いぬふぐり
犬ふぐり星のまたたく如くなり 高浜虚子
チェレスタの可愛い音色いぬふぐり 拙
ゴマノハグサ科の越年草の花。在来種はほとんど見られず、ヨーロッパ産らしい。瑠璃色の小さな花を道端や野原にこぼす。まるで、金平糖をまき散らしたようでもある。バレー曲「くるみ割り人形」に金平糖の踊りをチェレスタという楽器でオルゴールのような音色で演奏している。この花を見ると、つい、金平糖の踊り」を口ずさむ。
犬ふぐり星のまたたく如くなり 高浜虚子
チェレスタの可愛い音色いぬふぐり 拙
ゴマノハグサ科の越年草の花。在来種はほとんど見られず、ヨーロッパ産らしい。瑠璃色の小さな花を道端や野原にこぼす。まるで、金平糖をまき散らしたようでもある。バレー曲「くるみ割り人形」に金平糖の踊りをチェレスタという楽器でオルゴールのような音色で演奏している。この花を見ると、つい、金平糖の踊り」を口ずさむ。
犬ふぐりを星のまたたくようだと詠っている。大人虚子らしいまことに大らかな詠い方である。このような俳句を作ろうと努力しているのだが、ついつい不要な尾びれが付いてごてごてと表現してしまうのだ。こんな作り方を見習いたい。
チェレスタの可愛い音色いぬふぐり 阿部
阿部句では「いぬふぐり」に「チェレスタの可愛い音色」を取り合わせた形になっている。チェレスタについては作者の説明を参考にしたい。『瑠璃色の小さな花を道端や野原にこぼす。まるで、金平糖をまき散らしたようでもある。バレー曲「くるみ割り人形」に金平糖の踊りをチェレスタという楽器でオルゴールのような音色で演奏している。この花を見ると、つい、金平糖の踊り」を口ずさむ。』 音楽のことに疎い自分はこの説明を見ても実感が湧いてこないので、YouTubeを開いて「こんぺいとうの踊」というチャイコフスキーの音楽とバレーを見てみた。しかし若い頃に経験した思い出が伴わないので、やはり引き付けられるものを感じないのである。ぼくにとっては今更どうすることも出来ない欠陥である。犬ふぐりが咲いているの見て、「こんぺいとうの踊」というバレー音楽が浮んでくる作者は、それだけ豊かで楽しい精神の働きをしているのである。その根源は若い頃の体験にあるのだと思う。現在の精神生活が過去の体験の影響によって豊かなものになっているというのは、音楽の場合のにならず、その他多くの活動について言えることであろう。あるモノを見て俳句を作る場合に、過去の体験が強く影響していることは日々経験することである。その場合、個人的体験を基にした表現が、読者に共感を抱かせるかどうかというこが起こるのではないだろうか。虚子のように「星のまたたく如くなり」という大らかな表現にするか、「チェレスタの可愛い音色」という主観的表現にするかは、作者に任される文学的選択であろうと思う。
今日は作り方の異なる二つの俳句を同時に読むことによって、俳句の表現ということの難しさを考えていました。有難うございます。願船
誰にもよく解るように言葉で書くことの大切さが良くわかりました。やっぱり虚子は大虚子ですね。
今朝から被災地の出来事、や現状・復興状況 今後の支援の在り方etc。いろんなエピソードを見聞きして感動しています。間もなく 2:46 になります。