サクヤが庭で花いじりをしている。キジローが見ているのに気づくと、軽く笑って手をひらひらと振った。
その笑顔は20年ばかり前に初めて会った時と少しも変わりがない。
秋の波長が長くなった午後の日差しに白く透けている。今にも光に溶けてしまいそうだ。
今ひと時、ここに一緒にいられるだけで幸運なのだ、と考えるようにしていた。
サクヤもエクルーも異界からの客人なのだと。
本当はもっと早く2人を解放すべきだったのだと、わかっていた。
俺はもう大丈夫だから。行ってこい、と。
スオミはもうイドラに先に行っている。2人を必要としているのはわかっていた。教団はすでに解体した。最早こんな辺境の惑星で隠れている必要はない。自分のわがままだけで、引きとめているのだ。
だが、どうしても言えなかった。
サクヤが片手にアネモネの白い花束、片手に花ばさみを持って、キジローのいるポーチに歩いて来た。
「お店はもういいの?」
「ああ、いつも通り客は少ないし。ベルが鳴ればこっちにも聞えるだろう」
元よりキジローが家の表側でやってる配管工の店は、暇つぶしかカモフラージュのようなものだ。生活は昔の貯蓄で難なくやりくりできた。
サクヤは花を抱えたまま、ロッキングチェアーに座ったキジローのひざにふわっと横座りに乗った。空いた右手で、キジローの額に軽く触れて微笑んだ。
「白髪が増えたわね。あなたは白髪の方が似合うのかも」
ふっと身体を屈めて、額に軽くキスした。
「ロマンス・グレーのキジローを見たかった。きっとセクシーだと思う」
サクヤが自分からキスしてくるなんて、まったく珍しいことだった。それに”見たかった”?
キジローが戸惑っていると、サクヤがふわっと身体を寄せてきて耳元でささやいた。
「ごめんね。私、行くわ」
ふいにひざが軽くなって、後には散らばった白い花だけが残った。
一瞬、何が起こったかわからなかった。ずっと覚悟して来たとはいえ、こうも突然にこうもあっけなく行ってしまうのか? 何も残さずに?
音とも風とも言えない気配が知らせて、キジローは2階に駆け上がった。子供部屋の床で大の字になって、エクルーが金色の光に包まれていた。無数に飛び交う金色の光の粒。
昔、一度だけ見たことがある。
銀髪のエクルーが死んだ時。サクヤが金の光をすべて自分のうちに吸収して、エクルーの遺体は何も残らなかった。
エクルーはうっとりした表情を浮かべて、目を閉じたまま言った。
「悪いけど、サクヤの光はもらっていく。16年も待ったんだ」
キジローは大きな口を開けて、両手で光の粒を5つ6つかき込んだ。そうしている間に、残りの光はすべてエクルーの身体に吸い込まれてしまった。
「おっさん、けっこう粘るね」
「簡単に渡してたまるかい」
エクルーはため息をついた。
「わかった。もうしばらく預けておくよ」
サクヤは消えてしまった。かき消すように。初めからいなかったかのように。だが代わりに、こうしてデカくて可愛くない息子を残していってくれた。だからまだ、もう少しの間、俺にはやれることがある。
「そんなに長いことじゃない」
キジローは、エクルーの隣にどかっとあぐちをかいた。
「おい、ボウズ(マイ・サン)。ちょっと男同士の話をしたいんだが」
エクルーは寝転がったまま答えた。
「何? お父さんと呼んでくれ、とかサクヤを母さんと呼べ、とかならごめんだよ。人類最大のタブーは犯したくないからね」
「そんなことじゃない。話は簡単だ。後半年この星に残って、カレッジを終了してくれ」
エクルーは寝転がったまま、上体だけ起こして、キジローの方を見た。
「お前は今更、履歴も学歴も要らんかあもしらん。だが、今生ではまだまっさらだろう。正式な記録で、在籍の証明があれば、便利なこともある。こんな片田舎の大学、大してハクはつかないが、ついでだろう。あと半年、この星を出るのを待ってくれ。辛い、今まで普通に成長して誰にも怪しまれなかったんだ」
キジローはエクルーの顔を間近にのぞきこんだ。
「今日から成長が止まるのか?」
「多分ね」
「うらやましい気もするな」
「サクヤもいないのに、生き延びてうれしいもんか」
「ふん。そうすると俺の方がうらやましがられるのかね」
エクルーは驚いて身体をまっすぐに起こすと、向かい合ってあぐらをかいた。
「どういうこと」
「宇宙線障害とかいうヤツが進んでな。ヴァルハラの光を、大気圏外で浴びすぎたんだな。余命半年と言われた」
どこか身体を壊しているのは知っていた。ここ数年見る見る痩せて、サクヤがずっと付き添っていた。だが半年? そんな覚悟はしていなかった。
言葉が出てこなくて、ただ黙って自分を見つめているエクルーに、キジローはまったくいつもと変わらない調子で誘った。
「ポーチに出ようぜ。そろそろ日没だ。夕焼けを拝もう」
キジローはバーボンとアイスペールをポーチに持ってきた。
「飲まないか。サクヤの通夜をやろう」
「俺、一応未成年だけど」
「構わんだろう、今夜くらい。どうせ飲めるんだろう」
「まあね」
氷をカラカラと鳴らして、バーボンをあおったキジローはくっくっと笑った。
「お前本当に、髪が黒くなってから愛想悪くなったよなあ。まあ、昔もガキの時は突っ張ってて扱いにくかった、とサクヤが言ってたが」
エクルーは憮然として答えなかった。
「何が不満なんだ。何千年もサクヤを独占してたんだろう。ここ10年余り、俺が借りてたのがそんなに気にくわないか」
「この10年余りのサクヤが、その前の何千年で見たことないほど穏やかで幸せそうだったのが、気にくわない」
これにはキジローもしばらく言葉がなかった。グラスの氷をカラカラ鳴らしながら、ねぐらに帰るモノマネツグミの群れがぎゃあぎゃあ騒ぐのを聞いていた。エクルーは、顔をそむけて左手で目を隠している。
