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一同は母屋を出て、まず水を汲みに行った。幅広いなだらかな石段を下りて、大きな鳥居をひとつくぐる。
「夕方、北の石段から上がって来たんだろう? あっちは裏門、こっちが表門だ。参拝者はだいたいこの西の大鳥居の方から来る」
きさが紀野に説明した。
「英一、桂清水はわかるか?」
「はいっ。べんてんさまのおみず、ですよね」
「よく知ってるな。この水が湧き出している真っ黒な切り株は、雷で焦げてこうなってしまった。昔は大きな桂の木で綺麗だったんだぞ。春には赤い花が咲いて、新緑も黄葉も鮮やかでな。参道沿いの人はみな、その頃からこの水を汲みに来たものだった。今でもこの水で珈琲を淹れる喫茶店が、商店街にある。昔から有名な、美味しい水なんだ」
焦げた切り株は、直径5メートルはありそうな立派なものだった。ガラス化して夜目にもツヤツヤと輝いている。
「弁天さまは遠い国から来たお姫様なんだ。住むところが無かったから、この土地にいた泉の精が桂の木に頼んでかくまってもらった。それから1000年以上、弁天さまはこの桂に住んでいたんだ」
「いまは、このきにいないんですか?」
「うん。攫われてしまって、遠いところで捕らえられている。でも魔法が使えるから、時々魂だけ、ここや他の綺麗なところに遊びに来るんだ。弁天さまに美味しい水でココアを淹れてやろう」
ポリタンに桂清水を汲んで、本殿で折り畳み式のキャンバスチェアを5つ持って、境内の奥の摂社に向かった。
朱色に塗られた小さな鳥居をくぐると、きさは一同を拝殿の横手に招いた。
「ここが勝手口だ。ここで靴を脱いでくれ」
そこは明らかに他の摂社と違っていた。勝手口にドアノブがあるし、靴箱があり、壁が厚い。
「ストーブ点けるから、すぐに暖まるぞ。ここは断熱材を壁と床に入れているんだ。電気も引いてる。代々の住吉の女主人は、ここでお茶を飲んでくつろぐんだ」
拝殿の中心には、白木の台に白い布がかけられていて、青銅とおぼしき鏡が祀られていた。
小学生たちと高校生2人は、慣れた様子でチェアやテーブルを並べて、電気ポットでお湯を沸かし始めた。ティーセットやコーヒーサーバー、紅茶やココアの缶など、摂社の棚に用意されていた。
「英一は、お皿にクッキー並べてくれ。夕食の後だから、1人一枚ずつ、10枚な」
英一は首をかしげた。
「ぼくたち、8人ですよ?」
「お祭神が2人、来るんだ」
「黒ちゃん、来るかしら」
桐花がつぶやいた。
「大丈夫だろう。昼間に花を生けといたから」
きさが、拝殿には不似合いな豪奢なフラワーアレンジメントをテーブルの真ん中に置いた。ストック、フリージア、水仙が良い香りを放っていた。
「わあ。黒ちゃんの好きな花ばかり」
「くろちゃん?」
英一が尋ねた。
「弁天さま、というのは神様の名前なの。お仕事の名前、というのかな。本当の名前は黒曜。黒い石の名前なの。だから黒ちゃん」
ココアを練って、11個のカップにお湯を注いだ。花と並べて、英一が作った折り紙のリースも飾った。ココアにクッキー、花と折り紙。紀野がこれまで見た降霊術の中でも、もっとも特異な術式だった。
「せっかく英一がいるから、歌でも歌ってみようか」
銀が言い出した。
「うたですか?」
4歳児が首をかしげる。
「桐と魅月は鈴を振って。星一と英一で何か歌ってみたら」
「英一、きらきら星、歌えるか?」
「うたえます!」
星一に聞かれて、英一は勢い込んで頷いた。
「じゃあ、克昭は指揮者ね」
銀が克昭に榊の緑の枝を渡した。そしてズボンの後ろポケットから横笛を取り出した。
「俺は伴奏。じゃ、行くよ」
大して打ち合わせしたわけでもないのに、それはなかなか息の合った演奏だった。2小節の前奏の後、兄弟が歌い出した。それに合わせて黒髪と白髪の少女が巫女鈴を鳴らす。歌が終わった時、紀野ときさが拍手していると、それまで空いていた椅子に、拍手をする3人めの人影が現れた。
真っ白な装束に薄紫のひれ。艷やかな黒髪を床まで垂らした、美しい姿だった。
「黒ちゃん。雪なのに、来れて良かった。紹介するわ。この子は英一。星一の弟さん」
桐花に紹介されたが、英一は目をまん丸にして、言葉が出て来ないようだった。
「ハジメマシテ」
「くろちゃんさま、ですか。はじめまして」
「カワイイ ウタヲ アリガトウ」
「とおいところに、さらわれたんですか? わるいやつに、とじこめられてるんですか?」
「ダイジョウブ。オトモダチニ ナッタカラ」
黒曜はにっこり微笑んだ。
「黒ちゃん。こちら、紀野さん。鏡ちゃんのお友達」
桐花に紹介されたが、その紹介文に紀野は戸惑ってしまった。
「ハジメマシテ」
「はじめまして。きささんとは、つい数日前、お会いしたばかりなんですが」
「なのに、とっても仲良しなのよ?」
桐花が付け加える。
「きささんは、どうして鏡ちゃんと呼ばれているんですか?」
紀野は質問してみた。
「ワタシガ セツメイ シヨウ」
粗末なキャンバスチェアに、半跏思惟のポーズで優雅に座っていた黒曜が、さらりと立ち上がるときさの手を取った。2人は手を取り合って、一同が座っているテーブルから少し離れたところに立つと、舞を舞うようにしなやかに腕を上げた。きさより少し背の高い黒曜が、きさの右手を取ってくるりとターンさせると、きさが2人になった。
