”黙殺の音”低周波音 silent killer

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入院、初めての手術 コロナ続く

2021-02-14 21:51:28 | その他徒然

昨今の私に続く体調不良はこの頃から始まったようだ。



18/07

この歳の誕生日近辺から体調が何度目かの絶不調。嫌な予感がしたが、10月には甘い辛いはそれだけを取り出した様な単純な味しか感じなくなり、その中間を繋ぐ味、言ってみればうま味と言うモノを感じない、「原色の味」になった。

それは何が問題かというと食欲がなくなり、ドンドン痩せていくことだ。それが私の味覚障害である。



09/08

味覚障害は思い返せば、以前トルコに出かけた夏、突然襲ってきた。首都アンカラの駅舎内のレストランで、初めてトルコ料理なるモノの昼食を食べたとき何を食べても異様に不味いのだ。これは単にこのレストランの料理が不味いのだと思ったが、その後何処の料理も不味い。

トルコ料理は世界三大料理(中華料理 、フランス料理 、トルコ料理)の一つに入っているというので、格別の期待は無かったモノのの、それにしてもこれは不味すぎる、と言ってはいけなければ、とにかく私の口に合わなかった。

その後帰宅してからなじみのいくつかのレストランにも行ったのだが、これも実に不味い。「ここはこんな味だったか」、と妻に聞いたが「こんなもんよ」と言う。実は家の料理も不味い。

内科医に聞けば、「甘い、辛いを感じなくなるとは聞くが、旨味とは…」と言うことである。

半年ほどこの状態は続き、夏バテもあってか、食欲は急激に一段と落ちていく。当然ながらそれを追うように体重が目に見えて減っていく。10kgは減った。それから忘れたかと思う様に冬には味を感じるようになり、体重は戻った。

しかし、その後、この状態は時期を定めず1年置きくらいに起きるようになった。



13/01

それまでは足の裏だけだった痺れが、薄手の足袋を履いたような感じで足首までの痺れとなった。以前から続く腰の痛みは一段と酷くなる。医師の話では、これは腰のヘルニアの異常が脳に伝わり、それが足の痺れとして出ると言うのだから面倒だ。挙げ句にこの足の痺れというのは、腰の手術をしても完治しない場合が多いという。挙げ句に手術が上手くいかなければ下半身不随になるかも知れないと言う。

#低周波音被害#と言い、脳というモノはいざとなると困ったモノだ。


16/01

「体調絶不調」とメモしてあるが具体的にはどうであったのか、今となっては全く思い出せないが味覚障害での食欲がなくなり、の激痩せだろう。これでは「メモ」がメモ(=覚え書き)の役目を果たしていない。15年秋からの症状が一段とぶり返しているのだろうか。2月初旬にはひとまず治まったようだ。

だが、8/11の盆に父47回忌、母33回忌を寺にて執り行ったが、この時の昼食も、味覚障害のせいか全く食欲がなく、もちろん旨味みを感じなかった。


17/09

体調が比較的穏やかだったのだろう。秋には従兄弟夫婦と04/08年以来の台湾へ行く。

外から見れば穏やかな国に見えたが、帰りしなに、囲碁好きな男性ガイドとの雑談で、その頃私は台中関係を気にしてはいなかったが、話の種くらいで、「中国はどう?」と振ってみると、「考えるのも嫌だ」と、本当に嫌なんだろうなーと思わせる暗い顔になった。

「金門島事件」に話を変えてみると、「私も徴兵で前線に立っていた」と言うことで、少し話は弾んだ。「台湾がまさかの時に頼えるのは日本だけだ。その際は。宜しく」と言われても、私には、お答えできないが…。

台湾での食事に格別の不満がなかったのだから味覚障害は治まっていたのかも知れない。

台湾は中国が近くになく、水事情が良ければ本当に良いところだ。旅行で行くには最高の国だ。


18/06

香港が中国に返還される1997年直前の1995年以来の6月の香港・マカオの旅で見る街の変化は、報道でそれなりに知ってはいたものの、香港中心部の人とビルの多さ、マカオのホテル・カジノの異様なビル群の激変ぶりは想像を遙かに越えるモノであった。

ほとんど雨続きの上、詰め込みスケジュールのこの旅の疲れが本格的味覚障害に繋がったらしく、帰国以後本格的な味覚障害と体調不良が始まった。それに輪をかけたのが7月からの暑さだった。


18/09

9月初めに久しぶりに孫まで集まり美ヶ原、軽井沢、安曇野と言う私にとっては若い頃子供たちを連れてよく言った行ったルートに出た。何とも辛かったが、この景色もこれで見納めかなーと思うものの、味覚障害はほぼ最悪であった。

最終日は前日から超不調だったので、昨夜考えたように、朝食が済むと直ぐに、息子に穂高駅まで送って貰い、列車で一人先に帰宅した。


18/12/31

父50回忌、母37回忌、姉47回忌、兄7回忌を執り行った。味覚障害は続き、この頃には、68kgあった体重は58kgになっていた。


19/01

TVの健康番組で、狭心症をやっていて、その中の最後の症例で、「安静時狭心症」と言うのを紹介していた。症状が良く当てはまる。かかりつけ医に行って話す。


19/02/22

予約をとった地域の病院へ行く。3/15検査。慢性狭心症の疑い。

4/10検査手術。4/25 1度目の手術。5/15 2度目の手術。平成から令和に跨いだ私の初めての手術は終わった。入院前から食欲は既にほとんどなく、もともと美味くは無い入院食は半分くらいしか食べられない。体重54.6kg。


手術と言っても、「カテーテル手術で、ステントを挿入して血管を広げる」と言うので、心臓手術としては現在主流らしい。と、マー簡単にはこうなんだが、医師の説明は実に不十分だったが、最中の自分は実は一体何を聞けば良いのかが分からず、多くはその直前、後から延々とネットで調べ、自分で納得したのだが、術後の体調が極めて悪い。


その後の術後観察、検査。6/3 CT。6/7 タリウム。7/9 超音波。体重48.3kg。9/26 エコー。9/30 タリウム。12/2 超音波。12/9 エコー。ここまでほとんど寝たきり。


20/01/27

CT。異常は見つからず。ここで、カテーテル検査を勧められる。しかし、やっとの思いで体重は55.5kgに戻ってきたところだ。ここで、検査をすれば、再び数kg減ると思えて仕方ない。大いなる不安は残るが断る。


21/01 

未だに心臓に痛みの様な存在を感じる。コロナ渦の生活は退院後の「寝たきり蟄居」よりは私的には随分増しだ。一度落ちた全身の筋肉は全く戻らない。

ゾンビの如く散歩している老人を見ると、老人の自分も歩かねばと思うのだが、この寒さの中、風邪でも引いたら元も子もないと思う蟄居の日々が続く。

そもそもこところ、子どもや孫達からはコロナ感染者扱いだ。と言うより、無症状のあちらが、基礎疾患のある私にコロナをうつしてはいけないと思っているのかもしれない。

私的にはここで、コロナでバッタリ行くも良いのだが、今でもコロナの後遺症的な倦怠感が悪化したり、味覚障害が復活して延々と続いていくのは堪らない。


ワクチン注射は、医療従事者、高齢者、基礎疾患者を優先的にと言う話だが、現在のところ医療従事者の感染率は極めて低いという。この人達には予防になるかもしれない。だが、高齢者、基礎疾患者など基礎体力のない人間には反って毒になりはしまいか。


体重は55.5kgになってしまった。やはり散歩をしなくては、

と思って居る内に、妻は一番下の孫とプールに行ってしまった。

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