3番目の星が光る頃、キジローがぽつんと言った。
「何が幸せなんて、はたから見てわかるもんじゃない。サクヤは俺の病気を知っていた。病気の原因も知っていた。彼女は医者だからな。一応、オーナーだったし。だから、この余生は労災保障みたいなもんかと思うようにしていた」
「労災保障?」
「罪滅ぼしってことさ。だから、お前がそんなに口惜しがる必要はない」
「でも本当に幸せそうだった」
「それなら、それは俺の力じゃない。お前がいたからだ」
「そんな気休めいいよ」
「本当だ。サクヤはずっと自分の家族が欲しかったんだろう? この何千年かの人生で、お前はやっとできた本当の家族だ。俺は父親役をかって出ただけだ。だがこの10年ばかし、この家族ごっこは俺も楽しかった」
キジローは、エクルーのグラスにお替わりをついで、自分は3杯目のロックを作った。
「お前のことも、けっこういい息子のような気がしてたんだぜ。タネは誰のもんかわからんがな」
赤い目をしたまま、エクルーがぷっと吹き出した。
「今更、そういうこと言う?」
キジローはグラスをカツンとぶつけた。
茜色から薄紫のグラデーションになった空に白い細い月が出ていた。
「飲もうぜ、兄弟」
タバコをふかしながら、エクルーがぼそっと言った。
「この星に来てからさ、サクヤ、ずっと生成りのワンピース着てただろう?」
「そういや、あればっか着てるなあ」
「ああいう少女趣味というか戦闘向きじゃない服って、昔は着るの嫌がってたんだよ。俺の趣味で勝手に買ってきただけで。でもここではやっぱり守られてる安心感で着るのかなって、ちょっと口惜しかった」
「守られるって俺にか? 俺はずっと、お前の眼の色に合うから、着てるんだと思ってたよ」
2人は顔を見合わせて、ぶっと笑った。
「こんな事で張り合っても今更しょうがないだろう」
「本当だ。サクヤに笑われるな」
「お前、モクやったっけ?」
「いや、たまにだけど。あ、身体に障るかな?」
「今更、何を。俺にも1本くれ。」
エクルーの紙巻きタバコから火を移して、キジローも煙をふかした。
「ふう。久しぶりだな」
キジローがじっと見ているので、エクルーが聞いた。
「何だよ?」
「いやあ、そうやってると、お前さんも一人前の男に見えるなあ、と思って」
エクルーはムッとした。
「そうやって父親らしい感慨にふけらないでもらいたいね。じゃあ、今まで何に見えてたってんだい」
「反抗期のマザコン少年ってとこかね」
キジローは煙をふぅーっと吐いた。エクルーは絶句していた。
「俺は老い先短いからいいとして、お前、このままマザコン続けるのはしんどいぞ」
「マザコンじゃないってば」
「いや、わかってる、兄弟」
「その兄弟ってのもやめてくれよ、品のない。サクヤが怒るよ」
「そういうつもりはなかったんだが……でも結局、俺達の縁てサクヤが要なんだよ。これからどうするかね。もう少し、親子ごっこ続けるか?」
「おっさんがそれでいいのなら、もうしばらくつきあってもいい」
「俺は親子じゃなくてもいいな」
キジローは煙草を指にはさんだまま、グラスからロックを飲んだ。
「女に取り残されたみじめな男2人のやもめ暮しってのはどうだ」
エクルーは思わず噴き出して、ようやくちょっと笑った。
「それって、俺が食事当番固定?」
「当然だろう。お前の方が料理がウマい」
キジローはニッと笑ってグラスを干すと、昔銀髪だった頃のエクルーに使っていた名で呼んだ。
「よろしく頼むぜ、バディ」
卒業式では、首席だったエクルーが、総代としてスピーチすることになった。
この田舎では17才でカレッジ修了は最年少らしい。ひと通り恩師に礼を述べた後、一呼吸おいて続けた。
「僕はこのディプロマを父と母に捧げたいと思います。母は残念ながら、半年前に亡くなりましたが、いつも優しく微笑んでいる人でした。僕は本当に母を愛していました。そして、母をあんなに幸せそうに微笑ませた父を、男として尊敬します。これからは孝行するから、父さん、長生きして下さい」
冗談のような棒読みにもかかわらず、会場のあちこちからすすり泣きがもれた。生前、サクヤに神経痛だの喘息だの診てもらった人ばかりなのだ。スピーチした当人は、純朴な人達だなあ、とやや醒めた目で眺めていた。
ところがキジローまで涙を浮かべているのでびっくりしてしまった。自分の席に戻らず、父兄席の端にいるキジローのところにかけ寄った。
「具合悪いのか? ムリして式に出るから。毛布をもっと取ってくるぞ」
キジローは車椅子にいくつかのチューブで繋がれていた。身体は昔の半分ほどになった気がする。
「俺の用事は済んだ。日の当たるところに出よう。ここは冷える」
教授に断って、車椅子を押して外に出た。
「ほら、父さん、ジャカランディが満開だ。毎年、サクヤが楽しみにしてたよなあ」
エクルーはひょこっとキジローの声をのぞきこんだ。
「まだしんどい? 家に帰る?」
「いや、大丈夫だ。しばらく花の下にいよう」
うす紫の花がハラハラ落ちてくる。右手を伸ばして、花をひとつ受けるとキジローがポツッと言った。
「俺は娘を失ったが、お前が息子代わりをやってくれてけっこう幸せだったと思ってるよ。前に言ったかな」
「さあ、どうだったかな。俺もキジローが父さんで良かったと思ってる。これは初めて言うよね」
「ああ、初めて聞いた。ずっと僕からママを奪った悪い奴だと思われてると思ってたからな」
「はは。キジロー、知らないだろう。ペトリの件で、キジローを相棒に選んだ1番の理由」
「何だそれ」
「キジローが、サクヤの好みだったからさ。初恋の人にそっくりだったんだよ。サクヤは自覚してなかったけどね」
