白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

31.蜻蛉の夢

2010年08月17日 16時30分28秒 | 神隠しの惑星
 それから数日、エクルーが帰って来るまで、キジローはラボでサクヤの手伝いをして過ごした。もう船でうろうろする必要もなかった。あいつらは俺たちを見つけた。放っといても、向こうからやってくる。
 作業の合間に、ポツポツとお互いのことを話した。それにしても、これまでのサクヤとエクルーの経歴は多彩だ。キジローは圧倒されてしまった。ジンと出会った大学。辺境探査船。内戦地での医療活動。連邦の研究所。特に、エクルーは就いたことのある職種がざっと30を超える。コック、パティシェ、バリスタ、ヘアースタイリスト。いくつかの楽団やバンドでチェロやベースを弾き、大型船に機械工として乗り組んでいたこともあるという。そうして2人で転々としながら故郷の星の生き残りを探し続けて、イドラにたどり着いた。
「何のためにこんなことをしているか聞いていいか?」キジローが質問した。
「何のために?」
「スオミのことも、アルの件も聞いた。それにしても、星の水や生き物を丸ごと移住させるだの、連邦警察も知らない陰謀をぶっつぶすだの、少数の個人でやることじゃないだろう。下世話な話をすれば、金だって途方もなく費やしているんだろう?」
 サクヤがにっこり笑った。
「お金は心配しないでいいわ。私たち、鉱山をいくつか猫ババしちゃったの。辺境探査船で回った時にね、換金価値が高くて、資源開発局に報告したら、あっという間に星ごとボロボロに掘り返されそうな鉱脈を内緒にしておいたの。時代がもっと落ち着いて、高等生物のいない惑星の生態系でもちゃんと配慮してくれるようになったら当局に報告してくれるよう古い友人に地図を預けてあるの。幸か不幸かきな臭い時代が続いているから、鉱石を使い放題というわけ」
「だが、危険なことも多いだろう。今回みたいに」
「私たち、別に正義の味方じゃないわ。至極、利己的な理由でやっているのよ?」
「利己的?」
「ええ。私とエクルーはややこしいパズルの中に組み込まれてしまって、もう長いこと抜け出せないの。こうして夢で指示されたところへ行って、ひとつずつもつれた糸をほどいていけば、いつか開放されるんじゃないかと願っているの」
「そんなんで、いつ自分の人生を送る気だ?」キジローが聞いた。
「それじゃ、寿命が300年あっても足りないじゃないか」
 サクヤが顔を上げてキジローの方を見た。その顔には、まるで裏切られたような傷ついたような表情が浮かんでいる。
「俺、何か悪いこと言ったか?」
「そうじゃないの」
 サクヤがうつむいた。
「そうじゃないの……私、てっきりあなたはジンかエクルーから聞いているものと思っていたの。そうだったの。知らなかったのね。知らないから、あんなに無造作に、私を抱くことができたのね」
 キジローは罠にかかったような顔をした。
「何のことだ? 俺が何を知らないって?」
「私がどんな人生を送って来て、どんな風に人生を終わるかよ」
「人生を終わるだって?」
「私やエクルーが死んでも、お墓は要らないわ」
 サクヤは寂しげな微笑を浮かべた。
「あんた、前にもヘンなこと言ってたよな。自分が存在していることの方が不自然だって。どういう意味だ? 何かの比ゆじゃないのか? 故郷の星が壊れたことやあんたがヘンな夢を見ることは知ってる。前生の記憶を継いでいることも聞いた。他に何があるのか?」

