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この国に生まれて

2023-03-09 22:51:00 | 社会
今の時期、地球の様子が大きく変化すると聞かされました。
次元上昇だとか、ポールシフトだとか、そんなふうに呼ばれることもあるようです。
また、そのために人類選別を行おうとしたり、人々の認識に働きかけようとしたりという動向もあるようです。
その中にあって、日本は特別な位置を占めるだとか、日本に救世主が現れるだとか、そんなことが海外でも言われているそうです。
そのためなのかどうかはわかりませんが、この国においては人々への支配層にとって不都合な人々に対する隠された弾圧や◯害が、かなり前から行われてきたようです。
陰陽師の方の話によれば、この国には強力な結界が張られていて、その結界を支えているのはこの国に住むわたしたち日本人だということでした。
陰陽師の方たちがわたしたちや国土を守るために宇宙に対して働きかけてくれている、ということだったように記憶しています。わたしたち自身が結界を形成しているのだそうです。
陰陽師の方たち以外にも呪術を扱う人たちはいますが、その中の良心派の人たちは同じようなご活動をされているのだと思います。わたしたちや国を守るための。
その話によれば、その結界が崩れれば国土が沈んでしまうかもしれないとのことでした。この国を壊したい人たちは、そのためにわたしたちこの国に住む人たちを苦しめたり◯したりするのだそうです。
結界を弱めるために。

もしその話が事実だとすれば、現在この国に住む人たち全員が重要な役割を担っているということになります。
「目覚めろ」この言葉はもうかなり前からあちこちで目にしています。
ですが優しく素直で騙されやすいこの国の人たちの洗脳は未だ深く、権威やマスコミなどから押し付けられた嘘の常識を信じている人々が大半です。
そして踊らされて争わされている人たちも少なくありません。

この国を陰ながら守ってくれている人たちの話を聞くと、この国に現在住む人たち全員がこの国の結界を支えていることになるのではないかと思います。これはわたしの憶測ですが、出自や国籍に関わらず、全てのここに住む人たちが対象なのではないかと、そんな気がします。
もしそうなら、争っている場合ではないと思うのです。
今この国のエネルギーを支えるわたしたちの心の、精神のあり方が問われるのではないかと思います。

わたしたちひとりひとりが自分の内に神が在る、という自分自神という考え方があります。
であれば、わたしたちひとりひとりが救世主であるのだと言えると思います。

この国に住む人たちはこれまで内外の悪意に翻弄されてきました。
他の国々の人たちに対する弾圧が表だって行われているのに対して、この国では陰で姑息に弾圧が進められてきましたが、これはこの国に住むわたしたち日本人が脅威と見做されているからなのだと思います。
バレたら団結して反撃されてしまう、自分たちに不都合な調和の取れた愛に満ちた社会を作ってしまう、そんなことを悪意を向けている存在は恐れているのではないでしょうか。

見えないものは存在しない、というような洗脳をわたしたちはされてきました。
海外では超能力が研究されたりしているのに、この国では特にそのようなことは否定されてきました。そう洗脳することによりわたしたちの本来持つ見えないものを感知する能力を封じてきたのだと思います。
洗脳だけでなく、このブログにこれまで書いてきた手法やその他の方法などで。
それによりわたしたちが本来発することのできる愛に満ちたエネルギーを封じてきたのだと思います。

本来の日本人とは、直感力に優れ相手を察し思いやり、大きな包容力を持ち誰に対しても垣根が低く優しい、そしてお互いの良いところを認め合い生かし合い、強い者は弱い者を守ってきた、そんな人たちなのだとわたしは思っています。

見えないところでこの国を守ってくれている人たちのためにも、どうかもう争うことはやめてほしいのですね。
以前この話とは別の術者の方が言われていました。
例えば過去に外から来た人たちであっても今はこの国に暮らしている同じ人間なのだから、なんとか対立せずに平和に暮らせる方法があるはずだ、というようなことを。

わたしもこれまでは酷く弾圧され、周囲全てが敵のように見えていた時期がわりと長い間ありました。ですが様々なことに対する理解が深まるにつれ考え方を改めるようになりました。

子どもの頃のCMに「一日一善」というものがよく流れていました。あいさつ運動なんていうことも学校で行われていました。
これは優しさや親しみをこの社会に広めようということなのだと思います。
また自分は愛想笑いをされるのが好きではなかったのですが、
酷く虐待され続ける生活を数ヶ月送った時には笑顔の大切さを身をもって味わいました。