「何でまたそんなややこしいことしたんだ」
キジローはあきれた。
「そりゃ、俺じゃダメだろうって思ったから。シャトルでどうなるかわかってたし」
「お前も、けっこう厳しい人生送ってるなあ、ボウズ」
「お陰様でね、父さん」
強い風が吹いて、花が一斉に舞った。
「寒くない? 父さん」
「いや、いい気持ちだ。お前、その父さんてのは冗談のつもりか」
「意外にウケたので、楽しくなっちゃってね」とニヤリと笑った。
「ふん。感動してソンしたな」
「いいじゃん、父さんで。見てよ、この黒髪。どっから見ても親子だぜ。ナンブ・キイチローだもんな。笑っちゃうよ」
そのとき、通用口からグレンとスオミが入って来た。
「もう式終わったのか? まだ早いだろう」
「花見に出てきたんだ」
スオミは身体をかがめると、キジローに抱きついた。
「キジロー父さん、元気? エクルーはちゃんと世話してくれてる?」
「ああ、マメなもんだ。料理もうまいし」
「2人とも俺の式のために、わざわざ来てくれたわけじゃないよね?」
「ああ、客を連れて来たんだ。キジローに」
「俺に?」
グレンがジャカランタの木の方に声をかけた。
「ボニー、こっちおいでよ」
その人影はなかなか現れなかった。
スオミが木に近寄って、手をひいて連れてきた。
青い眼球。あの時は12,3くらいだったのに、すっかり成熟した女性になって、まっすぐな黒髪を背中までたらして、心許なげに立っていた。緊張した面持ちで妙にぎこちない話し方をする。オプシディアンの言葉に慣れていないらしい。
「キジローさん。ワタシ、ボニーとイイマス。キリコの……クローン細胞を使ったバイオロイドです。ただのクローンなのに、なぜかワタシ、キリコの記憶がある。キリコの夢を見る。ダカラ、ワタシ、ズット、アナタニアイタイ、と思ってマシタ」
キジローは何も答えられなかった。これは何の冗談だ?
キリコが美しく成長して、目の前に立っている。
「フロロイドの寿命は短い。ワタシの仲間、みな、もう土に還った。ワタシト、アトモウヒトリしかイナイ。だから、ジカンアルウチニ、キリコノキモチツタエタカッタ」
ボニーは車椅子の前にひざをついて、キジローを見上げて言った。
「ダディ、ごめんね。悲しい思いをさせてごめんなさい。でも最後にひとめダディに会えて、私、本当にうれしかった。元気で。幸せになってね」
すっと立ち上がって、2、3歩離れると、ボニーは深々と頭を下げた。
「本当はもっと早く、アナタに伝えるべきだった。でもどうしても会いに来られなかった。だって……」
言いかけたボニーを、車椅子の後ろに立っていたエクルーが止めた。
口に人差し指をあてて、ウインクしながら。
「ボニー、ちょっとそばに来てくれないか」
キジローが手招きした。ボニーがおずおずと近寄ってくると、さらに言った。
「ちょっとかがんで」
キジローは、ボニーの頬に手を当てると、静かに言った。
「ありがとう。わざわざ伝えに来てくれてうれしいよ。もっと早く言ってやりたがったが、あの月の石で起こったゴタゴタはお前のせいじゃない。何も気に病むことはない。お前は幸せになっていいんだぞ?」
キジローはボニーを軽く抱き寄せて、頬にやさしくキスをした。
「きれいになったな。父さんはお前を誇りに思うよ」
ボニーの両目から涙がしたたり落ちた。
「これは何でしょう。コンナコト、初めてです」
キジローはゆっくり、ボニーの髪をなでた。ボニーはキジローのひざにつっぷして泣いた。キリコの思いもボニーの思いも、一緒になって噴き出したようだった。
ジャカランタの花が降りしきる春の庭で、やっと再会した2人をスオミは涙ぐんで見守っていた。
ずっと父親代わりになって自分を育ててくれた父さん。これでやっとキリコに返せた。私ももう、父さんを卒業しなくちゃ。
「ちぇ、俺がせっかく感動のスピーチやったのに、お株をボニーに取られちゃったな」
ポーチでお茶を飲みながら、みなで夕日を眺めていた。
卒業式のためにいとこが来てる、と説明すると近所の人がパイだのポット・ローストだの届けてくれて、5人で食べきれないほどの豪勢なパーティになってしまった。
エクルーはキジローにキルティングのガウンとひざかけをかけた。
「もう中に入った方が良くない?」
「いや、もう少し。日が沈むまで」
キジローは、スオミの入れてくれたジンジャー入りのミルクティーをすすりながら、ポツッと言った。
「ボウズ、ボニー、あんたらにも。頼みがある。俺をイドラに連れて行ってくれないか」
「父さん! ムリよ、遠すぎるわ。ゲートを越えるには体力が……」
エクルーもスオミの言葉を遮って叫んだ。
「そうだよ、キジロー。とても帰ってこられない」
「帰ってこられなくていい。俺はどうせならイドラの土になりたい。キリコも、大きなエクルーも、サクヤも、俺の運命も、全部イドラにあるんだ。最後に、あの星を見たい。本当は、サクヤだってあの星に帰してやらなきゃならなかったんだ。俺のわがままで、ここにしばりつけてしまった」
キジローは自分の胸に手を当てた。
「今ここにサクヤの光がある。解放するなら、イドラの大気の中にしてやりたい」
4人は顔を見合わせて相談した。
「グレンたち定期航路で来たんだろ」
「月に一往復だ。乗り換え4回。2週間の旅。きついぞ」
「テトラを動かすか」
「カンザンとジットク、ここに連れて来てるのか」
グレンは星間高速艇のメカニック・ロボットの名前を覚えていた。どこに行くにもエクルーに付いて行っていた忠実な2人組み。
「うん。今やただのホームコンピューターだけど、船の整備はしてくれてる。あれなら5日だ」
「俺達も乗れる?」
「定員10名」
「航行、手伝イマス。ワタシ、シカクトッタ。ⅡAです」
