オリが私の腕を掴んで塔の中を走ってゆく。引っ張られてはいるが、乱暴ではない。鷹ちゃんにそっくりの少年。あなたは誰? 鷹ちゃんのご先祖様? それとも未来の鷹ちゃん? 他人の空似とは思えない。でも、となると、ここで私の知ってる鷹ちゃんと会うのは不可能ということなのだろうか。
ミギワの名前は鷹ちゃんから聞いていた。水際? 汀? 境界線の名前だ。何の境界だろう。彼岸と此岸?
オリと塔の中を走りながら、考えがグルグル巡る。ついて行って大丈夫なのだろうか? でも他に手掛かりは無い。鷹ちゃんを信じる。この出会いに賭ける。
螺旋階段をずいぶん上がった。おそらく私が崖から着地したテラスより、上の階層まで上ったと思う。そこはドーム状の透明な窓に囲まれた管制室のような部屋だった。10人ほどの男女が一斉にこちらを振り向いた。オリが私を見つけた経緯を手短に説明し、みなで私を囲んで首をひねった。もちろん、私を知っている人間などいるわけがない。人々の視線がある男性に集まった。椅子にややだらしない姿勢で座った、疲れた顔をした男性だ。たぶん私と同じくらいの年令だ。肩につくかつかないかのボサボサの黒髪を垂らして、目の下が隈で真っ黒になっていた。他の人達と比べて、特段に立派な服装をしているわけでも王冠をかぶっているわけでもないが、この人が指導者だというのは、すぐわかった。するとこの人がミギワらしい。
「どこかから避難して来たのか? ミルテ、ケガか病気はないか診てやってくれ」
「そうね。あなた、こちらにいらっしゃい」
50歳前後に見える黒髪の女性が、私の手を取って椅子に座らせてくれた。
「どこか痛いところは? お腹は? すいてない?」
質問しながら、慣れた手つきで簡単に診察している。落ち着いた声で話しかけられて、私も少しホッとした。
「たぶん、食事はやらない方がいい」
ミギワがこめかみをもみながら言った。
「なぜ?」
ミルテが聞き返す。
「彼女はたぶん“星読みの影”だ」
一同がザワついた。
「でも、こんなにハッキリ見えるわ。触れるし、体温まで感じられる」
「あまり触れない方がいい。おそらく水も飲ませない方がいいだろう。“戻れなく”なる」
「でも、もうこの塔に星読みはいないだろう? ではリーリャの夢か? それともあの子の?」
オリが問い返す。私の傍に来て、また腕を掴みかけたが、ミギワの言葉を思い出したらしく、手を止めた。
「だったらお前にわかったはずだ。彼女は来訪者だ。無事に帰してやらないといけない」
おそらく私も含めてその場にいる全員にとってそうとうに不可解な状況で、にわかに飲み込みにくい判断だったにもかかわらず、ミギワの支持に従ってスムーズに事態が整理された。ミルテが空いている病室らしい寝台を整えてくれて、そこが私の部屋になった。オリは私の世話係を命じられた。研究者か教師らしい何人かと面談して、私の供述を解析しているらしい。私も彼らの言葉からあれこれ推測してみた。ここがどこで、今はいつなのか。
オリは毎日2、3回、あの水槽のある部屋に行って、親子の様子を見守っていた。機器でモニターされているバイタルは、管制室に送られて医師達がチェックしているらしい。でもあまりにも長い年月変化がないので、この部屋を訪れるのはオリとミギワだけだった。水槽の中の髪の長い女性はリーリャ。彼女とへその緒で繋がっている子供には、まだ名前がない。私の世話係のオリが毎日水槽に通うので、私も一緒に彼女たちを見に行くことになった。緑色の水の中で揺れる母子を見守りながら、オリはいろんなことを話してくれた。時にはミギワも一緒に。
この国には数種の民族が互いに競合しながら住んでいるらしい。一番古い民族は、ミギワやミルテ、リーリャ達のような黒い髪の種族で、“星読み”と呼ばれている。天文学に基づく占星術や数学を中心に文明が発達した。特に女性に予知や鋭い直感能力を持つものが現れ、“司”という役職について宗教行事などを指導する。ミギワは男性では珍しく、優れた直感力を持って生まれたそうだ。ミギワの一族は代々国の指導者だったが、五代前の時代、航空技術、機械技術に優れた種族に征服された。ミギワの祖父は、国司として権力を保証される代わりに、同胞を支配し、征服者に奴隷として提供する独裁者となった。ミギワは父に反逆し、星読みの奴隷を解放し、征服者たちに捕らえられていた学者や政治犯を仲間に引き入れ、この塔に立て籠もってゲリラ活動をしているらしい。
オリたちは“風読み”の民と呼ばれて、征服者たちに奴隷として連れて来られた。生まれつき多くの子供がサイキックやテレパシーなどの異能を持つため、幼児の時から額にコントローラーを埋め込んで、自意識を奪って育てられる。貴族の慰み者にされるだけならまだマシな方で、人体実験や脳神経を使った演算回路の電池として消耗品扱いされ、多くは30歳前後で死を迎える。ミギワたちは風読みの子供たちを略奪しては、コントローラーを外して再教育し、ゲリラの仲間に迎え入れているらしい。星読みの子供は予知能力を政治に利用するため、寺院と呼ばれる機関で管理され、能力が目覚めれば修行の生活、能力がなければ2級市民扱いされる。ミギワたちは寺院の子供も、能力のない子供も少しずつ拐って来ては塔で教育しているらしい。
私はオリに連れられて、塔の地下の学校を見に行った。風読みの子供も星読みの子供も、一緒になって文字を習っていた。
「こんなに子供たちを集めて、ミギワはどうするつもりなの? ずっと内戦状態だって聞いたわ。クーデターでも起こして独立国を作るの?」
「クーデターなんか無駄だ」
オリはきっぱり言った。
「どうして? 風読みも星読みも、酷い目に遭ってるじゃない。このままでいいの?」
「この星に未来はない。それは1000年前からわかってる。征服者たちは、より安全な土地に逃げるために、星読みの力が欲しくてこの国を侵略したんだ」
「未来がないってどういうこと? 何か災害とか、大気汚染とか?」
「戦争だ。反重力装置の暴走でドーム都市と地下コロニーが全滅する。小規模の集落やステーションは生き残るが、資源の補給が出来ない。この宙域の文明は10年以内に完全に滅亡する」
「ちょっと待って。戦争で? 人為的にってこと? 滅亡するって予知されている? あなたたち、それでいいの? なぜ戦争を止めないの?」
「いいわけないだろ。いろいろやってみた。空軍基地を占拠するとか、お偉いさんを拐って説得するとか、広範囲にテレパスで呼び掛けるとか。電波ジャックして放送するとか。思いつくことは何でもやった。でもダメだった」
「なぜダメなの? みんな滅亡しちゃっていいの? その予知を信じてるの?」
オリの明るい色の瞳は、それでも絶望していなかった。
「予知は変えられない。でも滅亡するわけにいかない。だから、ここから逃げ出すんだ」
ここから逃げて、どこへ? 私は答えを知っていた。
彼らは地球に来たのだ。
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