現在も過酷な環境に置かれている方々もおられるかと思いますが‥
どうかみなさまのこころが優しさに包まれて、関わるお相手にもその優しさがおすそ分けされるようになることを願っています。


前世のカルマと呼ばれるものについて

2023-03-09 01:02:00 | 日記

カルマとは業とも言われ、その行いと同等のものが返ってくる、そんな意味でしょうか。


でもね、もしそうならば先祖のカルマが自分に不幸を引き起こすといわれること、とても理不尽だと思うんですね。

そして自分は見えない攻撃が存在していることを確認しています。それは秘匿技術だったり呪術だったり。

人間を動員しての搦手による運命操作もあります。


先祖のカルマだなんて言われても訳がわかりません。単に見せない悪意や見えない攻撃を隠し、その矛先を、知ることのできない先祖の架空の行いへの疑念や悪人の子孫だという妄想を抱かせることにより自責の念に繋げるためなのではないかと、自分は経験から思うわけです。

これは戦後日教組やマスコミが「日本は悪い国だ」と自責の念を植え付けようとしていたこととよく似た現象なのだと思います。

これも水面下に潜むわたしたちに悪意を持つ存在による謀略なのだと考えています。


敵対者の子孫を根絶やしにするだとか、その子々孫々までもを呪う、というのは大陸的思考だと言われます。

逆に「罪を憎んで人を憎まず」というのが日本的な思想なのだと思うのですね。

この辺りのことからもカルマという概念を悪用して見えない攻撃を仕掛けているのが何者かということが、これまでのわたしの文章を読んでくださった方であればお分かりいただけるかと思います。

そしてカルマを強調するのは宗教やスピリチュアルです。


わたしの片親の家は、過去には神明社であり先祖に僧侶もあるという家なのですが、(神明社は五三桐に乗っ取られて合祀により隅へと追いやられわずか残された祠は撤去され痕跡を消されました)神道にはカルマという概念はありません。天国も地獄もない。

しかし仏教ではカルマ、業ということが言われ閻魔という審判が存在し、没すれば生前の行いに応じた階層へ行かされる、ということがまことしやかに言われています。現在のキリスト教にも似たような概念があるようですが、仏教もキリスト教も弟子がその教えを残し体系化されたものだということを考えれば、果たしてキリストや釈迦が先祖のカルマや天国地獄を実際に説いていたのかどうかということには疑問を感じます。

自分は天国も地獄も閉じられた世界なのだと思っています。

時々キリスト教系の街宣車が回ってきます。

「良い人はひとりもいない、みんな悪い人だ」と言って回っています。

これは原罪という概念を曲解したものなのではないかと自分は考えています。(原罪とはわたしたちはこの世界で動植物などを食料とし、他のいのちを奪うことにより生命維持を行なっていることを指していると自分は考えています。)

これも罪悪感を植え付けるために言われていることなのでしょう。

この国に入ってきた宗教は何もかもおかしくされてしまうという話を聞いています。

ちなみに神明社は神社の中でも神道原初の在り方を色濃く残していると聞かされました。これは恐らく大自然や土地神、産土神を尊重し、人や生き物たちの幸福と安寧を願うというものなのだと思います。

神社で身勝手なお願いことをしてはいけないよ、神社ではみんなの幸せを願い、神さまに生かされていることへの感謝の気持ちを伝えるんだよ、そんなふうに聞かされたことがあります。

自分はそれを聞かされる以前から、自分の中の良心が内外の大いなる存在と繋がっているのだと、そう思っています。

内は外であり、外はまた内でもある、と。

この内なる神の概念を自分自神と表現する人たちもいて、ひとりにつきひとつの世界、ひとつの宇宙という世界観にも繋がるのだと思います。


宗教についてはさまざま思うところはありますが、生かされていることや大いなる存在に対しての畏敬や尊崇の念を抱くことや、より良く生きるための指針となる知恵を学ぶのは良いことだと思います。しかし集団化組織化しておカネ儲けや争いのために先人の知恵が悪用され、また現生利益を追求するための組織とされているのが現在の宗教なのだと思います。


しかし‥

精神が自由であれば、それらを外部に求めずとも自ずと直感的に理解できるのだと、過去には自由だったけど今は精神萎縮気味で感覚鈍麻状態の自分はそう思います。