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マスクから 雑感

2023-03-14 16:04:00 | 社会

マスクについて


3月13日からマスク装着は任意になったそうですね。

まずは一歩前進と言ったところでしょうか。

マスクについてはコロ洗脳と同期しているような傾向でしたので。


以前コロナとマスクを頑なに信じている知人が不満げに話していたのですが、わたしの住む愛知県豊橋市ではマスクをつけずに外出している人たちの割合が多いのだそうです。

そしてマスクをつけないのは非常識であり、この辺りの人たちは田舎者だからモラルに欠けるというようなことを話していました。


わたしはマスクは必要ないと以前から思っています。でもマスクはつけています。

その理由はいわゆるアトピーと言われる症状(これは電磁波攻撃によるものですが)が顔面周辺に強く出ているためです。

ですのでコロナ以前からマスクをつけています。

最近は額や首回りまでもが重症化してきたのでそのあたりも隠すようになったので、その姿はまるで不審者さながらの様子かもしれません。なぜ隠すのかといえば、アトピーが悪化している状態のまま外出 すると、汚い物を見るような目で見られたり、買い物をした時釣り銭を渡される際に 穢らわしそうな素振りをされたりということがあったためです。なのでマスクだけでなく手袋をして外出しています。手指の状態も酷いので。


自分はそんな状態なので、マスク装着の有無で洗脳度合いを判断するような人たちもいますが、別の事情によりマスクをつけている人もあるということは理解してほしいと思っています。

そしてこの状態、電磁波攻撃によるアトピーが治らなければわたしはずっとマスクなどで疾患部位を隠して外出することになるのかもしれません。


マスクを強要するのは問題だと思います。

しかしつけている人たちをバカにしたり見下したり、愚民と呼ぶことに対してはどうかと思います。

マスクをつけている人たちの中には少数ながらわたしのような事情の人もあるかも知れませんし、マスクを不要だと思いながらも周囲の人たちに対する気遣いとしてつけている人たちもあります。これを自分軸がないなどとバカにする方を見かけましたが、周囲の人たちに不安を与えたくないという優しさからの場合もあります。

そういった自分たちのジャッジを押し付け勝手に 相手のことを憶測で決めつける姿勢 に対しては疑問に思っています。

草の根運動的に 大勢が体制に従わなければ世の中を変えることが出来る、という思想を元にそのような発言をされるのかも知れません。でもそういったご発言をされている方が、ワクチン会場へ行きワクチンの害を主張したことにより警察に検挙された団体のことをこき下ろしていました。

そんな様子を目にするととても残念に思ってしまいます。


この国から「是々非々」という思想が希薄になってからかなり経ちます。

良いことは誰が言っても良いことであり、逆もまた然り‥

それが通用しなくなったのは、結社や宗教(ここも結社の影響下です)団体などによる勢力 としての思想 というものが重視されるようになってきたからなのだと思います。

(そしてその対立の構造を持ち込んだのはユダヤだとの説を主張される方々もあります。

バビロニア金融システムもそうなのでしょう。陰湿さは京都です。いずれにせよ大陸ということになります)


話をマスクに戻します。

あまりにもマスク悪を強調される方々を見ていると、異端でへそ曲がりと言われ続けた自分としては逆にマスクの良いところを探してみたくなります。

量産品の中華マスクの不衛生さやそこに何か良からぬものが仕込まれていると主張されるのでしたら、国産品を選んだり、布などで作られたものを使えばいいと思います。


マスクをつけることにより口元が見えず表情がわかりづらいから感性が鈍る というご意見もありますが、わたしの感覚から言わせて貰えば、口元の笑顔に 人間は 騙されることがあります。例えば 目が険しくても口元が笑っていればつられて笑ってしまうといううこともあるようですし(この傾向は赤ちゃんによく見られるそうです)、それにより警戒心が薄れるということもあるそうです。

「目は口ほどに物を言う」という諺がありますが、マスクをつけていても相手の目は見えます。ですので相手の目の表情から相手の心を察することは可能ですし、それに対する洞察力も鍛えられるかもしれません。


