白い花の唄

笛吹カトリ(karicobo)の日記、一次創作SF小説『神隠しの惑星』と『星の杜観察日記』のブログです。

母の食卓

2020年01月21日 07時28分02秒 | 日記
 今週末の誕生日で母はいよいよ90歳リーチ。この年齢でゆっくりながら杖無しで外を歩けて、自前の歯でトンカツやカラアゲをバリバリ食べられるのは大したものである。

 私が日中は仕事でいないのだが、ひとりでご飯食べて薬飲んで身支度して、時計見ながらデイサービスのお迎えに遅れないように表に出て待っておくことができる。時間感覚、曜日感覚がわからなくなっている自覚があって、自分でカレンダーや日付表示のある時計を見て、『明日はデイサービスの日』などと確認している。大したものである。

 とはいえ、軽い認知症があってそれなりに日常困ったことも起こる。例えば自動ドアの仕組みがある日突然わからなくなった。というより近づくと開くのはわかるのだけど、離れれば自動で閉まるというのを忘れてしまったのである。
「自動ドアなのに自動で閉まってくれない」とドアの内側で何度もドアのハンドルをタッチして開けてしまい、業を煮やして自力でゴゴゴゴゴと手動で閉めてしまったこともある。
 インターフォンもある日突然わからなくなった。ピンポンが鳴ったら自分の部屋の玄関に出てドアを開ける。建物の一階玄関に来た宅配の人が押しているから自分ちの玄関の外にはいない、ということが理解できない。本当にある日突然、わからなくなってしまったのである。なので宅急便を受け取ってもらうことができないし、私の出張中に宅配弁当で食事をまかなっておいてもらうことも不可能。留守の日数分間に合うように出張前に大鍋にシチューとか豚汁を作っておく。ガスに火をつけて温めることはできる。頻繁に焦がすので、『目を離さない。焦がさないよう注意』をくどくど言わないといけないが。冷凍したご飯や食パンをレンジやトースターで解凍、というのはまだかろうじて出来ている。時々失敗して、ふにゃふにゃのトースト食べたり、半解凍のご飯をバリバリ齧ったりしてるらしい。
朝、急須の古い茶葉を捨てて新しいのを入れる、というのを時々忘れる。麦茶のパックも私が先回りして捨てておかないと、土瓶に水を入れて使い回ししてしまう。

 料理は私が担当なので、食器洗いは自分がすると言い張るのだが、油ものには洗剤を使うというのをしばしば忘れる。洗剤用スポンジとすすぎスポンジの使い分けを忘れる。食器がびしょびしょのまま棚に戻してしまう。というような不具合がしばしば。それでも火事や事故が起こらない限りは、リハビリだと思ってできる範囲でやってもらおうと考えている。
 不手際を全部指摘しても、治らない。一度にひとつずつ。口頭で言ってもすぐ忘れるので、図解してあちこちに貼る。何度も繰り返し説明する。「説明されてない」と言い張られてもイライラしない。

 鍛えられているのは、母の認知能力でなく私の忍耐力と説明能力なのである。
こんな生活、あと何年続けられるかなあと思う。できるだけ自宅で同居を続けたいのだが。第一、今の母の状態だと"自立可能"だと判断されて受け入れてくれる施設などない。

 気の毒だけど、口うるさい娘にくどくどガミガミ叱られながら、何とか火事や食中毒起こさない範囲でサバイバルしてもらうしかない。

 がんばれ母上。

 いや、がんばるのは私か。




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