あたしはエクレア
低俗の限界
社会に不満があるなら耳と目を噤み(つぐみ)じっとして暮らせ。または世捨て人になれとおっしゃる人も多かろう。
未だ煩悩の塊のあたしにとって社会に対する疑問、質問、ドラえもん、があるわけで。(ドラえもんは違うかぁ?)
テレビという不思議な箱がある。最近は薄くなって不思議な板になってきたかな。
薄くなるのは外側だけでいいのだが中身の方の薄さはちょっと心配になるぐらいの深刻さだ。
昔、この箱から流されるコンテンツは夢が一杯詰まっていてそれはそれは素晴らしいものだった。
ところがいつの頃からかこの箱は夢がなくなっていった。
どんなに頑張っても住めないようなマンションに住むサラリーマンが恋愛を展開する。
「男女7人・・・」見たいな番組(ちょっと古すぎ?)
現実社会とのギャップが非道すぎて想像力の限界を超えた番組が多いこと。
この間どこかの評論家がライブドアとフジテレビの問題に対してコメントしていたのが面白かった。
「テレビというのは後ろに30度ふんぞり返ってみるもので、インターネットは30度前かがみになってするもの。
フジとライブドアには60度の開きがあるのでこれを埋めるのは至難の業です。」
と。言いえて妙で、テレビというのは作り手も見せてやってる、見る方も見てやってる、という態度で接するようになってしまった。
もうこうなると夢なんてありゃしない。
ところがインターネットは、ポータルありショッピングありオークションあり、このようなブログありとまさしく何でもありだ。
宝が眠ってるんじゃないかと30度前かがみになって探し回る。
これが世界とつながってるのだから小さな「放送」の枠にはめられたメディアがなにをかいわんやということになる。
「放送」の限界は近いのかなと感じてしまう。
さてコンテンツはもっと非道い。最近2時間ドラマが人気で”2時間ドラマの女王”などとはやし立てられたりと結構なことですな。
しかしながら問題も少なくない。その題材のほとんどが殺人事件を扱っている点だ。
日本人は時代劇から始まった遠山の金さんや大岡裁きのように悪人をやっつけて最後は一件落着見たいなのが大好き。
「捕り物」は切り捨て御免の時代なら許されるのだろうけど現代にはそぐわない。模倣犯なるものが出てきて殺人をやらかしたりする始末だ。
そんな輩は稀だといって番組の正当性を訴えても事実を直視していないとしか見えない。
SEXと殺人事件を同等に比較してはいけないとお叱りを受けるかも知れないが世間では表立ってSEXを語るのはタブーである。
SEX問題など腫れ物に触るがのごとくである。(SEXに”問題”なんてないか)
ところが健全に育っていくと相手に恵まれさえすれば概ねSEXはいたすし、それはごくごく普通の行為で種族保存の行為でもあるわけだ。
崇高な一面さえ持っているSEXを卑猥とか下品とか低俗としてテレビは取り扱おうとしない。
”殺人”が低俗でなくてなんになろう。良く考えて頂きたい。
人生のうちで殺人事件に遭遇する確率はどれぐらいあるだろう。
おそらく刑事でもなければ人生に1度あるかないかだろう。それは何故か?人は”殺人”が悪いことと認識しているからに過ぎない。
SEXは表立ってする行為でないかもしれないが悪いことではないので誰もがいたす。
だからオープンにしてテレビからSEXという行為が流れてきても慣れるまでの間が辛いだけでその後は何にも問題ないのである。
それこそ慣れてしまえば性教育もしやすいし性犯罪は必ず減るのである。
「決して覗いたりしてはいけませぬ」
なんて言われたら見てみたいものなC
低俗の限界
社会に不満があるなら耳と目を噤み(つぐみ)じっとして暮らせ。または世捨て人になれとおっしゃる人も多かろう。
未だ煩悩の塊のあたしにとって社会に対する疑問、質問、ドラえもん、があるわけで。(ドラえもんは違うかぁ?)
テレビという不思議な箱がある。最近は薄くなって不思議な板になってきたかな。
薄くなるのは外側だけでいいのだが中身の方の薄さはちょっと心配になるぐらいの深刻さだ。
昔、この箱から流されるコンテンツは夢が一杯詰まっていてそれはそれは素晴らしいものだった。
ところがいつの頃からかこの箱は夢がなくなっていった。
どんなに頑張っても住めないようなマンションに住むサラリーマンが恋愛を展開する。
「男女7人・・・」見たいな番組(ちょっと古すぎ?)
現実社会とのギャップが非道すぎて想像力の限界を超えた番組が多いこと。
この間どこかの評論家がライブドアとフジテレビの問題に対してコメントしていたのが面白かった。
「テレビというのは後ろに30度ふんぞり返ってみるもので、インターネットは30度前かがみになってするもの。
フジとライブドアには60度の開きがあるのでこれを埋めるのは至難の業です。」
と。言いえて妙で、テレビというのは作り手も見せてやってる、見る方も見てやってる、という態度で接するようになってしまった。
もうこうなると夢なんてありゃしない。
ところがインターネットは、ポータルありショッピングありオークションあり、このようなブログありとまさしく何でもありだ。
宝が眠ってるんじゃないかと30度前かがみになって探し回る。
これが世界とつながってるのだから小さな「放送」の枠にはめられたメディアがなにをかいわんやということになる。
「放送」の限界は近いのかなと感じてしまう。
さてコンテンツはもっと非道い。最近2時間ドラマが人気で”2時間ドラマの女王”などとはやし立てられたりと結構なことですな。
しかしながら問題も少なくない。その題材のほとんどが殺人事件を扱っている点だ。
日本人は時代劇から始まった遠山の金さんや大岡裁きのように悪人をやっつけて最後は一件落着見たいなのが大好き。
「捕り物」は切り捨て御免の時代なら許されるのだろうけど現代にはそぐわない。模倣犯なるものが出てきて殺人をやらかしたりする始末だ。
そんな輩は稀だといって番組の正当性を訴えても事実を直視していないとしか見えない。
SEXと殺人事件を同等に比較してはいけないとお叱りを受けるかも知れないが世間では表立ってSEXを語るのはタブーである。
SEX問題など腫れ物に触るがのごとくである。(SEXに”問題”なんてないか)
ところが健全に育っていくと相手に恵まれさえすれば概ねSEXはいたすし、それはごくごく普通の行為で種族保存の行為でもあるわけだ。
崇高な一面さえ持っているSEXを卑猥とか下品とか低俗としてテレビは取り扱おうとしない。
”殺人”が低俗でなくてなんになろう。良く考えて頂きたい。
人生のうちで殺人事件に遭遇する確率はどれぐらいあるだろう。
おそらく刑事でもなければ人生に1度あるかないかだろう。それは何故か?人は”殺人”が悪いことと認識しているからに過ぎない。
SEXは表立ってする行為でないかもしれないが悪いことではないので誰もがいたす。
だからオープンにしてテレビからSEXという行為が流れてきても慣れるまでの間が辛いだけでその後は何にも問題ないのである。
それこそ慣れてしまえば性教育もしやすいし性犯罪は必ず減るのである。
「決して覗いたりしてはいけませぬ」
なんて言われたら見てみたいものなC