 それで、サクヤは話し始めた。実生を次々にミズゴケに包んでトレイに並べながら、まるで昨日の献立について話すように淡々と。
 サクヤの話が終わっても、キジローはしばらく言葉が出てこなかった。何も言えなかった。サクヤに、たとえこのことを知っていたとしても、変わらずあんたを受け入れた、と伝えるべきだと思うのに、どう伝えればいいのかわからなかった。どんな思いを抱えて生きてきたか、その気持ちをわかればいいのに、と伝えたい。でもどんな言葉で表しても、2人のこれまでの人生に比べて軽すぎる。でも何か、何か言いたかった。
 サクヤがどんな存在であろうと、たとえ何歳であろうと、否定したりしない。支えたいと思っている。俺の気持ちは変わっていない、と。でも、俺はそもそも、自分の気持ちをサクヤに伝えていない。

 コケ玉に水分をスプレーしてカバーをかけると、サクヤは立ち上がってインキュベーターに入れた。そして何事もなかったかのように微笑むと、
「休憩しましょうよ。お茶を入れるわ」と言った。先に立ってラボを出て行こうとしたサクヤを、キジローは後ろから抱きしめた。包むように、包み込むように、何も言わずに長い間。
 最初、身体を固くしていたサクヤの呼吸がすこしずつ穏やかになって、やがてため息をひとつついた。そっと手をキジローの腕に重ねると、ぽつんとつぶやくように言った。
「キジロー。あなたを解雇するわ。できるだけ早くイドラを離れて」
 キジローはしばらくだまったまま、サクヤを抱いていた。そして静かにずばりと切り込んだ。
「なぜだ? 俺をキリコのクローンに会わせないためか?」
 サクヤが息を飲んだ。
「悪いが、ここに来てから俺もいろいろ訓練されちまってな。あんたの夢をのぞくのも、大きなカエルどもとしゃべるのも。だから、俺をかばってのけ者にしてくれなくていい」
「ごめんなさい」
「何で謝るんだ」
「ごめんなさい」
「泣くな。あんたのせいじゃないじゃないか」
「ごめんなさい」他に言葉が出てこなくて、サクヤはただくり返した。
 キジローは腕に力をこめて、ぎゅっと抱きしめた。
「あんた……ずっとこんなものを見て来たんだな……3000年も」



 3日めにキジローとサクヤが腐植をすきこんだ土にビニールシートをかぶせていると、ヤマワロの声が聞こえた。
(エクルーが今、ゲートを抜けた。迎えてやってくれ)
「どこのゲートなの?」
(赤石堰だ。悪夢から覚めたが、2、3日はふらつくだろう。しばらく甘やかしてやってくれ)
 サクヤがすぐハンガーに向かおうとするのを、キジローが止めた。
「ヨットより船の方が早い。タケミナカタを立ち上げておくから、毛布と水を用意してくれ」
 タケミナカタは、あの翌日ペトリから乗って帰ってあった。あの時も、サクヤは一緒にペトリに来たがったのに、ヤマワロに止められたのだ。
(エクルーは、今、夢と闘っている。君はいわば、彼の泣き所だ。今は離れていた方がいい)
 サクヤは納得してはいなかったが、食い下がることはせず、黙ってキジローを見送ったのだ。そして、当然、キジローもエクルーの顔を見ることさえ適わなかった。2人で、ただじりじりと回復を祈る以外できることはなかったのだ。

 キジローがつかんだサクヤの手は冷たくて震えていた。
「落ち着け。良くなったから帰って来たんだろう?」
「ええ……」
「ほら。毛布を……」サクヤと同じくらい、キジローも動揺していた。
「ええ……」
 20分で赤石堰の祠についた。
「俺は船で待ってる」キジローは毛布をきっちり巻いて、水のボトルと一緒にコンパクトな荷物にしてサクヤに持たせた。
「助けが必要だったら呼べ。暗いから足元に気をつけろ」
「呼ぶって……どうやって?」2人は無線機も電話も持っていない。
「とにかく呼べ」