呼吸が妨げられるというご意見もみかけました。

これについても別の見方ができます。人間は呼吸器官と皮膚で酸素を取り入れていると言われます。酸素濃度の薄い高山などでは平地民は高山病を発症することがあるそうですが、これも慣れると聞いたことがあります。

マスクをつけることにより皮膚呼吸能力が上がるかもしれないとご発言されていた方がありました。

ちなみに自分は子どもの頃からアトピー体質と言われ、酷い時には全身くまなく湿疹だらけになったこともあります。軟膏の使いすぎで毛穴が詰まっているとも、言われたこともあります。なので皮膚が健康な人たちにくらべれば皮膚呼吸ができていないことになりますが、そんな状態であっても長距離走は得意でした。元より特異体質 ぎみらしくもあるのですが、呼吸に関してはアトピーや軟膏のために鍛えられた可能性もあります。

(さらに考えれば別の方法で呼吸と同様の酸素補給が行われているのかもしれませんし、体内でそれに変わる何かが作り出されている可能性もあります。その根拠は以前自分はひと月ほどほとんど飲食せずに生活していた時期があり、その時何も問題なく行動できていたからです。そしてその時もわりと酸欠状態でしたので。)


コロナやマスクが洗脳と言われますが、それ以外にも洗脳とは身近に溢れているのではないでしょうか。

わたしにはマスクをつけたくらいで人間の体が壊れるほどの害があるとは思えませんし、免疫力や抵抗力が強く解毒作用が強ければ、多少の毒に負けるほどに人間が軟弱に作られているとは思えないんですね。

だからといってマスクや毒物を容認するわけではありません。それらには以前から反対の立場です。自分のマスクはやむを得ない理由のためにつけているだけです。アトピー症状がなければつけません。


ただ、マスクをつけている人たち を愚民だとバカにする、その姿勢 を疑問に思うだけです。しかしこれも人々がDSと呼ばれる存在や、この国に潜む国民に悪意を持つ存在やその配下の結社などによる勢力争いなどの犠牲になっているのだと自分は考えています。

(結社には良い方向を目指す方々もありますが、その方向性がまとまらないことは問題なのだと考えています。)

いつの世も施政者や支配者が愚かであった場合、犠牲になるのは民衆です。


マスクに関連したことを縷々述べさせてもらいましたが、こんなことを書けばまた非難の対象とされるであろうことは理解しています。

でも自分はへそ曲がりなのでこんなことを考えたりしています。

こんな駄文に最後までお付き合いくださりありがとうございます。











言葉づかいについて

2023-03-13 21:21:00 | 社会

言葉づかい


正しい言葉づかい

きれいな言葉づかい

では逆は?

間違った言葉づかい?

汚い言葉づかい?


きれいな言葉づかいや正しい言葉づかいをすると波動が上がるだとか、汚い言葉づかいばダメ、なんて意見を時折見かけます。


でも思うんですね、

きれい汚いとは何を基準に決めたのか

正しいとか間違いについても。

標準語が基準?

方言にはびっくりするようなものがあったりしますが、それは汚い言葉になるの?


以前に見た動画が少し前にも表示されたので見てみました。

「ユートピア(豪州/2019)」というタイトルの動画です。


https://youtu.be/kdRPrnsFXjo

一応リンク貼っておきます。


以前この動画を見た時には他人事のように思い、意味があまりわからなかったのですが、今回視聴してこれが現在進行形の危機を警告したものであることを理解しました。

政府による衆人環視を利用した超管理社会について描かれています。


この動画の中に「変化は徐々に始まった」というくだりがありますが、今のこの国で起きている出来事、動画で言われている徐々の変化の最中なのだと思います。

日本においては元より衆人監視傾向が強いですし、「未公開テクノロジー」「秘匿技術」など私たちに知らされない隠された技術を悪用した機器があちこちに設置され、それは増え続けています。


この動画の中ではリストバンドが個人識別ツールとして使われていますが、数年前に目にした記事では体内にマイクロチップを埋めるというものがありましたし、自分はそれとは違う個人識別のための秘匿技術も実際に見たことがあります。