「私はⅡC」
「俺はⅢB」
「何とかなりそうだな。じゃ、燃料だの食糧だのつめ込んだら、できるだけ早く発とう」
近所の人に、母の故郷に遺骨をもって行くのだ、と言ったら、さらに山ほど食糧品が届けられた。遺骨というのはあながち間違いではない。ただ、骨じゃないだけだ。
婦人会から色違いで手のこんだキルトが3枚届いた。ステッチで名前が入っていた。
キジロー、キイチロー、サクヤ。
エクルーの卒業式に合わせて、ずい分前から準備されてたのもらしい。
イドラに帰るまでの仮住まいだと思っていたが、この小さなコミュニティで家族ごと愛されていたのを実感した。いつの間にかもうひとつの故郷になっていたのだ。
荷物をまとめながら、ふと庭を見ると、スノーフレークやクロッカスの花が咲いていた。
ここ数年、ずい分花が減った。手のかかるものから、近所の花好きの人にもらってもらったりして、この庭はちょっとした園芸教室になっていた。花好きはえてして、花をもらうとお返しにまた自分の育てた花の苗を持ってくるものだが、サクヤは受け取るのを断っていた。
「エクルーが卒業したら、この星を出る予定なんです。私の故郷に」
「スオミちゃんが勉強しに行ってるとこだね」
「ええ、やっと4人で一緒に暮らせるわ」サクヤは微笑んでいた。
イドラにいた頃、俺は不吉な予知夢からサクヤを守っていた。本当にギリギリまで、サクヤは俺がいつ散るか知らなかった。
今度は自分で初めから知っていて、静かに準備していたにちがいない。
自分はもうイドラに戻れない、と知っていた。あんなに愛して、すべてを捧げた星に。
その予感を目隠ししてやることができなかった。読み取って、分かち合うこともできなかった。
今ならその力があるのに。
気がつくと、エクルーは庭を見下ろす窓辺で慟哭していた。
声はうめくようにしか出てこないが、自分でも驚くほど涙が出た。サクヤが散って以来、初めてだった。
キジローの着替えを手伝っていた、ボニーとスオミが同時に天井を見上げると涙ぐんだ。
「どうした?」
「エクルーが……泣いてる……」
キジローは肩をすくめた。
「どっちにしろ、あいつは幸せな奴だね。いつも誰かしら心配してくれる女のコがいて」
イドラに帰るに当たって、エクルーは最初にアマデウスに連絡した。ドームにひしめく執事ロボットの一人で、割合細やかに気配りできるヤツだったからだ。もっとも外見はみなまったく他のヤツと同じなのであるが。
連邦が高性能の通信衛星を上げてくれたお陰で、イドラは”暗黒惑星”ではなくなった。離着陸にはまだ技術を要するが、ヴァルハラが怒り狂ってる時でさえ、TV電話は通じるのである。
「これは若ダンナ。ご無沙汰しております」
エクルーは絶句した。
「何だい、その若ダンナって」
「つまりダンナ様のご子息ですから……」
「とにかく若ダンナはやめてくれ」
「では、坊ちゃま」
「却下だ。エクルーでいい」
「そんな、愛称でお呼びするなど怖れ多い……ではキイチロー様とお呼びさせていただきます」
毎度、このインギンな端末ロボット達にはおちょくられている気分になる。
「それで、キイチロー様、どういったご用件で」
「6日後、そっちに行く。キジローとグレン、スオミ、ボニーと俺、5人だ。キジローと2人でしばらく滞在したい。サクヤのドームはまだ住めるかい」
「住めますが……うーん。キイチロー様に楽しいかもしれませんね。しかしキジロー様は、お身体の具合が良くないとお聞きしております。よござんす。6日のうちに手を入れておきましょう。久しぶりにお頭が張り切ることでやしょう」
お頭というのは多分執事頭のセバスチャンのことだろう。また変な言葉がロボットどもの間で流行っているらしい。きっと古いムービーのデータか何か見つけて、勝手に勉強会をやったのだろう。研究熱心でいいことだ。
エクルーはアマデウスとキジローの病室の準備や車椅子でも困らないように家具の配置換えについて、細かく相談した。
「ハンガーも手入れしておいて。テトラで帰るから」
「それは上々。6日後には電気嵐も止みます。テトラならゲートも快適に通過できるでござんしょう。それでも気をつけておいでなすってください」
その笑顔は20年ばかり前に初めて会った時と少しも変わりがない。
秋の波長が長くなった午後の日差しに白く透けている。今にも光に溶けてしまいそうだ。
今ひと時、ここに一緒にいられるだけで幸運なのだ、と考えるようにしていた。
サクヤもエクルーも異界からの客人なのだと。
本当はもっと早く2人を解放すべきだったのだと、わかっていた。
俺はもう大丈夫だから。行ってこい、と。
スオミはもうイドラに先に行っている。2人を必要としているのはわかっていた。教団はすでに解体した。最早こんな辺境の惑星で隠れている必要はない。自分のわがままだけで、引きとめているのだ。
だが、どうしても言えなかった。
サクヤが片手にアネモネの白い花束、片手に花ばさみを持って、キジローのいるポーチに歩いて来た。
「お店はもういいの?」
「ああ、いつも通り客は少ないし。ベルが鳴ればこっちにも聞えるだろう」
元よりキジローが家の表側でやってる配管工の店は、暇つぶしかカモフラージュのようなものだ。生活は昔の貯蓄で難なくやりくりできた。
サクヤは花を抱えたまま、ロッキングチェアーに座ったキジローのひざにふわっと横座りに乗った。空いた右手で、キジローの額に軽く触れて微笑んだ。
「白髪が増えたわね。あなたは白髪の方が似合うのかも」
ふっと身体を屈めて、額に軽くキスした。
「ロマンス・グレーのキジローを見たかった。きっとセクシーだと思う」
サクヤが自分からキスしてくるなんて、まったく珍しいことだった。それに”見たかった”?
