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11月10日の礼拝の内容です。

2024-11-09 20:00:00 | 日記
11月10日の礼拝の内容です。讃美歌は、83.211.311.402.27です。
オンラインのアドレスはhttps://youtube.com/live/WQOzPtAy3sk?feature=shareです。

礼拝説教      使徒12:20~25「ヘロデ王の歩みから」    2024.11.10

 人の歩みというのはそれぞれです。まず、同じ歩みというのはありません。1人1人の人生があります。それも、その人だけの特別な人生の歩みです。今日の使徒言行録の内容は、ヘロデ王の急死です。かなり悲しい内容です。このヘロデ王の死から、私たちは何を学ぶことができるのでしょうか。

 私にとって忘れることができない絵本との出会いがありました。以前にも話したことがあると思います。神奈川にいた時に、神奈川県立子ども医療センターでボランティアをしていた時に、入院している子どもたちに絵本の読み聞かせをしていました。そこで出会った絵本です。絵本の題名は「生まれてきてくれてくれて ありがとう」です。知っている人もいると思いますが、次のような内容です。2011年発刊の、にしもとようさんのデビュー作です。難産だった息子の経験を元に生まれた作品とのことです。物語は、ぼく ママを さがしているの。かみさまがね「うまれて いいよ」って。だから、ママを さがしているの。という書き出しで始まり、天使のような赤ちゃんが登場します。それから、ぼくのママを探す旅が始まります。くまくん、ごりらくん、ぶたくん、ふくろうくんと、ぼくのママについて尋ねるのですが、みんな知りません。みんな、自らのママを紹介してくれるのですが、ママ達は一様に、「うまれてきてくれて ありがとう」と言うのです。最後、ぼくは、明るい光に導かれて誕生するのですが、この一文は涙なしに読めません。ぼく、ママの こどもで うまれるよ。あの ことばを いってもらいたくて「うまれてきてくれて ありがとう」という絵本です。とても素晴らしい絵本です。

 インターネットでこんな言葉を見つけました。「くらーくて せまーい みちを あなたは いっしょうけんめい でてきて くれました ちいさな ちいさな あなた あたたかで やわらかな あなたたいせつに たいせつに だきました それから あなたは たくさん なきました ねつも だしました。そして たくさん わらうように なりました はじめて ひとりで たったとき・・・ 2・3ぽ あるいたとき・・・ はじめて なまえを よばれたとき ほんとうに ほんとうに うれしくて・・・あなたの ねがおを みると やさしい きもちに なって ふしぎな ちからを もらいました。きょうは あなたが うまれた ひを おもいかえします かけがえのない あなたに あえて ほんとうに しあわせです うまれて きてくれて ありがとう」 赤ちゃんが生まれて来る時に、すべての赤ちゃんがそのようであって欲しいと心から願うのです。

 1年前の教会創立記念日の時に講演会のことを覚えているでしょうか。小さないのちのドアの代表、永原郁子さんの講演を、ズームを使ってしていただきました。小さなのいのちのドアのホームページには次のような言葉が書かれてあります。「思いがけない妊娠や、思い通りにならない育児に悩み苦しんではいませんか?」「誰にも言えない」「親に知られたらどうしよう」「流産してしまえばいいのに・・・」「子どもなんていらない」「いっそのこと死んでしまいたい」思いもよらない妊娠で途方に暮れているあなたに育児に追い詰められているあなたに、私たちは寄り添い、幸せになれる道を一緒に考えていきたいと思っています。少しでも傷つく女性を減らしたい 、そんな思いで小さないのちのドアを開設しました。一人で重荷を背負わなくていいのです。悲しい事件になる前に、深い傷を負う前に、ぜひご相談ください。全力であなたと小さないのちのためにお手伝いします」と。この日本で、このような苦しみを抱えて生きている人がいる。そのような人に救いの手を伸ばしています。素晴らしいお働きだと思います。でも、母親から「生まれてきてくれてありがとう」といってもらうこことができない赤ちゃんがいる事実もあるのです。

 私は教誨師として月に一度ですが、瀬戸少年院に行き、1人の少年と面談をしています。目の前にいる少年は何かの罪を犯して、この瀬戸少年院に入所しているのですが、少年たちの背景を知ると涙が出てしまいます。過酷な環境の中で、生きてきました。罪を犯してしまうような環境です。そのことを、罪を犯したから、あなたが悪いとだけはいうことが私にはできません。人が生まれてくること、人が生きることはどのようなことなのでしょうか。

