関東での仕事を2、3済ませて新幹線で南下した紀野を、駅の北口でピックアップしたのは、年齢不詳性別不問国籍不明な麗人だった。細やかなプラチナブロンド、狼のようなアイスブルーの虹彩、細身だが均整のとれた体躯、洗練された身のこなし。
「紀野さんですな。大宮司さんに頼まれてお迎えに来ました」
綺麗に洗車された白のステーションワゴンから降りて来た人物を見て、紀野は思わず声が出た。
「リューカ・クリステスク!」
「おや。ご存知でしたか」
紀野は口を手で押さえながら、失礼を詫びた。
「いや、僕もそういう業界にいるもので……。有名ですよ、東欧やロシアの動乱で散逸していた美術品を、廃墟から次々見つけ出すウフィツィのキュレーター。よほど目がいいに違いないと……」
「鼻が利くんです」
そう言ってウィンクした愛嬌のある仕草を見て、声を聞いてもなお、性別がまったくわからなかった。
「こちらも存じ上げてますよ。大英図書館でのご活躍。お会い出来て光栄です」
「いやそんな……今は単なるその日暮らしで、研究者と名乗るのもおこがましい有様で……」
「ご謙遜を。活躍の場を少し変えられただけでしょう。叔父もお会い出来るのを楽しみにしていて……」
リューカが手で示した先客達が車から降りて来るのを見て、紀野は再び叫んで慌てて口を押さえた。
「ウルマス・ラース教授!」
「おや。私のこともご存知でしたか。光栄だな」
こちらも年齢不詳性別不詳な美形だった。背中まで届く波打つ黒髪。一見黒に見えるが、光の加減で深い蒼に輝く双眸。完璧な混血でまったく何系かわからない。
「あっ、唐牛教授も……お初にお目にかかります。唐牛教授がクロアチアに移籍された後、ラース教授が後任されたのは知っていたんですが、こんなところでお目にかかれるとは……」
「小さな世界だね」
唐牛教授はトレードマークの長い白髪を三つ編みにして、鹿撃ち帽にインヴァネスコートで、まるでシャーロック・ホームズのようだった。
「論文は拝見してますよ。紀野さんはうちの准教授と話が合いそうだ」
「准教授? 確か女性で織居先生とおっしゃるんじゃ……あ、そういえば今日の主催者……」
「そうなんです。織居くんは神馬の血統を守る神社の娘さんでね。そういうわけで我々も祝勝会に招かれたわけなんです」
すでにすごい人脈の坩堝と化している。パーティー会場に到着したらどんなことになるやら。紀野は早々に覚悟を決めた。
谷地田ファームのログハウスに着いてみると、ツリーやリース、イルミネーションや数々のオーナメントに飾られていて、食堂の壁には横断幕が2つ。
『祝ヤチダアリエス優勝』
『銀ちゃん♡お誕生日おめでとう!!』
さまざまな料理が並べられたテーブルの周りには、赤と白のコスチュームに身を包んだ大小いろいろなサンタがご馳走をパクついていた。
「紀野さん、カロ先生、お席こちらにどうぞ。お昼は食べました? ケーキとコーヒーにしますか? フライドチキンもありますよ」
「いや、里菜くん、私達は勝手にやるからご心配なく」
唐牛教授は早速トレイにカップとソーサーを4つ並べ、サーバーからコーヒーを注いだ。
「メインの料理は暗くなってから出されるから、軽く摘むぐらいにして胃袋を空けておいた方がいいぞ。我々はもう彼らのような無限の食欲を持っていないからな」
そう言って唐牛教授が指したサンタ達の名前を、自分もサンタのコスチュームを着た里菜が、紀野に名前を教えてくれた。
「あの一際大きな骨付きチキンをかぶりついてる2人は、ゆーちゃんの先輩でバスケ仲間の、岩木くんと石元くん。今、クッキーのトレイを持って来た小柄な子が、今日誕生日の銀ちゃん。ゆーちゃんのクラスメイトで神社の息子さん。ピアノのところで楽譜を見ている高校生が克昭くん。ゆーちゃんのクラスメイト。克昭くんと話している小学生3人が桐花ちゃん、魅月ちゃん、星一くんで……」
「待った待った。とてもいっぺんに覚えられないよ。それで今、大量のワイングラスを運んで来た一団は?」
「あの背の高い男の子が輪くん。このファームの息子さん。ショートカットの中学生が泉ちゃん。輪くんの妹さん。銀髪の双子がアカネちゃんとアヤメちゃん。もうひとり、銀髪の小学生がサユリちゃんで双子の妹」
「これでサンタはすべて把握した。ピアノのところの楽団員は?」
「ピアノがサクヤさん、ドラムがキジローさんでご夫婦です。銀ちゃんと桐花ちゃんのご両親。ベースが山元さん、銀ちゃんの神社の禰宜さんです。小学生たちとワイングラス並べてるのが瑠那さん。魅月ちゃんのお母さんで、サクヤさんの妹さんです」
