祈祷会 士師記16:1~17「サムソンの弱さ」 2024.11.6
士師サムソンについては、士師記13章~16章にかけて書かれてあります。いつものようにイスラエルの人々が主の目に悪とされることを行いました。主は怒り、イスラエルに敵としてペリシテ人を送ったのです。イスラエルの人々は、このペリシテ人によって40年間苦しめられることになります。そして、イスラエルを救うために立てられたのが士師サムソンです。ダン族のマノアと妻の間に生まれ、ナジル人として神に仕える人として歩むことになります。しかし、現実にサムソンはナジル人としてふさわしくない歩みをしていくのです。
成長したサムソンは、ティムナに行き、1人のペリシテ人の女性を愛し妻にすることにします。その結婚披露宴の時に、サムソンはペリシテ人の妻の付き添い30人の者になぞかけを申し出ます。付き添いの人も応じます。サムソンがかけたなぞを、付き添いの30人は解くことができませんでした。そこで、サムソンの妻に「夫をうまくいいくるめて、あのなぞの意味を我々に明かすようにしてほしい。さもないとあなたを家族もろとも焼き殺してやる」といって脅すのです。サムソンの妻は、夫に泣きすがって「あなたはただわたしを嫌うだけで、少しも愛してくださらない。なぞの意味をこのわたしにも明かそうとなさいません」と訴えます。宴会が行われた7日間、妻はしつこくせがみます。7日目にはついに妻に明かしてしまいます。やがて、サムソンは妻が付き添いの者に、なぞの意味を明かしたことを知り、怒りに燃えて、自分の父の家に帰ってしまいます。
そして、今日の士師記16章の前半ですが、サムソンはガザに行き、1人の遊女と関係を持ちます。サムソンがガザに来たことを知ったペリシテ人は、一晩中サムソンを取り囲み、町の門で待ち伏せして、夜明けまで待って殺してしまおうとしました。サムソンは夜中に起きて、町の門の扉と両脇の門柱をつかみ、かんぬきもろとも引き抜いて、肩に担い、ヘブロンを望む山の上に運び上げます。すごい力を発揮して、ペリシテ人を撃退しています。その後、サムソンはデリラという1人のペリシテ人の女性を愛するようになります。ペリシテ人の領主たちは、そのことを知って、デリラに「サムソンをうまくいいくるめて、その怪力がどこに秘められているのか、どうすればサムソンを打ち負かし、縛り上げて苦しめることができるのか。探ってくれ。そうすれば我々は1人1人お前に銀1100枚を与えよう」と約束します。サムソンはデリラのどこに愛情を感じたのでしょうか。そのデリラはサムソンのことをどのように受け止めていたのでしょうか。今後の2人のやり取りを見ていきますと、何ともいえない気持ちに私はなってしまいます。
デリラはサムソンに、そのまま聞きます。「あなたの怪力がどこに秘められているのか、教えてください。あなたを縛り上げて苦しめるにはどうすればいいのでしょう」と。するとサムソンは「乾いていない新しい弓弦7本で縛ればいい。そうすればわたしは弱くなり、波の人間のようになってしまう」と答えます。ペリシテ人の領主たちが新しい弓弦を7本、デリラに届けたので、デリラはそれでサムソンを縛りました。奥の部屋には待機する者を置いて、デリラは「サムソン、ペリシテ人があなたに」といいます。しかし、それはウソで、弓弦を簡単に切って、ペリシテ人を撃退しました。
デリラはサムソンに「あなたはわたしを侮り、うそをついたでしょう。あなたを縛り上げるにはどうすればいいのか、今教えてください」といいます。サムソンは「まだ一度も使ったことのない新しい縄でしっかり縛れば、わたしは弱くなり、並みの人間のようになってしまう」とデリラに答えます。デリラは新しい縄を持って来て、サムソンを縛り、「サムソン、ペリシテ人があなたに」といい、奥には待ち伏せる者がいましたが、サムソンは縄を簡単に断ち切って、ペリシテ人を撃退しました。サムソンがいったことはウソだったのです。
デリラはサムソンに「あなたは今度もわたしを侮り、ウソをついたでしょう。あなたを縛り上げるにはどうすればいいのか教えてください」といいます。サムソンは「わたしの髪の毛7房を機の縦糸と共に織り込めばいいのだ」と答えます。デリラはそれを釘で留めて「サムソン、ペリシテ人があなたに」といいますと、サムソンは眠りから覚め、釘も機織り機と縦糸も引き抜いて、ペリシテ人を撃退します。サムソンは3度もウソをいったのです。
デリラはサムソンに「あなたの心はわたしにはないのに、どうしてお前を愛しているなどといえるのですか。もう3回もあなたはわたしを侮り、怪力がどこに潜んでいるのか教えてくださらなかった」といいます。来る日も来る日もデリラがこういってしつこく迫っていきます。ここまで来て、サムソンはデリラが自分を愛していないことに気づいていないのでしょうか。自分をペリシテ人の手に渡すために動いていることに気づかないのでしょうか。サムソンは一方的にデリラを愛していると思い込んでいるだけでしょうか。サムソンはデリラの言葉に耐え切れず死にそうになるのです。そして、ついに心の中を一切打ち明けてしまうのです。サムソンは「わたしは母の胎内にいた時からナジル人として神にささげられているので、頭にかみそりを当てたことがない。もし髪の毛をそられたら、わたしの力は抜けて、わたしは弱くなり、並みの人間になってしまう」と。
こうしてサムソンはデリラの作戦によって、自分の力も秘密をいい、そのためにペリシテ人に捕らえられて、目をえぐり出されて、ガザに連れ帰り、青銅の足枷をはめ、牢屋で粉をひかせられたのです。前のティムナの女性の場合と同じようなことがここで起っています。神からナジル人として怪力を与えられていました。しかし、愛する女性によって、サムソンは自滅の道を選んでいくのです。どうして、士師記はサムソンを最後の士師として選び、登場させているのでしょうか。それは人間が弱い存在だからです。弱いサムソンを、弱いイスラエルを、弱い私たちを、主は愛してくださることを示しているのです。
祈り 神よ、聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございました。サムソンとデリラの話をみてきました。サムソンの弱さとそれを利用するデリラのことをみながら、人間の弱さをみることができました。そのようなサムソンをあなたは愛し、最後までに導いてくださいます。あなたの御旨を知ることができますように導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)