キジローが戸惑っていると、サクヤがふわっと身体を寄せてきて耳元でささやいた。
「ごめんね。私、行くわ」
ふいにひざが軽くなって、後には散らばった白い花だけが残った。
一瞬、何が起こったかわからなかった。ずっと覚悟して来たとはいえ、こうも突然にこうもあっけなく行ってしまうのか? 何も残さずに?
音とも風とも言えない気配が知らせて、キジローは2階に駆け上がった。子供部屋の床で大の字になって、エクルーが金色の光に包まれていた。無数に飛び交う金色の光の粒。
昔、一度だけ見たことがある。
銀髪のエクルーが死んだ時。サクヤが金の光をすべて自分のうちに吸収して、エクルーの遺体は何も残らなかった。
エクルーはうっとりした表情を浮かべて、目を閉じたまま言った。
「悪いけど、サクヤの光はもらっていく。16年も待ったんだ」
キジローは大きな口を開けて、両手で光の粒を5つ6つかき込んだ。そうしている間に、残りの光はすべてエクルーの身体に吸い込まれてしまった。
「おっさん、けっこう粘るね」
「簡単に渡してたまるかい」
エクルーはため息をついた。
「わかった。もうしばらく預けておくよ」
サクヤは消えてしまった。かき消すように。初めからいなかったかのように。だが代わりに、こうしてデカくて可愛くない息子を残していってくれた。だからまだ、もう少しの間、俺にはやれることがある。
「そんなに長いことじゃない」
キジローは、エクルーの隣にどかっとあぐちをかいた。
「おい、ボウズ(マイ・サン)。ちょっと男同士の話をしたいんだが」
エクルーは寝転がったまま答えた。
「何? お父さんと呼んでくれ、とかサクヤを母さんと呼べ、とかならごめんだよ。人類最大のタブーは犯したくないからね」
「そんなことじゃない。話は簡単だ。後半年この星に残って、カレッジを終了してくれ」
エクルーは寝転がったまま、上体だけ起こして、キジローの方を見た。
「お前は今更、履歴も学歴も要らんかあもしらん。だが、今生ではまだまっさらだろう。正式な記録で、在籍の証明があれば、便利なこともある。こんな片田舎の大学、大してハクはつかないが、ついでだろう。あと半年、この星を出るのを待ってくれ。辛い、今まで普通に成長して誰にも怪しまれなかったんだ」
キジローはエクルーの顔を間近にのぞきこんだ。
「今日から成長が止まるのか?」
「多分ね」
「うらやましい気もするな」
「サクヤもいないのに、生き延びてうれしいもんか」
「ふん。そうすると俺の方がうらやましがられるのかね」
エクルーは驚いて身体をまっすぐに起こすと、向かい合ってあぐらをかいた。
「どういうこと」
「宇宙線障害とかいうヤツが進んでな。ヴァルハラの光を、大気圏外で浴びすぎたんだな。余命半年と言われた」
どこか身体を壊しているのは知っていた。ここ数年見る見る痩せて、サクヤがずっと付き添っていた。だが半年? そんな覚悟はしていなかった。
言葉が出てこなくて、ただ黙って自分を見つめているエクルーに、キジローはまったくいつもと変わらない調子で誘った。
「ポーチに出ようぜ。そろそろ日没だ。夕焼けを拝もう」
キジローはバーボンとアイスペールをポーチに持ってきた。
「飲まないか。サクヤの通夜をやろう」
「俺、一応未成年だけど」
「構わんだろう、今夜くらい。どうせ飲めるんだろう」
「まあね」
氷をカラカラと鳴らして、バーボンをあおったキジローはくっくっと笑った。
「お前本当に、髪が黒くなってから愛想悪くなったよなあ。まあ、昔もガキの時は突っ張ってて扱いにくかった、とサクヤが言ってたが」
エクルーは憮然として答えなかった。
「何が不満なんだ。何千年もサクヤを独占してたんだろう。ここ10年余り、俺が借りてたのがそんなに気にくわないか」
「この10年余りのサクヤが、その前の何千年で見たことないほど穏やかで幸せそうだったのが、気にくわない」
これにはキジローもしばらく言葉がなかった。グラスの氷をカラカラ鳴らしながら、ねぐらに帰るモノマネツグミの群れがぎゃあぎゃあ騒ぐのを聞いていた。エクルーは、顔をそむけて左手で目を隠している。
3番目の星が光る頃、キジローがぽつんと言った。
「何が幸せなんて、はたから見てわかるもんじゃない。サクヤは俺の病気を知っていた。病気の原因も知っていた。彼女は医者だからな。一応、オーナーだったし。だから、この余生は労災保障みたいなもんかと思うようにしていた」
「労災保障?」
「罪滅ぼしってことさ。だから、お前がそんなに口惜しがる必要はない」
「でも本当に幸せそうだった」
「それなら、それは俺の力じゃない。お前がいたからだ」
「そんな気休めいいよ」
「本当だ。サクヤはずっと自分の家族が欲しかったんだろう? この何千年かの人生で、お前はやっとできた本当の家族だ。俺は父親役をかって出ただけだ。だがこの10年ばかし、この家族ごっこは俺も楽しかった」
キジローは、エクルーのグラスにお替わりをついで、自分は3杯目のロックを作った。