動画では全ての部屋に監視端末が設置されていますが、これについても同様です。


動画内では、汚い言葉を 使うたびに 罰金が加算され続けるシーンがあります。


自分は思います。

正しい言葉、汚い言葉、一体何を基準として何者がどのような判断を行うというのか。


汚いと言われる言葉づかいや、荒っぽい喋り方をする人たちの中に良い人はたくさんあります。

どんな言葉を使ったとしても意味が通じれば良いのではないかと、そう思います。

怒った人が感情的になるのも悪くないと思います。怒りには必ず原因があり、それを無理に押さえつけるのは精神衛生上良くないのではないかと自分は思います。


汚い言葉を使ったくらいで波動が下がるというのもある意味では支配に繋がるのではないでしょうか?

もし仮にそうであるとすれば、その波動云々のシステムに問題があるのでは?

例えば汚いと感じる言葉を聞いた相手が不快に思うというのにも個人差があり、ストレスの多い人ほど相手に不寛容になりがちです。

かといって理不尽に罵られ続けたりすれば不愉快にもなります。

敬語というものに対しても疑問があります。

これが相手を尊重するために使われるのであればまだわからなくもありません。

でも目上の人に対して使うものだと言うのであれば、そこには上下関係が生じているわけで、敬語を使わなければ相手を尊重していないというような理解がされかねません。

時折敬語を使われなければ気分を害される方を見かけます。そんな方に「 なぜあなたはご自分に対して相手が敬語を使うことが当然だと考えるのですか?」と質問してみたいです。


言葉づかいというのはひとつの形やテクニックであり、肝心なのはもっと本質的な部分なのでは?

相手を尊重する気持ちがあり、その根底に優しさや思いやりがあれば、言葉づかいなどどうでもいいと自分は考えます。

また理不尽や不当さに対する不満も当然の感情だと思います。


沖縄での話です。

学校へ行くことが義務化された頃、学校では方言禁止にされ、標準語を使うことを強要され、使った子どもには罰が与えられたそうです。

そして今では昔の言葉はほとんどが忘れ去られてしまい、結果貴重な文化が失われた形となりました。

義務教育も方言禁止もわたしには支配に感じてしまいます。

そういえば何年も前のことですが、方言の見直しというか、方言を積極的に使おう、というような動きがあったように思います。

素敵なことだと思います。


人間はもっと自由であるべきです。

それが他の人々や生き物や環境に対する害になるようでは問題ですが、人々の精神の根底に良心が、他に対する思いやりがあればそんなことにはなりにくいと思います。


自分は汚いと言われる言葉づかいや激しく感情表現する人よりも、相手を見下したり嘲笑したり、侮辱したりすることの方に嫌悪感を感じます。しかしそれにも原因があり、元々の性質 の場合もあるかもしれませんが、その多くは抑圧された感情や自尊心の低さからの者の場合もあり、やはり環境の問題も大きいとかんがえます。