 サクヤは泉の石段を駆け下りた。エクルーは泉の縁に敷いた石の上で、へたり込んだように座っていた。サクヤは駆け寄って、そばにひざまづいた。
「エクルー?」
 そっと髪に触れる。エクルーはうなだれて、顔をかくしている。ほおが冷え切っているので、あわてて毛布でくるんだ。
「エクルー? 大丈夫?」
 エクルーが何かつぶやいたので、サクヤは顔を寄せた。
「……俺たちは失敗したんだ。何もかも遅かった。もう何もできない。何もしてやれない……」
 サクヤは両腕をエクルーの頭に回して、ふわっと自分の胸に抱き寄せた。何を見たんだろう。何を見せられたんだろう。何も聞かずに、サクヤは指でエクルーの銀髪をすきながら、顔を光に透ける髪に埋めた。
「俺、臭いよ? 3日フロに入ってないから」
「3日、泉に漬かってたんでしょ? 臭くないわ。いつものあなたの匂いよ。セージにバジル。今日はカルダモンの香りもする。おいしそう」
 自分の頭をエクルーの頭の上に休めながら、サクヤがつぶやくように言った。 
「キリコが撃たれる前ね、キジローに訴えたんですって。”殺してくれ”って」
 エクルーが頭を上げた。
「もしこれ以上ひどいことがあるとしたら、あの子達をアカデミーに預けっぱなしにすることよ。もし何もしてやれないなら……私たちが殺してあげましょう」
「そんなこと、キジローにさせられないね」
「ええ。私たちでやりましょう」
「とにかく子供たちを奪還しよう。ペトリに」
「ええ。ペトリの白い花畑を見せてあげましょう。最後にひとめでも」

 不自然な生命になってしまった”石の子供たち”の精神が、アカデミーのシステムから解放されたとき正常に戻る保証はない。それどころか生命を保てるかどうかさえ。それでも彼らをあの冷たい船の底に置き去りにするわけにいかない。どれほど強いコントロールを受けても、彼らはみな、自分のしたことを忘れていないからだ。そして、暖かい場所へのあこがれを忘れていないからだ。たとえ攻撃のさ中でさえ、彼らの心は渇望で叫んでいた。

 スオミが一番ショックを受けたのもそこだった。彼らはスオミの中の明るい花の風景を見て、むしり取るように群がった。ペトリの花畑を垣間見て、子供たちは自分がいかに暗く冷たい場所にしばられているか自覚してしまった。
 父が命がけで逃がしてくれなければ、ミヅチがポッドをペトリに誘導してくれなければ、自分もあんな暗い場所にいたはずなのだ。私だけが助かって、のほほんと暮らしてしまった。
 エクルーが飛び込んできて遮断してくれるまで、スオミは子供たちの手を振り払うことができなかった。必死でしがみついて、スオミの中から明るさと暖かさを分けてもらおうとする、救いを求める手を。それは命じられた攻撃なんかではない。コントロールの下の、心からの叫びだったから。

「うん。見せてやろう。世界にはこんなに明るくて暖かくて、きれいな場所があるんだってことを」
 泉の祠の底で、天窓から差し込む光の中で、2人は身を寄せ合っていた。涙も出ない。もうない星の子供たちを探してこんな宇宙の果てまで来た。もう少し早くここにたどり着いていたら、何か変わっていただろうか。
「少なくとも私たちはスオミを見つけた」
「うん。スオミがいる」
「スオミは?」
「ミヅチとイリスとメドゥーラがついてる。大丈夫だ」
 ふと、エクルーが目を上げた。
「キジローも来てるの?」
「ええ。船で待ってる。助けが要るときは呼んでくれって」
「どう呼ぶんだ?」
「さあ?」
 エクルーは試しに呼んでみた。
”キジロー”