「お前のことも、けっこういい息子のような気がしてたんだぜ。タネは誰のもんかわからんがな」
赤い目をしたまま、エクルーがぷっと吹き出した。
「今更、そういうこと言う?」
キジローはグラスをカツンとぶつけた。
茜色から薄紫のグラデーションになった空に白い細い月が出ていた。
「飲もうぜ、兄弟」
タバコをふかしながら、エクルーがぼそっと言った。
「この星に来てからさ、サクヤ、ずっと生成りのワンピース着てただろう?」
「そういや、あればっか着てるなあ」
「ああいう少女趣味というか戦闘向きじゃない服って、昔は着るの嫌がってたんだよ。俺の趣味で勝手に買ってきただけで。でもここではやっぱり守られてる安心感で着るのかなって、ちょっと口惜しかった」
「守られるって俺にか? 俺はずっと、お前の眼の色に合うから、着てるんだと思ってたよ」
2人は顔を見合わせて、ぶっと笑った。
「こんな事で張り合っても今更しょうがないだろう」
「本当だ。サクヤに笑われるな」
「お前、モクやったっけ?」
「いや、たまにだけど。あ、身体に障るかな?」
「今更、何を。俺にも1本くれ。」
エクルーの紙巻きタバコから火を移して、キジローも煙をふかした。
「ふう。久しぶりだな」
キジローがじっと見ているので、エクルーが聞いた。
「何だよ?」
「いやあ、そうやってると、お前さんも一人前の男に見えるなあ、と思って」
エクルーはムッとした。
「そうやって父親らしい感慨にふけらないでもらいたいね。じゃあ、今まで何に見えてたってんだい」
「反抗期のマザコン少年ってとこかね」
キジローは煙をふぅーっと吐いた。エクルーは絶句していた。
「俺は老い先短いからいいとして、お前、このままマザコン続けるのはしんどいぞ」
「マザコンじゃないってば」
「いや、わかってる、兄弟」
「その兄弟ってのもやめてくれよ、品のない。サクヤが怒るよ」
「そういうつもりはなかったんだが……でも結局、俺達の縁てサクヤが要なんだよ。これからどうするかね。もう少し、親子ごっこ続けるか?」
「おっさんがそれでいいのなら、もうしばらくつきあってもいい」
「俺は親子じゃなくてもいいな」
キジローは煙草を指にはさんだまま、グラスからロックを飲んだ。
「女に取り残されたみじめな男2人のやもめ暮しってのはどうだ」
エクルーは思わず噴き出して、ようやくちょっと笑った。
「それって、俺が食事当番固定?」
「当然だろう。お前の方が料理がウマい」
キジローはニッと笑ってグラスを干すと、昔銀髪だった頃のエクルーに使っていた名で呼んだ。
「よろしく頼むぜ、バディ」
卒業式では、首席だったエクルーが、総代としてスピーチすることになった。
この田舎では17才でカレッジ修了は最年少らしい。ひと通り恩師に礼を述べた後、一呼吸おいて続けた。
「僕はこのディプロマを父と母に捧げたいと思います。母は残念ながら、半年前に亡くなりましたが、いつも優しく微笑んでいる人でした。僕は本当に母を愛していました。そして、母をあんなに幸せそうに微笑ませた父を、男として尊敬します。これからは孝行するから、父さん、長生きして下さい」
冗談のような棒読みにもかかわらず、会場のあちこちからすすり泣きがもれた。生前、サクヤに神経痛だの喘息だの診てもらった人ばかりなのだ。スピーチした当人は、純朴な人達だなあ、とやや醒めた目で眺めていた。
ところがキジローまで涙を浮かべているのでびっくりしてしまった。自分の席に戻らず、父兄席の端にいるキジローのところにかけ寄った。
「具合悪いのか? ムリして式に出るから。毛布をもっと取ってくるぞ」
キジローは車椅子にいくつかのチューブで繋がれていた。身体は昔の半分ほどになった気がする。
「俺の用事は済んだ。日の当たるところに出よう。ここは冷える」
教授に断って、車椅子を押して外に出た。
「ほら、父さん、ジャカランディが満開だ。毎年、サクヤが楽しみにしてたよなあ」
エクルーはひょこっとキジローの声をのぞきこんだ。
「まだしんどい? 家に帰る?」
「いや、大丈夫だ。しばらく花の下にいよう」
うす紫の花がハラハラ落ちてくる。右手を伸ばして、花をひとつ受けるとキジローがポツッと言った。
「俺は娘を失ったが、お前が息子代わりをやってくれてけっこう幸せだったと思ってるよ。前に言ったかな」
「さあ、どうだったかな。俺もキジローが父さんで良かったと思ってる。これは初めて言うよね」
「ああ、初めて聞いた。ずっと僕からママを奪った悪い奴だと思われてると思ってたからな」
「はは。キジロー、知らないだろう。ペトリの件で、キジローを相棒に選んだ1番の理由」
「何だそれ」
「キジローが、サクヤの好みだったからさ。初恋の人にそっくりだったんだよ。サクヤは自覚してなかったけどね」
「何でまたそんなややこしいことしたんだ」
キジローはあきれた。
「そりゃ、俺じゃダメだろうって思ったから。シャトルでどうなるかわかってたし」