子供たちはワイングラスの水位を調整して、グラス・ハープの音階を作っていた。夜飼いを早めに終えた厩務員たちがパーティーに参加する18時から、グラス・ハープ、ハンドベル、ジャズトリオの演奏が始まるらしいが、今はその打ち合わせと練習で、食堂は常に楽器の音と子供たちの歌声が響いていた。
これだけクリスマスソングに満ちているのに、豊が理不尽なことを言った。
「紀野さん、今夜のタブー、わかる?」
「タブー?」
「メリークリスマスって言ったらダメなんだよ?」
「え? どうしてだい?」
「ファームの入り口の鳥井見たでしょ。ここは神馬のいる神社なんだよ? だからあくまでこの今夜は優勝馬の祝勝会と、銀ちゃんのバースデーパーティー」
「じゃあ、あの赤と白のコスチュームは……」
「あれはコーラの宣伝」
「……なるほど」
アリエスのオーナーの怜吏くんとファーム社長の谷地田さんは、この3日間次々かかって来る祝勝の電話、届けられるお祝いの酒類や食品、押し寄せる取材依頼などの対応で大わらわだった。それでも毎日朝夕、動物たちに食餌を与え、世話をしなくてはならない。今夜の主賓は、ファームを守る厩務員や職員たちなのだ。コーラのコスチュームを着た子供たちとジャズバンドは余興要員として招かれているわけだ。
紀野は怜吏くんに母親を紹介してもらったが、簡単な挨拶を済ませるとすぐ「さ、母さん、ハーブクッキーとキッシュを焼くって言ってたでしょう。厨房に行きましょう」と引き離されてしまった。その後、銀髪の姉妹の母親も紹介されたが、これも簡単な挨拶だけですぐ厨房に引っ張って行かれた。日没の頃、ラース教授の研究室の准教授と、共同研究している公立大の教授ご夫妻、そこの助教授が到着したので、紹介されたが、これも挨拶の後雑談に入る前に「厨房大変そうでしたよ。葵さん、珠理くん、俺たちも手伝いに行きましょう」と助教授が女性2人を連れて行ってしまった。そんなに人手が必要なら、オマケで招かれた自分だけどっかり座っているわけにいかない、ジャガイモの皮むきでも手伝おう、と紀野が厨房を覗きに行ってみると、女性陣と御曹司と助教授が、焼き立てのダックワーズを囲んで紅茶を飲んでいた。頭に疑問符をいっぱいつけて紀野が食堂に戻ると、ちょうど昨日競馬場で会った金髪美女が空になった大皿を下げて厨房に運ぼうとしているところだった。
「重そうですね。手伝いますよ」
「大丈夫だ、喰ってばかりの高校生に運ばせるから」
金髪美女は少年たちに指示を出して、汚れた皿やグラス類を下げさせた。
「皿洗って少し労働して来い。腹すかさないとローストターキーとミートパイが入らないぞ。〆はパエリアだしな」
見事な手腕に紀野が感心していると、美女はニヤニヤしながら紀野の胸に人差し指を突きつけた。
「どうした。怪訝な顔をしているな」
「え、いや、そういうわけでは」
戸惑いながら、先ほど厨房で見たお茶会の話をすると、美女はゲラゲラ笑い出した。
「見てたよ。千雨さんもイリスもいーちゃんも魅力的だろう? あんたは警戒されているんだよ、独身男性だから」
「えっ」
それは紀野には思いもよらないことだった。
「ええっ、でも僕は、それに第一、だったらラース教授やリューカの方がよっぽど……」
「ウルマスはやもめで娘がいるし、リューカにも20年以上付き合ってるステディがいる。あんたにはそういう“匂い”がない」
紀野は困惑した。
「匂い……そんな、女性に飢えた野獣みたいな匂い、してるかな」
「あんたがオスとして高い資質があるから、他のオスが警戒してるってだけのことだ」
「そういう競争は……僕はもう引退でいいなあ……豊くんもいることだし」
「まあ、誰も彼もつがいを作らないといけないって法はない。要は本人が充足していれば、他人にとやかく言われる筋合いじゃない」
「充足……」
充足しているかと言われれば、紀野の胸の中に無視出来ない空虚な穴があった。友を失った。自分には救えなかった。豊と出会って日本に連れ帰るまでの数ヶ月は、必死で忘れていたのに。こうして“日常”に戻ると、空洞を風が吹き過ぎてゆく、虚ろな音がまた聴こえて来るのだ。
「見てみろ。豊は……失ったものを、別の形で取り戻そうとしているのかもしれないぞ」
豊は、岩木や石元たちとぎゃあぎゃあ言いながら、パーティーの配膳をしていた。女性陣が手伝おうとするのを、銀がケンケン言って止めて、男たちを働かせている。
「楽しそうだな……来て良かった」
「喜ぶのはまだ早いぞ。この後、高校生男子はハンドベルできよしこの夜を演奏するんだからな。まともに練習していたのは克昭だけだから、ヒドいことになるぞ。笑えること請け合いだ」
余興とはいえ、生け贄のようなものだ。男子たちの運命やいかに。
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