 本当にあっという間にキジローが現れた。そして何も言わずにエクルーに突進すると、まるでタックルでもかますようにぎゅうっと抱きしめた。
「よく帰ってきた」
 その切羽詰った声に、エクルーは感動してしまった。
「もう、お前に会えないような気がしたんだ。お前がいって、サクヤがいって、俺はひとり取り残される……」
 キジローが抱える孤独の深さに、エクルーまでひきずられそうになる。
「何言ってんだ、いいオジサンが。ほら、手を貸してくれ。まだふらつくんだ」
 肩を貸すと、ほとんど担ぐようにして、キジローはエクルーをゆっくり運んだ。
「昨日、グレンのとこで灰色牛を1頭つぶしたらしい」
「季節じゃないだろう」
 唐突な話題にとまどいながらも、エクルーがコメントした。
「肩肉のいちばんいいところを、持ってきてくれた。半分はシチューにしてグレンがスオミに持ってった。うちはどうする? スキ焼きか? しゃぶしゃぶか?」
「いい肉だった?」
「ああ。極上だ」
「じゃあ、しゃぶしゃぶ。キジローの手打ちうどんもつけてくれ」
「もちろんだ」
 サクヤとエクルーは改めてキジローの存在を有難く感じた。この甘えん坊で、そのくせ人をあやすのがうまい男がいなかったら、2人で沈み込んでしまったにちがいない。
「牛乳かんも作ってあげる」とサクヤが言い添えた。
「誕生日か何かみたいだな」エクルーが言うと、サクヤが笑い出した。
「誕生日じゃないの。忘れてたんでしょう? メリー・クリスマス」
 キリスト教と縁のない辺境の星にいて、すっかり忘れていた。
「夕方、ジンも来るって言ってたわ。一人でさびしいからって。それまでにおフロに入ってさっぱりしましょう」
「フロかあ。入りたいけど、まだ立ちくらみしそうだなあ。一人で入れるか不安だなあ」
 キジローの肩を借りながら、エクルーがいたずらっぽく言う。
「俺がフロに放り込んでやるから、サクヤに洗ってもらえ」キジローがため息混じりに言う。
 両側から2人に支えられて、エクルーは笑った。
「何だか俺って、お父さんとお母さんに甘やかされた子供みたいだね」
「病気の子供は甘やかされる権利があるのよ」
 やっとで祠の入り口まで出てきた。よく乾いた冬の日がタケミナカタを照らしている。
「いっぱいわがまま言ってちょうだい」
「じゃあね、温室の木にクリスマスの飾り付けをしてほしい」
「いいわよ。それから?」
「お父さんとお母さんに仲良くして欲しい。俺に遠慮せずに」
 キジローとサクヤの動きが止まった。
「今さら何もなかったフリしても不自然だろ?いつまでここにこうしていられるかわからないんだから、時間を大切にしよう」
 2人がぎこちなく顔を見合わせているので、エクルーが付け加えた。
「もっともまた冬眠されるようなことは困るからね。サクヤもヤバイと思ったらきっちり断るように」
  2人はまだ言葉が出てこないようだ。
「さ、帰ってクリスマスしよう」
 キジローがぐいっと肩をずり上げて、エクルーを持ち上げて向き直った。
「わかったが、こっちも条件があるぞ」
「ふうん。何?」
「おまえもお母さんと仲良くしろ。妙に気を使って家出するな。今度、家出してみろ。俺が家出するからな!」
 キジローのタンカにエクルーが噴出した。
「よくわからない理屈だけど、何だか感動した。わかったよ。もうお母さんに心配かけないようにする」

 エクルーは何を見たか言わなかった。キジローも聞かなかった。ミヅチ達に必要な情報が伝わっているなら、それでいい。
 運が良ければもう一度キリコに会えるだろう。
 いや、運が悪ければ、か?
 今度こそキリコに殺されてもいい。でもその前に、船で声を聞いた子供たちを笑わせてやりたい。ここに連れてきて、イドリアンのちび達とトンボを追って走り回らせてやりたい。世界にはこんな美しい場所があるのに、あの子たちは冷たい液体の中でゆれながら、いったい何を見ているのだろう。
 一瞬でいい。明るいトンボの夢を見せてやりたい。
 











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