる気がします。


閉じた環境の外には別の価値観の人たちがいて、そこではイジメられないなんてこともよくあります。

でも今の社会では子どもは家庭や近所、学校、他は親戚や習い事先の人間関係くらいしかなくて、それらの中でも誤解されたり孤立したりしてしまうと本当に逃げ場がないと思います。

自分にもそんな時期もありました。

衆人監視及び集スト的傾向の強い社会においては閉じた世界から外に出ても時間経過とともに孤立させられるなんてこともありますし。


でもね、大勢で少数を追い詰めるというのは卑怯だと思うのですね。


わたしの父は言ってました。

「弱いものイジメはダメだ」

「強い者は弱い者を守ってやらんといかん」

「差別はいかん」

その言葉通りの強く優しく面倒見の良い親分肌の人でしたが、やはり弾圧されつづけていました。

集スト的に周囲から搦手で追い詰められ、時に命を狙われるほどに。

父も変わり者でしたが、周囲に父のことを本当に理解してくれていた人はそれほどいなかったと思います。

単に都合がいいから利用するために寄ってきた人の方が多く、面倒を見た人に何度も裏切られ、悪評をばら撒かれ、そしてまた利用したい時には擦り寄ってくる、そんな様子でした。

でも人の良い父は、そんな相手にも親切でした、何度裏切られても、です。

たぶん父のような性質の人を縄文的気質というのだと思います。


自分も目の前のことだけを見ていた時にはわかりませんでしたが、この社会の裏で起きていた出来事を知るにつれそれまでよりも大きな視点で見られるようになり、わたしたちの身辺に起きていたことが理解できました。


祖父も激しく弾圧された人でした。

詳しくは書きませんが、それは酷いありさまでした。最後まで。

そして同じような目に遭わされていながら気づいていない人たちは大勢いることにも気付きました。

そしてそこには衆人監視による搦手だけでなく、秘匿された技術による薬品や機器も関係しています。オカルト現象がそれにより演出されることもあります。

心身の疾患も作り出せます。

バレないように悪事を働くのは卑怯だと思います。


異端な人たちは自分に正直だからこの狂った社会に馴染めないのだと勝手に思ってます。

不登校やニートは問題視されがちですが、わたしは彼らこそ正常な感覚の持ち主なのではないかと、そう確信してます。

わたしの周囲の自分に正直に生きていた人たちは、徐々に飼い慣らされていったケースもありますが、姿を消していった人たちもとても多いです。

それも多くが仕組まれたものだったのだと今は思います。


(中国などを除いた)海外では個を尊重する傾向が日本よりも高いですが、この国において特に奴隷化に力を入れているのは、この国の元々の住人たちを自由にしておくと困る理由があるのだと思うのですね、陰で姑息に支配している存在にとって。

例えばみんなと仲良くして調和の取れた社会にしてしまうとか、創造性を発揮して何かとんでもないものを発明してしまうだとか、サイキック能力を発揮してしまうだとか。

だからこそ子どもの頃からその性質を監視して将来的に脅威となりそうな子を発達障害というレッテル貼りを行い薬漬けにしたり、大人の場合は活躍させないために弾圧して鬱病にしたり自殺に追い込んだりしてきたのだと思います。そしてその人々のアイデアを盗み支配者側の駒たちが我が物としたりもしてました。あとは子孫を残させないようにするためのさまざまな工作も行われてきました。


団塊ジュニア世代以前の人たちはまだ戦えたのですね、理不尽と。率直な物言いをする人たちが多かったと思います。嫌なことは嫌と言えたし、一部を除いては陰険さもあまり感じませんでした。

異端が今ほど排除されませんでした。


2000年頃に支配者らにとっての不都合な個体の炙り出しを大規模に行い、そこに該当してしまった人たちの多くが排除されてしまったそうです。

うつ病が蔓延し出し、そして他のさまざまな精神疾患がたくさん発明されたのもその頃です。

政治で言えば公明党が与党になった頃ですね。

それ以前には1985年頃に、それ以後は阪神淡路や311を機にやはり社会情勢が変化したのだと思うのですね。あと911も。海外のことですがこの国にも大きな影響を与えたのだと思います。

自分は世代的にその辺りのことしかわかりませんが、それ以前にも社会が変化した転機はあったのだと思います。

そして何かあるたびに徐々に住みにくい世の中になってきたように感じています。


前にも書きましたが、わたしの周りの大人たちには見知らぬ人にも優しくて率直で、気さくな面倒見の良い人が多くいました。

かなり減らされてしまったのかもしれませんが、そんな性質を持つ人たちが自由に考え話し行動できるような、そんな社会になって欲しいと、切にそう願っています。