本当にこの社会には疑問に思うことがたくさんあります。

自分は多少のことは笑い飛ばすようなおおらかな気持ちでいたいです。


コロナから思う

2023-03-10 17:06:00 | 社会

コロナ

わたしの経験から言えば、これに似た症状は電磁波等により引き起こすことができます。

そしてPCRはコロナウイルスと言われるもの以外からも検出されてしまうらしいです。

コロナウイルスと呼ばれるものは、細胞のゴミだとの説があります。

ここから、ウイルスにより症状が引き起こされるのではなく、症状を治癒する働きの中で作り出されたものであることが考えられます。

例えば傷口に入ったバイ菌を◯すために白血球が働いた後の◯骸というか、その経緯により生じた生成物というか、自分としてはそんなイメージです。


嘘科学、偽医療とはよく言われることです。

数年前に見かけた記事が今日また別のところから出されていました。

北海道夕張市では、人口減少のため総合病院がなくなったことにより、ご老人らの病気がすくなくなったという内容のものです。

そしてこれまでの死因で多くを占めていた心疾患と肺炎の死亡率が下がり、代わりに老衰でお亡くなりになる人が増えたとありました。

以前見た情報では人々があまり病院へ行かなくなったからだという書かれ方をされていたように記憶しています。


昭和のころだったと思います。国民皆保険になり医療費負担が減ったことにより、お年寄りたちが病院へ集い、井戸端会議の場所と化しているとの話をよく目にしました。

わたしも祖父の病院へ付き添ったりしていましたが、実際にそんな様子でした。

病院へ行くことを娯楽のように感じていた方々もあったのだと思います。


国民皆保険は一見良い制度のように思えます。ですがその制度が医産複合体により悪用されてしまっているのも事実です。

現在の医療では根治療法ではなく、対症療法であることがほとんどだと思います。


わたしの父は高血圧と糖尿の診断を受け何年も薬を飲んでいました。

わたしと同居を始めた時に突然の断薬を試みたところ、高血圧も糖尿も治ってしまいました。それどころか若い頃から若白髪だった頭から黒髪まで生えてきました。

これが何を意味するのか、原因は複数考えられますが、父のケースにおいては投薬は必要ないどころか、高血圧も糖尿も嘘の診断だった可能性が高いということになります。


自分にも似た 経験があります。

ある人の病院へ付き添ったところ、その人は別の症状で受診したのですが、インフルエンザと診断され(インフルエンザの症状は出ていなかったと思います)わたしまで一緒にインフルエンザの吸引薬を使うことを強いられました。感染の可能性があるという理由でです。これについても理由は察していますが、病院という場所は嘘の診断を行い不要な投薬を行うことが多い場所なのだと自分はそう認識しています。

もちろんドクターたちの中には良心的な方もおられると思います。

ですが診断投薬の元となる情報が嘘であれば、それにより行われる診断投薬も疑問なものになりかねません。

建築物の基礎部分に歪みがあれば、上に建てる建物が歪みやすいのと同じことだと思います。


コロナについても同じことが言えると思います。これはコロナに限らずですが。

コロナ症状と電磁波攻撃により引き起こされる症状は酷似しています。

わたしの知人は、ひと月以上コロナ的症状に悩まされていたのですが、PCR検査を受けたところ、結果陰性でした。そして検査後すぐに症状は治まりました。


シェディングと言われる症状があるという説も見かけましたが、これも嘘くさく、ワクチン接種しない人に対する電磁波攻撃のようなものだと思っていますし、これらが認識の問題だというのであるなら、もっと言えばワクチンを毒にする必要はないと思うのですね。

水やブドウ糖や生理食塩水でいいと思うんです。

数年前にはね、大手医療メーカーには方向転換の気配があったんですね。実際に同じころに医産に対してわりと大きなメスが入っています、この日本においても。

でもその後のパワーバランスの変化により状況は二転三転し、さまざまなところで迷走状態が引き起こされていることを感じます。


コロナ騒ぎは計画的に引き起こされたものなのでしょう、そしてワクチンを毒にしたい人たち、また面白くもないシェディングなるものを発明したり。

そしてそこに便乗してカネ儲けにつなげる人たちがあったり、この騒ぎに関する人々の反応を観察している存在があったり。


以前「作られる病気」という記事に書きました。

ほぼ全ての病気と言われるものは人為的に作り出すことができるものです。

身体疾患も精神疾患も。

電磁波にはさまざまな波形があり、特定の化学物質に反応しやすかったりもします。

日本において農薬の基準や添加物の基準が海外(中国等除く)に比べ大甘だったり、歯科治療に悪意が込められていたり(海外の治療と比べてみてください)、他にもまだまだありますが‥

