一同は母屋を出て、まず水を汲みに行った。幅広いなだらかな石段を下りて、大きな鳥居をひとつくぐる。「夕方、北の石段から上がって来たんだろう? あっちは裏門、こっちが表門だ。参拝者はだいたいこの西の大鳥居の方から来る」 きさが紀野に説明した。「英一、桂清水はわかるか?」「はいっ。べんてんさまのおみず、ですよね」「よく知ってるな。この水が湧き出している真っ黒な切り株は、雷で . . . 本文を読む
クリスマスパーティーの前日、紀野は豊に叔母を紹介された。考えてみると、豊の両親も祖父にも会ったことがない。みな健在で元気に世界中飛び回っているらしい。元気なのは構わないが、少し豊を放置し過ぎではないだろうか。豊の家族親族全般に何となく反感というか嫌悪感を覚え始めていたところだった。 叔母の杏は何ともさっぱりした気性の女性だった。カメラマンをしているらしい。「息子が2人いて、明日父親 . . . 本文を読む
授業参観のクリスマスパーティーから5日。明け方まで論文を書いていて、午後まで寝ていた紀野が寝ぼけ眼でスマホを見ると、着信が入っていた。83歳の金髪美女からだ。“おでんを喰いに来ないか? 17時に銀を迎えにやる” 果たして17時に、豊と里菜に案内されて、むさ苦しい紀野のアパートに住吉神社の惣領息子が現れた。「有り難いけど……おでん?」「お節の準備で忙しいか . . . 本文を読む
祝勝会は御曹司のスピーチで始まった。「あの子は生まれた時、息をしてなくて僕がこう、息を吹き込んで……」と涙ながらに語ると、「また始まった」「よっ、名調子」などと牧童たちや厩務員からヤジが飛ぶ。どうやらいつも言っているらしい。「トレーニングを始めると、今度は脚の故障が多くて、デビュー戦でも優勝したと思ったら骨折。本当にハラハラし通しでした。しょっちゅう里帰りしてくれる点は親孝行でしたが、その度に育 . . . 本文を読む
関東での仕事を2、3済ませて新幹線で南下した紀野を、駅の北口でピックアップしたのは、年齢不詳性別不問国籍不明な麗人だった。細やかなプラチナブロンド、狼のようなアイスブルーの虹彩、細身だが均整のとれた体躯、洗練された身のこなし。「紀野さんですな。大宮司さんに頼まれてお迎えに来ました」 綺麗に洗車された白のステーションワゴンから降りて来た人物を見て、紀野は思わず声が出た。 . . . 本文を読む
クリスマスをあと3日に控えた日曜日、競馬場はバラエティーに富んだ服装の人々で賑わっていた。まずは普通にカジュアルな冬服の人々。ダウンジャケットやウールのコート、マフラーやニットキャップなどで防寒している。その他にいかにも競馬オヤジな面々ももちろん多い。コーデュロイやツイードのジャケットでおめかししていたり、ジャージやナイロン素材の作業服だったりするが、特筆すべきは帽子の着用率である . . . 本文を読む