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クリスマスパーティーの前日、紀野は豊に叔母を紹介された。考えてみると、豊の両親も祖父にも会ったことがない。みな健在で元気に世界中飛び回っているらしい。元気なのは構わないが、少し豊を放置し過ぎではないだろうか。豊の家族親族全般に何となく反感というか嫌悪感を覚え始めていたところだった。
叔母の杏は何ともさっぱりした気性の女性だった。カメラマンをしているらしい。
「息子が2人いて、明日父親とこちらに来ます」
「おいくつですか」
「7歳と4歳」
紀野は子供を育てたことはないが、父親1人で小学生と幼児を連れて旅をするのは大変なのではないだろうか。
「豊のことが気になって、私だけ先に来てしまったんです」
「なるほど」
紀野にもわかって来た。おそらく豊の母親も杏も似たところがあるのではないか。けっして愛情がないわけではない。ただ何かに愛情を注ぐと前のめりになって、後回しにされる存在が出て来るわけだ。豊の母親は慈善事業で戦乱や難民として親を無くした子供たちを救うため、世界中を駆け回っている。その間、豊が大事なものを無くし、絶望して1年近く世界を放浪していたのに、一切のケアもしなかったのだ。父親と祖父はそれぞれ人文学者で、遺跡だか古墳だか古代の宝物だかを追って一年中留守だ。豊は幼少期から放任され、精霊に育てられていた……シズクという名の泉の精霊の養い子として。そのシズクは今はもういない。豊を生かすために自分の命を差し出した。今の豊はシズクの魂のおかげで生きているのだ。
つまり、豊は一度死んだ。なのに、両親も祖父も誰もそのことを知らない。放任にもほどがあるのではないか。
杏と話しているうちに、豊の家族に対して抱いていた怒りが、何となく消えてしまった。怒っても仕方ない。つまりそういう人種なのだ。けっして悪気があるわけではない。何かを成し遂げたり、成果を残したりするのは、このように何かに集中できる人間なのかもしれない。杏の撮った写真を何枚か見せてもらった。素晴らしい作品だった。そして少なくとも、杏は豊を心配して、こうして自分の息子を放り出してここに来ているのだ。
「すると、明日、豊くんの従兄弟が2人、それと叔父さんも来るわけだね? 豊くんちに泊まってもらうの?」
店舗部分がけっこう広くて、5人も泊まれるほど居住スペースはなかったような気がする。
「明日はファームのペンションに泊まってもらって、その後は住吉神社に行ってもらいます」
アリエスがいる谷地田ファームのクリスマスパーティーには、紀野も怜吏な誘われていた。住吉神社とはこの町の東側にある、あの丘陵の上の神社だろうか。
「明日来る従兄弟の、そのまた従兄弟が神社の総領息子なんです」
「えっ」
「つまり明日来る従兄弟……ややこしいな、星一と英一の父親と、神社の銀ちゃんの父親が兄弟なわけ」
「つまり、豊くんにとってもその神社は親戚筋ってわけだね?」
「そ」
話を聞いてみると神社の奥さんは代々、豊の骨董店の常連さんらしい。8歳下の従姉妹もよく店に来ていたそうだ。……シズクを慕って。
「その又従兄弟の総領息子……一歳違いの男同士なら、よっぽど小さい時から仲良くしてたんじゃないのかい?」
「……」
どうもそう単純にはいかないらしい。人間関係は複雑だ。
クリスマスパーティーで、豊の叔父と従兄弟たちに紹介してもらった。叔父の仁史は関東でけっこう大きな弓道場の道場主をやっているそうだ。着物に和装コートを着こなし、まっすぐな黒髪を耳の下でおかっぱに切り揃えた細身の美丈夫だった。豪快で大雑把な母親のおおらかな愛情と、仁史のこだわりの強い細やかな愛情を注がれて、従兄弟たちは実にいい子たちだった。兄の星一は万事控えめに、父親をサポートして小さな弟をよく面倒みているし、弟の英一は4歳の可愛い盛りで、『ぼく、じぶんでできます!』としっかり者ムーブをしていて、でももちろん幼児なので出来ることには限界があり、周囲のすべての人間の庇護欲を独占していた。
おでんナイトで住吉神社に行ってみると、杏はもういなかった。雪景色を撮影しに吉野から十津川方面まで回って来るらしい。なるほど鉄砲玉だ。幼い兄弟は父方の祖母の咲(えみ)さんの愛情を一身に受けていた。咲さんは仁史の弟の鷹史を連れて、関東からこの住吉神社に来て、以来ずっとこの西の都から月に1、2回関東に戻るという生活をして来たらしい。仁史は父親と2人で、弓道場を守りながら自分たちの生活も守って来た。
「料理はほとんど趣味ですね。関東と関西では食材も味付けも違うでしょう。母もいろいろ持ち帰ったり、こちらの料理を教えてくれますし、僕も行き来しながら他の土地も回って、地元の野菜や魚を探すのが楽しくなって来ましてね」
仁史は柔らかな物腰で、栗を大量に剥きながら話してくれた。
「全部、きんとんにしちゃっていいのか? 渋皮煮も作る?」