 今日のヘロデの歩みをみていきましょう。使徒言行録12章に出て来るヘロデ王は、イエス様の誕生に出て来るヘロデ大王の孫にあたります。ヘロデ家の血筋はユダヤ人ではありません。ユダヤ人からすれば異邦人ということになります。ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばして、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺すのです。教会にとっては大きな悲しみでした。それはヘロデ王が自分の地位を守るために、ユダヤ人からの指示を受けるために行ったことでした。教会を迫害することは、ユダヤ人に喜ばれることを知ってヘロデ王は、今度はペトロを捕らえて、牢に入れました。過越し祭の後で、ユダヤ人の前に出して、殺す予定でした。それも、ユダヤ人から指示されるため、自分の地位を守るためでした。教会の人々からすれば、ヘロデ王はとんでもない悪い王だと思うのは当然のことだと思います。ただ、冷静になってヘロデ王の立場を考えてみると、王となったからといって、すべてが自分の思う通りにいかないことが見えてきます。逆に、王であり続けるために、ユダヤ人の指示を受ける必要があるのです。王とすれば当然のことですが、王であることの孤独を思います。

 ペトロの逮捕はあったのですが、天使の働きによって、ペトロは解放されて、ヘロデ王は自分の願いを実現することができませんでした。そして、今日の聖書の箇所になります。ヘロデ王は、ティルスとシドンの住人にひどく腹を立てていたとあります。どのようなことがあったのかは分かりませんが、ティルスとシドンの人々にとっては大変な状況だったというのです。それは、彼らの地方が、ヘロデ王の国から食料を得ていたからだとあります。食糧を得ることができないことは生きていけないのですから、非常事態です。そこで、住民たちはそろってヘロデ王を訪ね、その侍従ブラストに取り入って和解を願い出ています。定められた日とありますが、この日はローマ皇帝の誕生日だったといわれています。ヘロデ王は、ローマ皇帝の誕生日を祝う日を用います。ヘロデ王は王の服を着て、王座に着いて演説をします。すると、集まった人々は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けます。人々の思いは、ヘロデ王を称賛して、自分たちがまた食糧を手に入れることが目的だったのです。純粋にヘロデ王をあがめているわけではありません。ヘロデ王にしても、王であり続けるために、人々からの指示を受けなければなりません。この場面では複雑な思いが交錯しています。悲しいものです。

 ここには人間の罪の現実が起っています。それは、人間が神になることです。この後、すぐに悲劇が起ってしまいます。するとたちまち、主の天使がヘロデ王を打ち倒してしまいます。神の栄光を帰さなかったからだといいます。ヘロデ王はうじに食い荒らされて息絶えたというのです。使徒言行録は、教会を迫害したヘロデ王の死を悲惨な形で伝えています。人が神になること、これが人間の罪そのものであるということですが、ヘロデ王の自分が神である、人々の神の声だと叫ばれた時、どのような思いだったのでしょうか。一時的ですが、気持ちいい状態になったのでしょうか。自分は王だ、神と同じだと思い、満足していたのでしょうか。すぐに悲惨な死が待っていることを知らずにです。このヘロデ王といわずにも、私たち自身の中に、自分中心の思いが誰でも思っていると感じます。教会の中でもあることに熱心になりすぎると、自分はこんなにやっていて素晴らしい、でも、あの人は何もしていないと勝手に判断して、批判的な思いを持ってしまうことはしばしばあると思います。ヘロデ王のような人生もあります。1人1人、いろいろな人生があります。1人として全く違う人生の歩みです。その人だけの人生です。

 最初に戻りますが、人がこの世界に生まれて来て、ある人から「生まれて来てくれてありがとう」といわれることの大切さをいいました。その思いが、その人の人生の最後まで続いていって欲しいと願います。現実は、本当に難しいことですが、そのような愛された人生、喜びにあふれて感謝して歩んできた人生であって欲しいと願います。神の目からすれば、すべての人が1人1人、大切な存在であるはずです。私たち人間の目では、いろいろな判断をします。しかし、創造主である神は、この世界を創造し、私たち1人1人を創造し、命を与え、生かしてくださり、神に愛されているはずです。ヘロデ王もそうです。殺されたヤコブも、教会の指導者であるペトロもそうです。

ヨハネ3:16
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が1人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

 この神への讃美は、すべての人々に当てはまるはずです。世は、すべての人々の名前が入るはずです。神の目といいますか、神の人間に対する深い愛を信じて、歩んでいきたいと心から願います。すべての人々は、神によって、創造されて、愛されているのです。

祈り 神よ、あなたを礼拝することができましたことを心から感謝します。ヘロデ王の急死について、みてきました。ヘロデ王の悲しみに満ちた人生を思います。人はいろいろな人生を歩んでいきます。悲しい人生の方が多いのでしょう。でも、神の目は、すべての人々に目が注がれています。すべての人々は、神に創造され、愛されているのです。神の愛は不変です。神の愛を信じて歩むことができますように、私たちの歩みを守り導いてください。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。