それら全てが早く改善されてほしいと願っています。


健康はおカネでは買えません。

身近に溢れるわかりにくい毒物など、皆さんがはやくそこに気づいてほしいと、そう切に願っています。



この国に生まれて

2023-03-09 22:51:00 | 社会
今の時期、地球の様子が大きく変化すると聞かされました。
次元上昇だとか、ポールシフトだとか、そんなふうに呼ばれることもあるようです。
また、そのために人類選別を行おうとしたり、人々の認識に働きかけようとしたりという動向もあるようです。
その中にあって、日本は特別な位置を占めるだとか、日本に救世主が現れるだとか、そんなことが海外でも言われているそうです。
そのためなのかどうかはわかりませんが、この国においては人々への支配層にとって不都合な人々に対する隠された弾圧や◯害が、かなり前から行われてきたようです。
陰陽師の方の話によれば、この国には強力な結界が張られていて、その結界を支えているのはこの国に住むわたしたち日本人だということでした。
陰陽師の方たちがわたしたちや国土を守るために宇宙に対して働きかけてくれている、ということだったように記憶しています。わたしたち自身が結界を形成しているのだそうです。
陰陽師の方たち以外にも呪術を扱う人たちはいますが、その中の良心派の人たちは同じようなご活動をされているのだと思います。わたしたちや国を守るための。
その話によれば、その結界が崩れれば国土が沈んでしまうかもしれないとのことでした。この国を壊したい人たちは、そのためにわたしたちこの国に住む人たちを苦しめたり◯したりするのだそうです。
結界を弱めるために。

もしその話が事実だとすれば、現在この国に住む人たち全員が重要な役割を担っているということになります。
「目覚めろ」この言葉はもうかなり前からあちこちで目にしています。
ですが優しく素直で騙されやすいこの国の人たちの洗脳は未だ深く、権威やマスコミなどから押し付けられた嘘の常識を信じている人々が大半です。
そして踊らされて争わされている人たちも少なくありません。

この国を陰ながら守ってくれている人たちの話を聞くと、この国に現在住む人たち全員がこの国の結界を支えていることになるのではないかと思います。これはわたしの憶測ですが、出自や国籍に関わらず、全てのここに住む人たちが対象なのではないかと、そんな気がします。
もしそうなら、争っている場合ではないと思うのです。
今この国のエネルギーを支えるわたしたちの心の、精神のあり方が問われるのではないかと思います。

わたしたちひとりひとりが自分の内に神が在る、という自分自神という考え方があります。
であれば、わたしたちひとりひとりが救世主であるのだと言えると思います。

この国に住む人たちはこれまで内外の悪意に翻弄されてきました。
他の国々の人たちに対する弾圧が表だって行われているのに対して、この国では陰で姑息に弾圧が進められてきましたが、これはこの国に住むわたしたち日本人が脅威と見做されているからなのだと思います。
バレたら団結して反撃されてしまう、自分たちに不都合な調和の取れた愛に満ちた社会を作ってしまう、そんなことを悪意を向けている存在は恐れているのではないでしょうか。

見えないものは存在しない、というような洗脳をわたしたちはされてきました。
海外では超能力が研究されたりしているのに、この国では特にそのようなことは否定されてきました。そう洗脳することによりわたしたちの本来持つ見えないものを感知する能力を封じてきたのだと思います。
洗脳だけでなく、このブログにこれまで書いてきた手法やその他の方法などで。
それによりわたしたちが本来発することのできる愛に満ちたエネルギーを封じてきたのだと思います。

本来の日本人とは、直感力に優れ相手を察し思いやり、大きな包容力を持ち誰に対しても垣根が低く優しい、そしてお互いの良いところを認め合い生かし合い、強い者は弱い者を守ってきた、そんな人たちなのだとわたしは思っています。

見えないところでこの国を守ってくれている人たちのためにも、どうかもう争うことはやめてほしいのですね。
以前この話とは別の術者の方が言われていました。
例えば過去に外から来た人たちであっても今はこの国に暮らしている同じ人間なのだから、なんとか対立せずに平和に暮らせる方法があるはずだ、というようなことを。

わたしもこれまでは酷く弾圧され、周囲全てが敵のように見えていた時期がわりと長い間ありました。ですが様々なことに対する理解が深まるにつれ考え方を改めるようになりました。

子どもの頃のCMに「一日一善」というものがよく流れていました。あいさつ運動なんていうことも学校で行われていました。
これは優しさや親しみをこの社会に広めようということなのだと思います。
また自分は愛想笑いをされるのが好きではなかったのですが、
酷く虐待され続ける生活を数ヶ月送った時には笑顔の大切さを身をもって味わいました。

現在も過酷な環境に置かれている方々もおられるかと思いますが‥
どうかみなさまのこころが優しさに包まれて、関わるお相手にもその優しさがおすそ分けされるようになることを願っています。