「仁史ちゃんの渋皮煮、食べたい!」
「マロングラッセも作ってくれていいのよ?」
小学生コンビの桐花と魅月が口々にねだった。毎年年末に、神社の弓を射る祓い行事のために来訪する、料理上手の叔父の滞在が楽しみらしい。仁史の用事の半分はお節料理の準備らしい。
「ここでお節を作って、わが家の分を分けてもらって、母も一緒に関東に戻って、留守を守ってもらった父と新年を迎える……毎年、そんな感じです。うちもここも社家ですから、大っぴらにクリスマスやるわけにいかないでしょう。子供たちはファームのパーティーを楽しみにしているんですよ。うちの流派は流鏑馬もやるので、上の子の乗馬訓練もそろそろ始めないと行けませんしね。まずは馬に慣れてもらおうかと」
ほとんど不在の母親に対して、家事育児はほぼ仁史氏がまかなっている様子だ。住吉神社の台所のお節作りを見ていると、仁史の弟の麒治郎も、2人の母親の咲さんも料理が得意なようだ。それに対して、杏はニンジンを渡すと馬にでもやるようにブツ切りにしてしまうらしい。麒治郎の妻のサクヤも料理が苦手だと言っていた。
「私は野菜料理専門なんです。どうにも卵とお肉がむずかしゅうて」
「むずかしい?」
「卵がいっつも爆発してまうにゃよ」
サクヤは生け花、茶道、和裁の先生らしい。義母の咲と2人で境内の横に教室を開いている。一方、息子の銀は料理が得意らしい。どうやら男性が料理をする家系のようだ。
星一が台所で下拵えの手伝いをしていると、4歳の英一も一生懸命お手伝いをしたがる。絹さやの筋取りなど簡単な作業を任せたりしていたが、何せ何人もの人間が包丁を使っている空間でちょこちょこ走り回る幼児に気を配っているのは難しい。
「英一、曾祖母ちゃんのお手伝いしてくれないか」
きさが声をかけた。紀野を指差してニヤッとする。
「この先生を、うちの摂社に案内したいんだ。お姉ちゃんたちと一緒にお祭神の説明をしてくれないか?」
「おさいじん? えーと、べんてんさまですよね。それとすみよしのさんしんと、にうつひめさまと」
「そうそう。よく知ってるじゃないか。その弁天様に会いに行こう」
「あいにいく? かみさまにあえるんですか?」
「星一も5歳の時会ったんだ。咲が手をつないで手伝ってやってな。英一もそろそろ4歳だから、会えるかどうかチャレンジしてみないか?」
「ちゃれんじ! します! がんばります!」
「よしよし。弁天様はクッキーが好きだからな。おやつを持って行こう」
「鏡ちゃん、お夕飯終わったんだからあまりお菓子食べさせないで」
咲が実に祖母らしい心配をした。
「大丈夫。お供えだもんな? 後で歯を磨くもんな?」
「はい! おそなえ、だいじです! はもちゃんとみがきます!」
「よしよし。桂清水を汲んで、丹生神社に行こう」
「いきましょう!」
「桐花、魅月、星一、一緒においで。銀、料理はきーちゃんに任せて、こっち手伝ってくれ。克昭くん、ちょっと付き合わないか?」
「はい。お手伝いしますよ。水を汲むポリタン持って行けばいいですか?」
「椅子が足りないな。キャンバスチェア、予備があったよな?」
「本殿の納戸に入れてありますから、適当に持って行ってください」
キジローが声をかけた。
「わかった。じゃ、高校生男子2名、借りて行くぞ。弘平と善美は味見係に置いて行く」
「英一、9時には絶対お布団だからな」
仁史が約束させる。
「まだ7じはんです。8じはんには、おふろはいって、はをみがきます!」
「よし。曾祖母さまの言うこと、ちゃんと聞くこと。いいね?」
「だいじょぶです。ぼく、おてつだいします」
「よし。がんばれ」
「はいっ、がんばります」
「英ちゃん、英ちゃんの作ってくれたリース、神様に見せてあげたいから、摂社に持って行っていい?」
桐花が、小さなリースを出して来た。い草か藁を捻ったらしい注連縄をモチーフにした輪に、鮮やかな緑のリボンをあしらったリースだ。輪の上に赤と紫の折り紙を折った鶴が飾ってあり、クリスマス風ともお正月風とも取れる雰囲気になっている。
「きりおねえさんにあげたんですよ?」
英一は不服そうだ。
「大丈夫。見せるだけ。見せたらお部屋に持って帰って飾るから。でも、これ可愛いから神様に見せてあげたいの」
桐花に力作を褒められて、英一は満足そうな顔をした。
「この鶴の色、神様が絶対喜ぶよ!」
桐花は4歳児と手をつないで、桂清水の方に歩き出した。ふわふわとした雪が静かに降ってくる。一同、モコモコに防寒着を着込んで境内を歩き出した。
「よーし、出発!」
きさが号令をかけた。
神様に会う? いったい何が起こるんだろう。すでに先ほど、綺麗な巨人に会った。これ以上、不思議なことがあるだろうか。
紀野は期待半分、不安半分で小学生たちに導かれて雪の境内を歩き出した。
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