「お前も、けっこう厳しい人生送ってるなあ、ボウズ」
「お陰様でね、父さん」
強い風が吹いて、花が一斉に舞った。
「寒くない? 父さん」
「いや、いい気持ちだ。お前、その父さんてのは冗談のつもりか」
「意外にウケたので、楽しくなっちゃってね」とニヤリと笑った。
「ふん。感動してソンしたな」
「いいじゃん、父さんで。見てよ、この黒髪。どっから見ても親子だぜ。ナンブ・キイチローだもんな。笑っちゃうよ」
そのとき、通用口からグレンとスオミが入って来た。
「もう式終わったのか? まだ早いだろう」
「花見に出てきたんだ」
スオミは身体をかがめると、キジローに抱きついた。
「キジロー父さん、元気? エクルーはちゃんと世話してくれてる?」
「ああ、マメなもんだ。料理もうまいし」
「2人とも俺の式のために、わざわざ来てくれたわけじゃないよね?」
「ああ、客を連れて来たんだ。キジローに」
「俺に?」
グレンがジャカランタの木の方に声をかけた。
「ボニー、こっちおいでよ」
その人影はなかなか現れなかった。
スオミが木に近寄って、手をひいて連れてきた。
青い眼球。あの時は12,3くらいだったのに、すっかり成熟した女性になって、まっすぐな黒髪を背中までたらして、心許なげに立っていた。緊張した面持ちで妙にぎこちない話し方をする。オプシディアンの言葉に慣れていないらしい。
「キジローさん。ワタシ、ボニーとイイマス。キリコの……クローン細胞を使ったバイオロイドです。ただのクローンなのに、なぜかワタシ、キリコの記憶がある。キリコの夢を見る。ダカラ、ワタシ、ズット、アナタニアイタイ、と思ってマシタ」
キジローは何も答えられなかった。これは何の冗談だ?
キリコが美しく成長して、目の前に立っている。
「フロロイドの寿命は短い。ワタシの仲間、みな、もう土に還った。ワタシト、アトモウヒトリしかイナイ。だから、ジカンアルウチニ、キリコノキモチツタエタカッタ」
ボニーは車椅子の前にひざをついて、キジローを見上げて言った。
「ダディ、ごめんね。悲しい思いをさせてごめんなさい。でも最後にひとめダディに会えて、私、本当にうれしかった。元気で。幸せになってね」
すっと立ち上がって、2、3歩離れると、ボニーは深々と頭を下げた。
「本当はもっと早く、アナタに伝えるべきだった。でもどうしても会いに来られなかった。だって……」
言いかけたボニーを、車椅子の後ろに立っていたエクルーが止めた。
口に人差し指をあてて、ウインクしながら。
「ボニー、ちょっとそばに来てくれないか」
キジローが手招きした。ボニーがおずおずと近寄ってくると、さらに言った。
「ちょっとかがんで」
キジローは、ボニーの頬に手を当てると、静かに言った。
「ありがとう。わざわざ伝えに来てくれてうれしいよ。もっと早く言ってやりたがったが、あの月の石で起こったゴタゴタはお前のせいじゃない。何も気に病むことはない。お前は幸せになっていいんだぞ?」
キジローはボニーを軽く抱き寄せて、頬にやさしくキスをした。
「きれいになったな。父さんはお前を誇りに思うよ」
ボニーの両目から涙がしたたり落ちた。
「これは何でしょう。コンナコト、初めてです」
キジローはゆっくり、ボニーの髪をなでた。ボニーはキジローのひざにつっぷして泣いた。キリコの思いもボニーの思いも、一緒になって噴き出したようだった。
ジャカランタの花が降りしきる春の庭で、やっと再会した2人をスオミは涙ぐんで見守っていた。
ずっと父親代わりになって自分を育ててくれた父さん。これでやっとキリコに返せた。私ももう、父さんを卒業しなくちゃ。
「ちぇ、俺がせっかく感動のスピーチやったのに、お株をボニーに取られちゃったな」
ポーチでお茶を飲みながら、みなで夕日を眺めていた。
卒業式のためにいとこが来てる、と説明すると近所の人がパイだのポット・ローストだの届けてくれて、5人で食べきれないほどの豪勢なパーティになってしまった。
エクルーはキジローにキルティングのガウンとひざかけをかけた。
「もう中に入った方が良くない?」
「いや、もう少し。日が沈むまで」
キジローは、スオミの入れてくれたジンジャー入りのミルクティーをすすりながら、ポツッと言った。
「ボウズ、ボニー、あんたらにも。頼みがある。俺をイドラに連れて行ってくれないか」
「父さん! ムリよ、遠すぎるわ。ゲートを越えるには体力が……」
エクルーもスオミの言葉を遮って叫んだ。
「そうだよ、キジロー。とても帰ってこられない」
「帰ってこられなくていい。俺はどうせならイドラの土になりたい。キリコも、大きなエクルーも、サクヤも、俺の運命も、全部イドラにあるんだ。最後に、あの星を見たい。本当は、サクヤだってあの星に帰してやらなきゃならなかったんだ。俺のわがままで、ここにしばりつけてしまった」
キジローは自分の胸に手を当てた。
