祈祷会 士師記16:18~31「サムソンの祈り」 2024.11.13
士師サムソンについては、士師記13章~16章にかけて書かれてあります。いつものようにイスラエルの人々は主の目に悪とされることを行いました。神は怒り、敵としてペリシテ人を送ったのです。ペリシテ人は40年間、イスラエルの人々を苦しめることになります。そこで、士師として活躍するのがサムソンでした。サムソンはダン族のマノアとその妻の間に生まれます。サムソンは生まれる前からナジル人、神に仕える人として歩むようになっているのです。サムソンはナジル人として、士師として歩むことが期待されていましたが、それとは全く反対の歩みをしていきます。サムソンはナジル人として神から特別な力を与えられていましたが、それを自分の思うように使っていきます。また、非常に女性に弱いのです。そのために、サムソン自身を苦しめることになります。
今日の聖書の箇所は、サムソンの最後の内容です。サムソンの壮絶な死を描いています。サムソンはガザに来て、デリラというペリシテ人の女性を好きになります。それまで、サムソンはその怪力を生かして、ペリシテ人を戦い、勝利していました。ペリシテ人の領主たちは、何とかサムソンを打ち負かしたいと願っていました。サムソンが仲間のデリラを愛したことを知り、デリラに大金を渡すから、サムソンの力の秘密を捜し出して欲しい、そうすれば、サムソンを打ち負かし、縛り上げて苦しめることができるといいました。デリラはペリシテ人の領主たちの申し出を受けました。さて、どのようにデリラはサムソンから力の秘密を聞き出そうとするのかと思いましたが、そのまま聞いています。デリラはサムソンに「あなたの怪力がどこに秘められているのか、教えてください。あなたを縛り上げて苦しめるにはどうすればいいのでしょう」と聞いています。サムソンは、3度ウソをいいます。でも、デリラは迫って来ます。「あなたの心はわたしにはないのに、どうしてお前を愛しているなどといえるのですか。もう3回もあなたはわたしを侮り、怪力がどこに潜んでいるのか教えてくだらなかった」といい、来る日も来る日もしつこく迫ったので、サムソンはそれに耐えきれず死にそうになり、ついに心の中を一切打ち明けてしまうのです。それは、自分はナジル人として神にささげられているので、髪の毛をそられたら、力は抜けてしまうということだったのです。
デリラはサムソンが心の中の一切打ち明けてたことを見て取り、ペリシテ人の領主たちを呼びます。銀を携えて、ペリシテ人の領主たちはやって来ました。デリラはサムソンを膝の枕に眠らせて、人を呼んで、サムソンの毛をそらせました。サムソンの力は抜けていったのです。デリラが「サムソン、ペリシテ人があなたに」というと、サムソンは眠りから覚め「いつものように出て行って暴れてくる」といいましたが、神がサムソンから離れたことには気づきませんでした。ペリシテ人はサムソンを捕らえ、目をえぐり出してガザに連れて行き、牢屋で粉を引かせるのです。しかし、サムソンの髪の毛はそられた後、また伸び始めていたとあります。
ペリシテ人の領主たちも人々もサムソンを捕らえたことで大いに喜び祝っています。ペリシテ人は上機嫌になり、「サムソンを呼べ。見せ物にして楽しもう」といい出します。こうしてサムソンは牢屋から呼び出され、笑い者にされました。サムソンはここまでの流れをどのように受け止めていたのでしょうか。デリラを愛し、その結果として、自分の怪力の秘密をデリラに明かし、その結果としてペリシテ人に捕まり、目をえぐり出され、青銅の足枷をはめられ、牢屋で粉をひかされ、今や、ペリシテ人の前に出され、笑い者にされているのです。サムソンは自身の愚かさに気づいたのでしょうか。自身の弱さを知ったのでしょうか。この時に、サムソンは神に祈るのです。サムソンはペリシテ人のダゴンの神の神殿にいました。柱の間に立たされます。建物の中はいっぱいで3000人程のペリシテ人がいたとあります。彼らは見せ物にされたサムソンを見ていました。サムソンはこの時に、サムソンの手をつかんでいた若者に「わたしを引いて、この建物を支えている柱に触らせてくれ。寄りかかりたい」と頼んでいました。サムソンは神に祈っていいます。「わたしの神よ。わたしを思い起してください。神よ。もう一度だけわたしに力を与え、ペリシテ人に対してわたしの2つの目の復讐を一気にさせてください」と。
それからサムソンは、建物を支えている真ん中の二本を探り当て、両手でもたれかかります。サムソンは「わたしの命はペリシテ人と共に絶えればよい」といって、力を込めて押しました。建物はそこにいたすべての人々の上に崩れ落ちました。サムソンも多くのペリシテ人も死んだのです。サムソンの家族が来て、サムソンを引き取り、父マノアの墓に運び、葬りました。
サムソンは神から特別な力を与えられていました。ナジル人としての力です。その力を神のために、イスラエルのために用いたのではなく、自分の思いのままに用いていったと思います。多くの女性を愛し、虜となっていきました。その女性への愛は、サムソンの一方的な片思いのように見えてしまいます。女性の答えに答えれば自分がどのようになるのかを深く考えなかったのでしょうか。デリラのサムソンへの質問は、サムソンを苦しめるものでしたが、そのまま聞いています。デリラもサムソンへの愛は何もないように思います。それでもデリラへの愛ゆえに、自分の力の秘密を教えてしまう。結果として、目をえぐり取られ、青銅の足枷をはめられる。最後には大勢のペリシテ人の前に立たせられて見せ物にされてしまう。悲しい最期を迎えることになってしまいます。でも、最後の時に、神に祈っています。もう一度、神に立ち帰っていくことができています。いろいろあったサムソンですが、神に立ち帰ることができた、神に祈り求めることができたことは信仰者としての人生の歩みだったと思います。
祈り 神よ。聖書の学びと祈りの時を与えてくださり、ありがとうございます。サムソンの歩みの最後をみてきました。悲しい最後でしたが、神の立ち帰ることができたこと、神に祈ることができたことは信仰者としての歩みでした。サムソンの歩みを見ながら、神を信じていく歩みを考えました。私たちの信仰生活もサムソンの歩みを参考して歩んでいきたいと願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。
皆様の祈り「 」アーメン。
共に祈ってくださり、ありがとうございました。(横山厚志)