
7月27日、水曜日。
午後23時56分。
曇り。
昼間は、雲の間に
水色の空がみえたシーンもあったけれど
大概曇りな1日でした。
雨は、降らないかと思ったけど
出掛けた帰り道
車に乗り込んだ後、フロント硝子に
ささやかにポツポツと雨が
小さく挨拶するように
誰にも気付かれないように
降ったかのような雨でした。
水曜日、休日ということで
母と一緒に買い物…ではなくて
母には申し訳ないけど
“また会おうね”
と言ってなかなか会えずにいる友人Cにも申し訳ないけれど
1人で出掛けてきました。
久しぶりに
音楽を聴かせて頂きに
行ってきたのだけど
何度も何度も感じてはきたことだけれども
音楽は良いなぁ…です。^^
音楽は
何でも開けてしまう、目には見えない鍵のような
不思議なものですね。
琴線に触れた後
感動を通り越して
自分自身でも知らない部屋のドアなのか
窓なのかを開けて
笑ったりだとか泣いたりだとか
大浪小浪だとか
どこからやって来るのか
制御不可能なものに気付かされる、
そんな気がします。
なぜ心が
制御不可能になるのか?
たまに我を見失ったりして
たまに我を発見したりして
いい歳をしてこれで良いのかな…(^_^;)
この感動はどこからやって来るのだろう
何に反応しているのだろう
なぜだろう?
…なんて考えなくても良いのかな?
良かないのかな?
考えすぎか。
考えるな、感じろ。
って
ブルースさんも言っていたし。(・ω・;)
なんて真面目に考えていくと(真面目といえるのか分からないけど)
なぜ生まれたのだろう?
とか
なぜ感情はあるのか?
とか
なぜ泣いたり笑ったりするのか?
とか
本当の自分自身とはどんな人間なのかな
とか
原始的な疑問かもしれないことを
いつの間にか
思っていたりして
自問自答の世界に入っていきます。
内に、内に入っていったら
次は
外へ、外へ解放されることを
望みながら。
感動は
自分を知るチャンスで
好きなものを確認することもできて
自身が小さな人間だということまで分かって
自分自身の運命や宿命まで考えて
…って考えすぎだね?(>_<)
まだ余韻があるものだから
心が浮わついているのだろうね。
その時の感情を思い出して
解析しようとしてしまいます。
感動や感情は
解析するものでもないのだろうに。
その空気を持ったまま、眠られれば良いな。
夢であり現実である
夢の世界を枕に。
感動する世界があるということは
素晴らしいこと
小さな花も
大きな空も
そして
大好きな音楽も。^^
では
お休みなさい
*