オレンジのダウンジャケットにジーンズという現代的な服装の女性と、奈良時代の姫のような裾と袖の長い金色の装束の女性が、黒曜と3人、ボッチチェリの描く三美神のように立っていた。奈良時代の姫は床にも届きそうなまっすぐな金色の髪と赤い瞳、ダウンジャケットの女性は長い銀色の髪と淡い青の瞳をしていた。
銀髪の女性が、紀野に軽く会釈した。
「私が南部きさ。ここにいる克昭くんを除く全部の子たちの曾祖母になります。この子たちの大叔父を産んだ後、何十年も昏睡してしまい、鏡さまの助けでこうして目覚めたんです」
「こんすい」
英一が首をかしげたので、星一が解説した。
「眠りの森の美女みたいに何年も眠っていたんだよ」
「おうじさまが、たすけにきたの?」
「王子さまの代わりに、鏡さまが助けてくれたんです。それに桐花や魅月、鳶之介も助けに来てくれたんですよ?」
「ずっとねていたから、おばあさんなのに、きれいなんですか?」
「多分、そうなんでしょう。眠っている間、竜宮城に行っていたんです」
「かがみさまは、おさいじん、なんでしょう?」
「そう。鏡さまはこの丹生神社のお祭神。黒曜さまは桂清水のお祭神です」
「鏡ちゃんは赤い神様、黒ちゃんは黒い神様だけど、紫色も好きなのよ?」
「どうして?」
桐花の説明に、英一が首をかしげる。
「昔は黒い染料が無かったの。布を黒に染めるのが難しくて、いろんな色で何度も染めたのよ。だから昔は紫を黒の代わりに使っていたの」
魅月の言葉はやや難しかったが、英一は納得したようだった。リースを神様たちに見せて、鼻の穴をふくらませて興奮して説明した。
「あかいつると、むらさきのつるです。すみよしの、おさいじんのいろ!」
「キレイ デスネ」
「ありがとう。うれしいよ」
4歳児の努力をかって、2人のお祭神が褒めた。
「よし、もうひとり、呼ぼうか」
金髪の女神が腕を伸ばして、虚空に手を差し伸べると、その手を取って栗色の巻き毛をなびかした美女が現れた。
「きさは桐花や鳶之介の父方の曾祖母になるが、桜は母方の曾祖母だ」
また英一の目がまん丸になった。
「ひいおばあさまなのに、やっぱりきれいです!」
「ありがとう。賢い子だね」
桜は、真冬というのにヤママユガのような薄緑色の薄手のキャミソールドレスを着て裸足だった。紀野には、桜の正体がわからなかった。幽霊なのか、妖怪なのか、桜の精なのか。いずれにしろ、こうして会話が出来、子孫に受け入れられ、一緒にココアを飲めるらしい。
11人でテーブルを囲んで、お茶会をした。黒曜はクッキーが食べられないと言い、手伝ってと頼んだので、英一はクッキーを2枚食べた。桜もクッキーを食べないようだった。英一以外の子供たちは、お祭神や桜を見ても、驚いていないらしい。すごい英才教育を受けているな、と紀野は感嘆した。こんなコミュニティが、豊の身近にあることは、幸運だったかもしれない。豊の今の状況を、丸ごと受け入れられる人間が、こんなにいる。
ココアを飲み終える前に、英一はうとうとし始めた。
「今日は大掃除で張り切って、あんまり昼寝をしなかったんです」
星一が申し訳なさそうに説明した。一同がカップを洗って、片付けをしている間、黒曜が4歳児を抱っこしていた。鏡がきさの手を取ってくるりとターンすると、2人の美女は1人に戻った。
黒曜は幼児を紀野に手渡した。
「タノシカッタ。マタ、ヨンデクレ」
そう言うと、現れた時と同じように、黒曜はあっさり消えた。
「紀野さん、うちの子たちをよろしく」
桜は紀野にウインクして消えた。
ストーブを消し、電気を消して、摂社を後にした。母屋を離れていたのは1時間足らずなのに、紀野はぐったりくたびれてしまった。儀式ともいえない簡素な儀式で、依代も必要とせず、簡単にお祭神が顕現する異空間。そこで当たり前のように生活している一族。豊がその末裔に生まれた意味は何だろう。
「重くないですか? 代わりましょうか?」
4歳児を抱っこしている紀野に、克昭が声をかけた。
「大丈夫。軽いよ」
この子も不思議だ。この一族と何の血の繋がりもないのに、当たり前のように融け込んで、実にフラットに怪異を受け入れている。特に霊力が強いわけでもないのに、この年頃の特有の感性だろうか。こんな子が豊のクラスメイトで良かったな、と思う。
母屋に戻って、紀野は咲に英一を渡した。咲は半分眠っている英一を励まして、何とか歯磨きをさせ、布団に入れた。子供たちはお風呂の時間らしいので、紀野は高校生男子たちや里菜と神社を辞した。
「初詣のついでに、うちに寄ってください。お雑煮とお節、食べて行ってください」
キジローに声をかけられた。正月など、神社は一年で一番忙しい時期だろうに、いいんだろうか。
「きさお祖母様は神職じゃありませんからね。ここで暇にしてますから、遊びに来てやってください」
初詣なんてもう何年もしたことなかったが、ここの神社なら面白そうだ。紀野は来てみる気になった。
やれやれ。競馬場では馬券を外したが、不思議な縁を拾ってしまったな。やにわに知り合いが増えて、奇妙なモノをたくさん見た。奇妙で、美しいものを。
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