文武両道を謳う飛鳥高校は、運動部と文化部に各ひとつずつ所属することが必須である。活動内容によって週2日の部と週3日の部があって、合計5日になるように選択する。大会やコンクールなどの前で特訓期間になると、練習日が増えるので、もうひとつの方の部は公式に休めるルールになっている。
何に入るか迷ったが、運動部はワンダーフォーゲル部にした。普段はランニングやジムのマシンで体力作りをして、月1、2回、近郊の山を歩き、長期休暇にはキャンプや山小屋泊などで合宿があるらしい。というのも、紫ちゃんのいる山寺が、割としっかり山らしいのだ。紫ちゃんは10歳くらいからあちこち山を巡って、五葉と水源の浄化や龍脈の調律などの仕事をしていたので、今の寄宿先の山でもブランカと楽々石段を駆け上っているらしいが、こちらはそうはいかない。進学校志望の受験生ということでいろいろ免除されて、境内の掃除さえろくに手伝って来なかった。年季の入った運動不足のインドア派なので、身体を鍛えて夏休みに紫ちゃんとブランカに会いに行こうと思ったのだ。
紫ちゃんはというと、新さんに勧められて高校で柔道部に入り、元々体力もあったので、けっこう強い選手になって県大会の個人戦で準優勝したりした。団体戦でも所属部がだんだん強くなって来て、去年は九州大会ベスト4、今年は全国大会出場を目指して張り切っているらしい。女子柔道部はさっぱりした気質の子が多いみたいで、小中学校では孤立しがちだった紫ちゃんに女子の友人がたくさん出来たようだ。今年は高3なのに引退せず、楽しそうに部活に励んでいる。柔道に打ち込み過ぎて、紫ちゃんがムキムキになったらどうしよう、とちょっと心配だったが、試合などは体重別に階級が分かれているので、50kg以下級の紫ちゃんは、高校に入って身長が伸びたこともあって、むしろ体重が増え過ぎないように努力しているそうだ。九州の高校に進んで、無責任な噂を流すイケズなご近所さんから解放されたためか、山寺のおおらかな人々やブランカに囲まれて、柔道部の仲間も出来て、紫ちゃんは見違えるように明るくなった。家族から離れてひとりの土地で、前向きに頑張ってる紫ちゃんはえらいと思う。私もいつまでもめそめそしていないで、体力つけて頑張ろう、と思えたのだ。
紫ちゃんは高校に行ってから、もうひとつ趣味が増えた。洋裁だ。住職さんの奥さんがミシンを持っていて貸してくれるらしい。身長が伸びて、柔道の筋トレで肩や腕が逞しくなったこともあって、既製服があまり似合わないらしい。ケータイで送ってくる写真が、制服かトレーニングのジャージ姿ばかりなので、毎月の仕送りの他に母がお小遣いを送って『服でも買いなさい』と勧めたら、そのお金で生地と型紙を買って来て、自分でワンピースを作ったのが始まり。そこでハマって、どんどん複雑なパターンの立体的な縫製にチャレンジするようになった。『パズルみたいで楽しいのよ』と言って、お正月に帰って来た時に私の採寸をして、私のジャケットを作ってくれたりした。オーバーサイズ気味にガボッと着ていた制服の上着も、紫ちゃんがあちこち摘んで、肩幅ぴったりに直してくれた。ついでに『私、肩が入らなくなっちゃったから』とお下がりの服をどっさりくれた。持つべきものは姉である。紫ちゃんは身長が伸びて肩幅広くなり、私はいつまでも身長150センチ以下。自分の着物を娘に譲れない、と母が嘆いている。
文化部は、古文書クラブというのに入った。実質、郷土史研究部である。周囲の寺社や資料館で古文書を見せてもらったり、石碑の碑文を読んだりする。書道部別働隊とも呼ばれていて、古書や碑文をいろんな字体で書いて文化祭や書道展に出したりする。先生や碧ちゃんと一緒の時はスラスラ読んでもらえるが、自分でも読めるようになりたいと思っていたのだ。新さんが来てから、黒曜本人も参加した黒曜探偵団が活性化して、古書店を漁ったり、図書館の書庫で閲覧させてもらうことが増えた。顧問の稗田先生が、歴史と書道の先生なので、わからないところは教えてもらえる。
黒曜探偵団の目的は、黒曜や鏡ちゃんの由来や、金の虹彩の姫君とその末裔の物語を調べることだ。リアルタイムで自分自身体験した黒曜や鏡ちゃんにも、それが人間の間で伝わるうちにどう変容したか把握していない部分があるらしい。当時の信仰や思想で、受け取り方が違うようなのだ。『自分のことでしょ』とツッコミたくなるが、黒曜がこの町の弁財天信仰を記述した江戸時代の記述などを感心しながら読んでいたりするのは面白い。また金の眼の姫君の三人の妹の末裔は、かなり広い地域に散らばっていて、鏡ちゃんや黒曜にもフォローし切れなかった部分があるらしい。異能を持つ子孫が生まれた時は、周囲のものに崇敬されたり排斥されたりすることもある。見守って、危険を感じたら避難させて住吉に連れて来たこともあるらしい。それが元の土地でさまざまな形で言い伝えられていたりする。天狗に攫われたとか、鳳凰が降臨したとか、龍神に召し取られたとか。
