アトリエバラ・スタッフのブログ

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誕生日て、何だろう?

2007年06月25日 15時13分19秒 | このブログの紹介文
スーさんです。
久々に投稿します。教室で運営しているyhooブログのサイトからのお知り合いのブログに触発されて少し書きます。
昨日ドラマ:TBS系 日曜劇場「冗談じゃない!」が最終回

「のだめ」(上野樹里)の番組ということで夫婦二人で最初から最後まで見てしまいました。
コメディーでありながらも随所に考えさせるテーマを含んだ仕上がりだったと思います。

さて本題ですお知り合いのブログのテーマは「付き合いもほどほどに・・? 」

と言うテーマで女子大生が友達という名の知らない学生30名ほどに誕生日会をしてもらい、家庭では家族が待っていた。
そして彼女は朝帰り。

めちゃめちゃ文章を割愛してしまいましたが、その文章の中に
「誕生日は、親にココまで育ててもらって、ありがとうございます。と言うべきこと。」
の文章がきっかけで書き始めました。

物事の発想を常に求めている、わが美術教室ですがちょっと油断をすると。
日本の常識は世界の非常識に陥ってしまいます。

何故子供の誕生日を親を含めた第三者が祝うのか?

「誕生日」は、ここまで大きく育ててくれた親・友に感謝し。

自分が出来ることをしてあげる日に変わったら、結果は現在と比べてどのように変化するでしょうか。

私は一人っ子ででしたので小さいときから無き母と小さいときから料理を手伝ってきました。

自宅で麺棒でうどんを打つ、そして同じ要領で餃子の皮を茶筒でつくりもちもちの餃子が出来る。

ある時(たぶん中二ぐらい)の時母が風で倒れカレーを作った記憶があります。
味はまったく覚えていないのですが、たぶんまずかったでしょう。
しかし母は大変喜んでくれた記憶が残っています。

そのせいか大学時代も料理は自炊・日本に始めてピザが出回ったころ。
「西洋風お好み焼き」と呼ばれたピザ
新宿でピザの専門店に行きインチで頼み試食。

新聞の切り抜き(ピザのレシピ)を見ながらチャレンジ。

結局今では飲食店も経営する事となる。

結局「誕生日」を人に祝ってもらったのではまったく人として成長が期待できないことになるのでは。

再び主題に戻るが。
「誕生日は、親にココまで育ててもらって、ありがとうございます。と言うべきこと。」
此の言葉から上記に書いた事、意外にたくさんの現代の非常識が常識であり、
またその逆も多々あることを感じた一言でした。



コメント
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