1 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 母の日 (願船) 2017-05-14 18:18:10 母の日もふるさと遠し桐の花 行方克己 母の日に遠いふるさとの母を思い出しているのであろう。季語「桐の花」を座五に置いているのは、一句の中で重要な意味を持たせていると取る。「母の日」より「桐の花」を強調している感じだ。桐の花が思い出の契機になっていると考えるのが自然だ。今眼前に見ている桐の花からふるさとの懐かしい桐の花を思い出していると考える。それがふるさとの母へとつながってゆく。「母の日も」であるから、母はもういないのかも知れない。 母の日や息子くるかと父は待つ 阿部 前句が「ふるさと遠し」と思い出のふるさとを詠ったのに反して、阿部句は「息子くるかと父は待つ」と表現して、今ここにあるふるさと(ホーム)を詠った。母の日を父の眼で見ていることに新しさを感じる。句では表現されていないが、母を囲んだ一家団欒の倖せを予想させる句である。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
母の日に遠いふるさとの母を思い出しているのであろう。
季語「桐の花」を座五に置いているのは、一句の中で重要な意味を持たせていると取る。「母の日」より「桐の花」を強調している感じだ。桐の花が思い出の契機になっていると考えるのが自然だ。今眼前に見ている桐の花からふるさとの懐かしい桐の花を思い出していると考える。それがふるさとの母へとつながってゆく。「母の日も」であるから、母はもういないのかも知れない。
母の日や息子くるかと父は待つ 阿部
前句が「ふるさと遠し」と思い出のふるさとを詠ったのに反して、阿部句は「息子くるかと父は待つ」と表現して、今ここにあるふるさと(ホーム)を詠った。母の日を父の眼で見ていることに新しさを感じる。句では表現されていないが、母を囲んだ一家団欒の倖せを予想させる句である。