何とか暑い夏を乗り切った9月から、姪の結婚式、義父の葬式、従姉の葬式、義母の入院と、身の回りが何時になく忙しい日々でした。
そんな中を縫って同級生とのお約束で、久しぶりに11/27嵯峨野巡りで、清涼寺、宝筐院、二尊院近辺から野宮神宮へとぶらぶらして、仁和寺から妙心寺、そして、天満宮、最後は虎屋でお汁粉と、途中幾つかをカットして巡りました。15kmくらい歩いたようです。
そして、12月に田中さんは旅立たれたのですが、見事に戦い抜かれた高崎エコキュート裁判の結審を聞かれてでしょうか。田中さんの後半生は低周波音問題との闘いと伴に有ったようです。そして、その解決を心から願った一人でした。「私が死んだら低周波音でどのくらい体がボロボロになっているか、解剖して欲しい」と言って見え、この十年は病院通がお仕事でした。
私が知る最後は電話口で口をきく気力もなく、その後療養生活に入られたのでしょう。
浅草生まれで、パーっとしたしたことが好きで、私を甥っ子のように思ってくださいました。チャキチャキの、意地のある、”東京訛り”の元気な女性でした。