前回の出稼ぎでMexicoをウロウロとしていた頃
急用ができて日本の自宅に電話した時に
「〇〇さんからありましたヨ」
との報告
「アレ? 彼はまだオランダに赴任中のはずだけどな~?(日本に帰国したのかな?)」
と
一瞬気になったものの、特に伝言もなかったとのことで
スッカリ忘れていたのですが・・・
先日カリブ海で乗ってた船の運航会社の所在地がオランダで
オランダ人の監督とも最初の二日ほど一緒だったのを思い出し
『何か関連でもあるのかな? それともただの偶然かな?』
と思いつつ、つい今日まで放置していたら
とある方(電話をくれたオランダ駐在の方の元上司)から電話が
「今回はHamburg Messe(SMM)に行かれなかったですか?」
「□□さん(私)の大親友のロシア人の〇〇さんが行ってて探してたみたいですよ」
とのこと
ドッヒャ~
中米行きの件に没頭してて、Hamburgのコト、スッカリ忘れてました~
慌ててそのロシア人の大親友ユリパウチ(Yuri Pavlovich)氏に電話して
「今年のHamburg行ってたんだって~」
と久しぶりの会話に花を咲かせちゃいました
思い起こせば ペレストロイカから間もない1990年代前半
当時、物資がなにもなくて 困窮していたロシアを訪問し
なぜか不思議な縁で結ばれて
その後、年に2・3度の定期訪問を何年にも亘って続けるようになって
彼をつうじてお客を紹介してもらい、ロシア市場を開拓できるようになり
そうした縁から、更には
在日本ロシア総領事館の副領事とも家族同然の付き合いをするようになって
あの警備の厳しいロシア総領事館に顔パスで出入りできるようになったり
日露親善友好パーティーにも来賓として夫婦で招待されたり
タダでVISAを発給してくれたりと
ロシアに太いパイプを持つ者として
リーマン時代にはロシア通として名を馳せるキッカケを作ってくれたりもしたんです
また、独立して起業した後には
それまではチヤホヤともてはやしていた出入りの業者から
手の平をかえすようにソッポをむかれ 冷たい世間の厳しさを実感させられていた頃
私の会社の唯一の物品購入の大のお得意さんとなって
年間数千万の注文をして助けてくれた
大恩人
一緒に旅した思い出も山ほどあって
地元のVladivostok周辺はもとより、Nakhodoka、Khabarovsk
Moskva, St. Peterburg, Hamburug, Berlin
日本でも東京、大阪、富山、福井などなど
家族ぐるみのお付き合いを続け共有している思い出も沢山あるんです~
そんな近しい関係だったのに
こちらが新たに開拓を試みた事業展開でつまづいてしまい
日々の生活に追われ
その後は出稼ぎ稼業に没頭してしまったこともあって
気づいたら
最後にロシアを訪問してから、もう4年以上もの歳月が経過していました
今日の電話で
「そのうち遊びに行ってもいい?」って聞いたら
「もちろん大歓迎にきまってるじゃん 早くおいで」
との嬉しい返事
よーし
じゃあ 久しぶりに遊びに行ってこようかな
・・・でもこれからだったら 早くても11月
もうアッチは冬だもんな~
(真冬の1月下旬から2月のはじめにも何度か行ってますが・・・)
冬にはウォッカが特に美味しいし ダイヤモンドダストは綺麗だけど
やっぱ春まで待とうかな
いずれにしても
そんな嬉しい友との再会のキッカケとなる嬉しい電話があったというお話でした
(まぎらわしいタイトルですみません)