今朝、セミのミンミンと言う声で目が覚めた。
8月15日、終戦(敗戦)記念日。
60年前の今日も、とても暑い良く晴れた日だったそうです。
正午から重大な放送があるので、全員ラジオを聴くようにと指令があったそうです。
終戦を発表する玉音放送は、毎年この時期にテレビでも取り上げられているので、聞いたことがあると思いますが、ただでさえ録音状態が良くないのに、電波の受信状態が悪い、その上、聞き慣れない分語調の言葉とあって、1回聞いただけでは、よく理解できなかった人がとても多かったと聞いています。(何回か、繰り返し放送されたそうです)
そのため、あちこちで、戦争は終わりだとホッとする人と、陛下は、もっと頑張れと言っておられる、と思い込んだ人との間でのトラブルが起きたと聞いています。
私の父は、放送を聞いて、「負けて終わった」と冷静に母に言ったそうです。
あれから60年。経験者は減っていきます。そして、当時既に大人だった方は、その時の記憶に霞がかかってしまっている方も少なくありません。
これからは、私のように、大人として戦争を体験された方の生の声を聞いている者に、その声を伝えていく責任があるのでしょうか。
いいえ、責任とか役目などではなく、私は、あの、小母ちゃんや、小父ちゃんの声を、お爺ちゃんや、お婆ちゃんの声を誰かに、次の世代に伝えていきたいと思うのです。
かつての日本に侵略と大殺戮を受けた方たちとその子孫の方々にとっては「解放の日」と言うんだそうですね。周囲に戦争経験者がいないので、知識源は幼い頃に知った両親の価値観と、その後に読んだ本のみです。
この季節になると、子どもの頃に読んだ『ガラスのうさぎ』の一節を思い出します。いかなる場合においても戦争は放棄するとした日本国憲法9条の朗読が太陽の光のように感じられたという作者の心象を、なぜか二十年たった今も、よく覚えています。
有事法制も教育基本法改正も、新しい歴史教科書も心のノートもすべて、作者の感じた太陽の光と同じものだとは、私にはどうしても感じられません。
60年前の今日は、もしかしたら、多くの日本人にとってもある意味、解放の日だったように思います。
戦争からの解放と言う事で。でも、60年経って、ちょっと心配な様子になってきているような気がします。
『ガラスのうさぎ』の作者は、私にとって、特別な存在です。
直接彼女に会った事はありませんが、彼女の暮らした町、彼女が女学校に通った道、彼女が学んだ校舎、もしかしたら、彼女が教わったであろう教師を知っているからです。
私が子どもの頃は、上野や浅草など、人の集まる場所で、白い服を着て、帽子をかぶった人が大抵の場合2人、1人はアコーディオンで軍歌を弾き、もう1人は足が無かったり、鉤の付いた義手だったりしてアコーディオンの人の足元に這いつくばるようにしている人がいました。
彼らは、傷痍軍人といって、戦争のために障害を負った人たちで、そのようにして物乞いをしていたんです。
子ども心に、彼らを見るたびに、なんとも言えない気持ちになったことを覚えています。
戦争は終わっても、長い間、その影は続きます。
私のように、戦争を全く知らない者でも、その影は知っています。
今の政治の指導者といわれる人たちは、この影すらも忘れてしまったのでしょうかと思えてなりません。
なんか、まとまらないレスで、ごめんなさいね。
咲き乱れるムグンファ(むくげ)を眺めながら、60年前の今日も暑かったんだろうなぁ、と思いを馳せていた私でした。
個人と個人の付き合いで、お互いに国の垣根乗り越えていらっしゃる事でしょうが、この日のように、節目の日には、やはりお互いに自分の国を意識し、国の代表みたいになってしまうのでしょうか?
ムグンファ(むくげ)って、確か韓国の国花でしたよね。
この花は見た目は、とてもたおやかで、優しげで、清楚な花ですが、とても強い花で、折られても、踏まれても、また、暑さ寒さにも強く、挿し木でもこぼれ種でも増え、乾燥にも、多雨にも強く、美しい花を咲かせるという、したたかな(ここは、韓国人が読んだら怒るかな)花ですね。
韓国の国民性は、この花に似ているのでしょうか?
韓国は数え切れないほど諸外国から侵略を受けてきた歴史があり、まさに耐えてきた民族ですから、本当にムグンファの花に重なるんでしょうね。。。
ブックマークに入れてくださり、ありがとうございました。つたないブログですが、どうぞこれからもよろしくおねがい致します。
私もリンクを貼らせていただきま~す