「今ここにサクヤの光がある。解放するなら、イドラの大気の中にしてやりたい」
4人は顔を見合わせて相談した。
「グレンたち定期航路で来たんだろ」
「月に一往復だ。乗り換え4回。2週間の旅。きついぞ」
「テトラを動かすか」
「カンザンとジットク、ここに連れて来てるのか」
グレンは星間高速艇のメカニック・ロボットの名前を覚えていた。どこに行くにもエクルーに付いて行っていた忠実な2人組み。
「うん。今やただのホームコンピューターだけど、船の整備はしてくれてる。あれなら5日だ」
「俺達も乗れる?」
「定員10名」
「航行、手伝イマス。ワタシ、シカクトッタ。ⅡAです」
「私はⅡC」
「俺はⅢB」
「何とかなりそうだな。じゃ、燃料だの食糧だのつめ込んだら、できるだけ早く発とう」
近所の人に、母の故郷に遺骨をもって行くのだ、と言ったら、さらに山ほど食糧品が届けられた。遺骨というのはあながち間違いではない。ただ、骨じゃないだけだ。
婦人会から色違いで手のこんだキルトが3枚届いた。ステッチで名前が入っていた。
キジロー、キイチロー、サクヤ。
エクルーの卒業式に合わせて、ずい分前から準備されてたのもらしい。
イドラに帰るまでの仮住まいだと思っていたが、この小さなコミュニティで家族ごと愛されていたのを実感した。いつの間にかもうひとつの故郷になっていたのだ。
荷物をまとめながら、ふと庭を見ると、スノーフレークやクロッカスの花が咲いていた。
ここ数年、ずい分花が減った。手のかかるものから、近所の花好きの人にもらってもらったりして、この庭はちょっとした園芸教室になっていた。花好きはえてして、花をもらうとお返しにまた自分の育てた花の苗を持ってくるものだが、サクヤは受け取るのを断っていた。
「エクルーが卒業したら、この星を出る予定なんです。私の故郷に」
「スオミちゃんが勉強しに行ってるとこだね」
「ええ、やっと4人で一緒に暮らせるわ」サクヤは微笑んでいた。
イドラにいた頃、俺は不吉な予知夢からサクヤを守っていた。本当にギリギリまで、サクヤは俺がいつ散るか知らなかった。
今度は自分で初めから知っていて、静かに準備していたにちがいない。
自分はもうイドラに戻れない、と知っていた。あんなに愛して、すべてを捧げた星に。
その予感を目隠ししてやることができなかった。読み取って、分かち合うこともできなかった。
今ならその力があるのに。
気がつくと、エクルーは庭を見下ろす窓辺で慟哭していた。
声はうめくようにしか出てこないが、自分でも驚くほど涙が出た。サクヤが散って以来、初めてだった。
キジローの着替えを手伝っていた、ボニーとスオミが同時に天井を見上げると涙ぐんだ。
「どうした?」
「エクルーが……泣いてる……」
キジローは肩をすくめた。
「どっちにしろ、あいつは幸せな奴だね。いつも誰かしら心配してくれる女のコがいて」
イドラに帰るに当たって、エクルーは最初にアマデウスに連絡した。ドームにひしめく執事ロボットの一人で、割合細やかに気配りできるヤツだったからだ。もっとも外見はみなまったく他のヤツと同じなのであるが。
連邦が高性能の通信衛星を上げてくれたお陰で、イドラは”暗黒惑星”ではなくなった。離着陸にはまだ技術を要するが、ヴァルハラが怒り狂ってる時でさえ、TV電話は通じるのである。
「これは若ダンナ。ご無沙汰しております」
エクルーは絶句した。
「何だい、その若ダンナって」
「つまりダンナ様のご子息ですから……」
「とにかく若ダンナはやめてくれ」
「では、坊ちゃま」
「却下だ。エクルーでいい」
「そんな、愛称でお呼びするなど怖れ多い……ではキイチロー様とお呼びさせていただきます」
毎度、このインギンな端末ロボット達にはおちょくられている気分になる。
「それで、キイチロー様、どういったご用件で」
「6日後、そっちに行く。キジローとグレン、スオミ、ボニーと俺、5人だ。キジローと2人でしばらく滞在したい。サクヤのドームはまだ住めるかい」
「住めますが……うーん。キイチロー様に楽しいかもしれませんね。しかしキジロー様は、お身体の具合が良くないとお聞きしております。よござんす。6日のうちに手を入れておきましょう。久しぶりにお頭が張り切ることでやしょう」
お頭というのは多分執事頭のセバスチャンのことだろう。また変な言葉がロボットどもの間で流行っているらしい。きっと古いムービーのデータか何か見つけて、勝手に勉強会をやったのだろう。研究熱心でいいことだ。
エクルーはアマデウスとキジローの病室の準備や車椅子でも困らないように家具の配置換えについて、細かく相談した。
「ハンガーも手入れしておいて。テトラで帰るから」
「それは上々。6日後には電気嵐も止みます。テトラならゲートも快適に通過できるでござんしょう。それでも気をつけておいでなすってください」
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