スーさんです。
毎日毎日(泳げたいやきくんの歌)ではありませんが何でこれほど月から次といやなニュースが飛び込んでくるのでしょうかね。
もちろん中東問題、北朝鮮問題、国内問題、問題の山済みですね。
確実にいえることは沢山の諸問題は今の人類(世界の人々)では解決の方向すら見出せないと思っております。
21世紀に入って六年がたちました。20世紀は戦争の世紀と呼ばれるように現在も戦争は拡大の一途をたどっているように感じます。
TVでは毎日酒気帯び運転の事故の批判子供が親を殺す。自宅に火をつけて全焼。何も昨日今日始まった話ではありません。
日本においてはこのような戦争は三十年以上前から続いていると思います。
満州事変から始まって第二次世界大戦が終わるまでの十五年戦争と呼ばれていますが。世界中を巻き込んだ戦争も今見方を変えれば十五年間。
此処では毎日TVに取り上げられる日本語の中に交通戦争・教育戦争いつから呼ばれるようになったのでしょう。
(交通戦争(こうつうせんそう)とは、昭和30年代(1955年-1964年)以降交通事故死者数の水準が、日清戦争での日本の戦死者(2年間で1万7,282人)を上回る勢いで増加したことから、この状況は一種の「戦争状態」であるとして、「交通戦争」と呼ばれるようになったもの。1970年にピークに達するがこの後減少。しかし、1980年よりふたたび増加に転じ1988年に1万人を超え、第二次交通戦争ともいわれる状況となった。フリー百科事典より)
(教育戦争の資料は見つかりませんでしたが確か共通一次試験の開始とともに激化の一途をたどって今日に至っていると思います。
(共通第1次学力試験(きょうつうだいいちじがくりょくしけん)は、1979年(昭和54年)から1989年(平成元年)の間、国立大学の入学志願者を対象として共同して実施した基礎学力をみるための共通試験である。試験は、国語、数学、英語、社会、理科の5教科について行われた。実施は、国立大学の共同利用機関であった大学入試センター(現在は独立行政法人)。
[編集]
導入の経緯及び経過
共通テストの構想は1960年代以降文部省やその周辺から発案されていたが、1970年代に入って政府及び与党の推進により実現する運びとなり、国立大学協会の賛同を得て、入試問題の難問・奇問の出題をなくし、「入試地獄」を緩和するために導入されたものである。導入後は、志望校選択への受験産業の介入、大学・学部・学科の序列化が進んだ。
その後、1985年(昭和60年)臨時教育審議会第一次答申により「共通テスト」の採用が提案されたのを受けて、1988年(昭和63年)に「大学入試センター試験」と改称することが決定され、1990年(平成2年)から行われるようになったフリー百科事典より)
今の日本は車社会ですね?
今の日本人は車なしで生活できますか?
(私が小学生のころの日本人で個人が車を買って乗り回す時代が来ると思っていた子供は少なくとも私の周り一クラス54名一学年10クラス以上が当たり前の子供の思考にはありませんでしたよ。そんな時代に交通戦争など起こるはずが無い。)
(余談ですが私が一~二年生の小学校の壁新聞で箱の中から絵が出ると書いてありみんなでたまげた記憶が鮮明に残っています。それはTVというものでした。)
もう一つ余談です。「TVを見ると馬鹿になる」親が厳しくTVを見る時間を制限しましたね。
制限しなくなった現代社会TV以外にTVゲーム・・・・・。
日本人TVの見すぎでみんな馬鹿になっちゃった?
子供はなぜ勉強しなければならないのですか?
勉強すれば良い学校に入って・良い会社(大企業・公務員)に入って・高い給料がもらえて・良い家庭が作れて・うまいものが食えて・子供とTVケーゲームが出来て・そして又自分の子供には良い学校に入れて・・・本当にそんな夢が適うと思っている人が今の日本人多すぎませんか?
前のブログにも書きましたが毎年交通事故・自殺で40000人以上この国は死者を出しているのです。
世界の戦争も五年前の9.11から国と国との戦争ではなく完全にイデオロギーの潰し合いの戦いに変わってきていますね。
今の日本、車が無ければ生きてゆけないだろう。
今の日本、いい学校に入れなければ落ちこぼれるぞ。
××国家は悪の枢軸だ。
民主主義は良いことだイラクを民主国家にする。
現代色々な言葉が独り歩きをしていますね。
言葉とは人を洗脳し、幸せに導くことも不幸せにすることも簡単に出来てしまうのです。
かなり前置きが長くなりました。(これだけ世界中が病んでいると前置きも中々簡素化できません。)
此処から今日のブログのタイトル「問題です。」
これから出す問題は本来文字で出題するものではありません。
私の講演会や大学での講義・アトリエバラでの基礎教育の一環で行っている問題です。
これから私が出す言葉を文字に表します。その言葉を何の紙でも結構ですが書いて見てください。
「
えんちゅう」
(いつも付け加えますのでここでも付け加えます。えんちゅうとは家庭にある茶筒みたいな形ですよ。)
「そしてえ・ん・ち・ゅ・うを描けるだけ数多く描いてみて下さい」
(数多くが一番大事です。あなたはいくつの「えんちゅう」がかけますか?)
以上です。
これがスーさんの
デッサンの指導の第一歩です。
ヒントです。
人間自分の脳の中に無いものは絶対表現できません。
尚追伸ですが「えんちゅう」が描けるるようになった人で絵が描けない人はいませんでしたね。