*「倉田角次(のち改め光雲)」(2016-05-11 の記事) と「倉田角次(のち改め光雲)その2(評価額)」(2017-07-14 の記事) も、よかったら読んでみて下さい。
*倉田角次の作品をご存じない方は、「倉田角次(のち改め光雲)その2(評価額)」(2017-07-14 の記事) を見て下さい。
倉田角次の技法の凄さは、そのグラデーション(色の諧調)にある。彼の作品を見ればわかる通り、これだけ綺麗に、つまり切れ目なく断続的に、色の諧調を出すのは至難の業である。見事と言う他はない。脱帽である。
この色の諧調を出すというのは、まず3段階なら誰にでもできる。絵を描いていなくてもできる。一番暗いのが真っ黒、一番明るいのが真っ白、両者の中間の灰色、これで3つ、3段階だ。
5段階も簡単だ。先の3段階に加え、一番暗い真っ黒と灰色の間に1つ、灰色と一番明るい真っ白の間に1つ、これで2つ増えるので5つ、5段階だ。
同様にして7段階まではさして苦労せずに出せると思う。しかしこれが9段階、11段階となると大変だ。さらに数が増えれば増えるほど至難の業になる。
よく絵の勉強で、紙に四角い升目をいくつも並べて描いておき、鉛筆で色の諧調を出すという練習があるが、鉛筆でやっても難しいのに、まして油絵具、それもいろいろな色で、その色の諧調を出してしまうのだから、倉田角次は超人と言わざるを得ない。
しかしその苦労は並大抵のものではなく、うまく色の諧調が出ないからと、バケツ1杯の油絵具を捨てていたという(倉田角次と親しかった人から聞いた話)。恐るべき執念で、もはや、驚嘆すべき、なんて次元は超えている。
絵を描いている人なら、倉田角次の狂人振りがおわかりいただけたと思う。普通は混色がうまくいかないからといって、バケツ1杯分の油絵具を捨てたりはしない。あり得ない話で、妥協のなさにも程がある。
あのコローの作品には、色の諧調が20段階もあるらしい(昔、アメリカの研修者の話として新聞に記事が出てました)。ならば、あれだけ切れ目なく色の諧調がある倉田角次の作品にも同様のこと、いやひょっとしたらそれ以上の段階があってもおかしくない。
ということは、倉田角次は間違いなく巨匠ということになる。いつまで埋もれたままでいるのかわかりませんが、いずれ世間で大きく取り上げられると思っています。
*倉田角次の作品をご存じない方は、「倉田角次(のち改め光雲)その2(評価額)」(2017-07-14 の記事) を見て下さい。
倉田角次の技法の凄さは、そのグラデーション(色の諧調)にある。彼の作品を見ればわかる通り、これだけ綺麗に、つまり切れ目なく断続的に、色の諧調を出すのは至難の業である。見事と言う他はない。脱帽である。
この色の諧調を出すというのは、まず3段階なら誰にでもできる。絵を描いていなくてもできる。一番暗いのが真っ黒、一番明るいのが真っ白、両者の中間の灰色、これで3つ、3段階だ。
5段階も簡単だ。先の3段階に加え、一番暗い真っ黒と灰色の間に1つ、灰色と一番明るい真っ白の間に1つ、これで2つ増えるので5つ、5段階だ。
同様にして7段階まではさして苦労せずに出せると思う。しかしこれが9段階、11段階となると大変だ。さらに数が増えれば増えるほど至難の業になる。
よく絵の勉強で、紙に四角い升目をいくつも並べて描いておき、鉛筆で色の諧調を出すという練習があるが、鉛筆でやっても難しいのに、まして油絵具、それもいろいろな色で、その色の諧調を出してしまうのだから、倉田角次は超人と言わざるを得ない。
しかしその苦労は並大抵のものではなく、うまく色の諧調が出ないからと、バケツ1杯の油絵具を捨てていたという(倉田角次と親しかった人から聞いた話)。恐るべき執念で、もはや、驚嘆すべき、なんて次元は超えている。
絵を描いている人なら、倉田角次の狂人振りがおわかりいただけたと思う。普通は混色がうまくいかないからといって、バケツ1杯分の油絵具を捨てたりはしない。あり得ない話で、妥協のなさにも程がある。
あのコローの作品には、色の諧調が20段階もあるらしい(昔、アメリカの研修者の話として新聞に記事が出てました)。ならば、あれだけ切れ目なく色の諧調がある倉田角次の作品にも同様のこと、いやひょっとしたらそれ以上の段階があってもおかしくない。
ということは、倉田角次は間違いなく巨匠ということになる。いつまで埋もれたままでいるのかわかりませんが、いずれ世間で大きく取り上げられると思っています。
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