私が古文書クラブに入ったというと、新さんと先生が顔を見合わせた。そして私を手招きすると、蔵の中の木箱を見せた。中には二十冊ほどの和綴じ本が入っていた。
「葵が高校生になったらこれを読んでもらおう、と桜が言っていたのだ」と先生が説明した。
「江戸時代の写本だが、元のものは小野図書館の書庫に保存してもらっている。これは昭和になってから、住吉の人間が閲覧用に書き写したものだ。オリジナルは平安後期に書かれたもので、作者は源融女(みなもとのとおるのむすめ)。タイトルは火垂(ほたる)日記」
「それって……」
「源融の大姫。つまり幼名阿鳥の日記だ」
「金目のお姫さんの書いたもんでしょう。俺も読ませてもろうたけど、お姫さんののうなった後も記述が続いとおんや。おそらく妹姫が続きを書いとんやと思う。それに明らかに後世の人間が補足したらしい部分もある。そやけど、かなりの部分は金目のお姫さんの言葉や。葵ちゃんのご先祖様やし、それに多分書いたのは、今の葵ちゃんの年頃の時やと思う。かな文字覚えるんやったら、読んだって欲しい」
新さんが、何冊か開いて解説してくれた。写本の写本とはいえ、大事に保管されていたものらしく、変色や虫喰いも無く綺麗な本だった。日記は大姫が輿入れして局をひとつ与えられたところから始まる。言葉を話さない特殊な姫ということで、3つ子の妹姫が侍女として嫁入り道具と一緒に、実家からついて来た。3人の妹だけは、大姫の言葉がわかったからだ。日記は慣れない婚家での生活の描写と、子供時代の回想を行ったり来たりするらしい。
「わかった。読んでみる。わからないとこ、教えてね」
生まれてから一言も話さなかった阿鳥が、生家が没落して源の家の養女になり、貴族に輿入れして、子供を生んで、やがて全て失った生涯。私と同じ年頃の女の子。口に出せない気持ちを日記に吐き出していたのかもしれない。時代も状況も何もかも違うご先祖様。そんな子の気持ちを、私は理解してあげられるだろうか。
高校に入ってから受験勉強から解放された清香は、ますます頻繁にうちに出没するようになった。二の蔵のジャズの練習には、ほぼ毎回見学に来ている。部活は吹奏楽部と軟式テニス部。吹奏楽部でジャズナンバーをやって欲しくてアピールしているらしいが、1年生にはあまり発言権が無く不満らしい。父のバンドでいつか吹きたい、とトランペットを選んだそうだ。3年計画で練習して、大学生になったら入れてください、と言う辺り、根性がある。父のカルテットは、父のサキソフォンがメインなので、トランペットにはあまり出番が無いらしいのだが、トランペットの入るナンバーを地道に練習している。清香が、葵ちゃんも一緒に何かやろうよ、としつこく誘うので困ってしまった。子供の頃ピアノをしばらく習っていたけど、ピアノは新さんに太刀打ち出来ない。元々ジャズはそれほど楽器編成が大きくないのだ。
「コーラスはどうですか。そしたら清香さんも、すぐに参加出来ますし」
山元さんが提案して、清香が乗ってしまった。山元さん、なんてことを。
「ピアノ習てたんなら、葵ちゃん、ソルフェージュもやったんでしょ」
新さんが要らん発言をする。新さんめ。
父が女性コーラスの入るナンバーを何曲か、CDで聴かせてくれた。ううむ。確かにかっこいいけど、自分に歌える気がしない。
「夏祭りで披露したらどうかな」
お父さん、なんてことを言い出すの。新さんと山元さんが、賛同の拍手をした。ひええっ。やめて。私は山登りの体力作りと、日記の読解で忙しいのに。
「葵ちゃん、ワンゲル部で走り込みしてるんでしょ。歌いながら走るとええですよ。肺活量、増えるから」
新さんのアドバイスに、清香がさらに乗ってしまった。
「そうか。私も軟庭で走る時、歌ってたら気が紛れるかも。外周が長くて憂鬱で」
清香は私と同じインドア派だと思っていたのに。意外に根性があって、スポ根タイプだった。しかし、いちいち私を巻き込まないで欲しい。
「朝練の前に、2人で歌いながら外周走ろうよ」
なんでそんなに張り切ってるの。高校に入ったら、紫ちゃんに習って前向きに頑張ろうとは思っていたけど、何だか思いも寄らない方向に転がっている気がする。
新さんめ。ニコニコ気楽な顔して、清香を焚き付けて。これじゃあ、部活4つ入っているようなものじゃない。体力持つだろうか。
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