前世のカルマと呼ばれるものについて

2023-03-09 01:02:00 | 日記

カルマとは業とも言われ、その行いと同等のものが返ってくる、そんな意味でしょうか。


でもね、もしそうならば先祖のカルマが自分に不幸を引き起こすといわれること、とても理不尽だと思うんですね。

そして自分は見えない攻撃が存在していることを確認しています。それは秘匿技術だったり呪術だったり。

人間を動員しての搦手による運命操作もあります。


先祖のカルマだなんて言われても訳がわかりません。単に見せない悪意や見えない攻撃を隠し、その矛先を、知ることのできない先祖の架空の行いへの疑念や悪人の子孫だという妄想を抱かせることにより自責の念に繋げるためなのではないかと、自分は経験から思うわけです。

これは戦後日教組やマスコミが「日本は悪い国だ」と自責の念を植え付けようとしていたこととよく似た現象なのだと思います。

これも水面下に潜むわたしたちに悪意を持つ存在による謀略なのだと考えています。


敵対者の子孫を根絶やしにするだとか、その子々孫々までもを呪う、というのは大陸的思考だと言われます。

逆に「罪を憎んで人を憎まず」というのが日本的な思想なのだと思うのですね。

この辺りのことからもカルマという概念を悪用して見えない攻撃を仕掛けているのが何者かということが、これまでのわたしの文章を読んでくださった方であればお分かりいただけるかと思います。

そしてカルマを強調するのは宗教やスピリチュアルです。


わたしの片親の家は、過去には神明社であり先祖に僧侶もあるという家なのですが、(神明社は五三桐に乗っ取られて合祀により隅へと追いやられわずか残された祠は撤去され痕跡を消されました)神道にはカルマという概念はありません。天国も地獄もない。

しかし仏教ではカルマ、業ということが言われ閻魔という審判が存在し、没すれば生前の行いに応じた階層へ行かされる、ということがまことしやかに言われています。現在のキリスト教にも似たような概念があるようですが、仏教もキリスト教も弟子がその教えを残し体系化されたものだということを考えれば、果たしてキリストや釈迦が先祖のカルマや天国地獄を実際に説いていたのかどうかということには疑問を感じます。

自分は天国も地獄も閉じられた世界なのだと思っています。

時々キリスト教系の街宣車が回ってきます。

「良い人はひとりもいない、みんな悪い人だ」と言って回っています。

これは原罪という概念を曲解したものなのではないかと自分は考えています。(原罪とはわたしたちはこの世界で動植物などを食料とし、他のいのちを奪うことにより生命維持を行なっていることを指していると自分は考えています。)

これも罪悪感を植え付けるために言われていることなのでしょう。

この国に入ってきた宗教は何もかもおかしくされてしまうという話を聞いています。

ちなみに神明社は神社の中でも神道原初の在り方を色濃く残していると聞かされました。これは恐らく大自然や土地神、産土神を尊重し、人や生き物たちの幸福と安寧を願うというものなのだと思います。

神社で身勝手なお願いことをしてはいけないよ、神社ではみんなの幸せを願い、神さまに生かされていることへの感謝の気持ちを伝えるんだよ、そんなふうに聞かされたことがあります。

自分はそれを聞かされる以前から、自分の中の良心が内外の大いなる存在と繋がっているのだと、そう思っています。

内は外であり、外はまた内でもある、と。

この内なる神の概念を自分自神と表現する人たちもいて、ひとりにつきひとつの世界、ひとつの宇宙という世界観にも繋がるのだと思います。


宗教についてはさまざま思うところはありますが、生かされていることや大いなる存在に対しての畏敬や尊崇の念を抱くことや、より良く生きるための指針となる知恵を学ぶのは良いことだと思います。しかし集団化組織化しておカネ儲けや争いのために先人の知恵が悪用され、また現生利益を追求するための組織とされているのが現在の宗教なのだと思います。


しかし‥

精神が自由であれば、それらを外部に求めずとも自ずと直感的に理解できるのだと、過去には自由だったけど今は精神萎縮気味で感覚鈍麻状態の自分はそう思います。