Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

”糸の切れた凧”【その①目指せ陸中】

2024-10-02 10:54:06 | 旅行

なんせ社会人になって以降

出張漬けから、長期海外派遣を何度も繰り返し

連続TVドラマはほとんど観れない生活が続いたため

 

すっかり縁遠い人生となってしまったことから

某国営放送の朝ドラ”あまちゃん”が面白いと耳にしながら
視聴するのを諦めていたのですが・・・

去年だったかな? BSで再放送すると知って

全編録画設定して保存していたものの

なかなか余裕を持って観る機会がなく、半ば忘れていたところ

 

このブログでも記事にした

7月末に断食することを決めた際

録画したブルーレイとパソコンを持ち込んで

個室で誰にも邪魔されることなく見続け

(150回x15分=2,250分[37.5時間])

家に帰ってからも数日間、毎夜仕事を終えて寝るまでの楽しみとなり

残りの回数が少なくなると

今度は”あまちゃんロス症候群”が怖くなり
わざと1話、2話だけ観ることにして完結しないようにしたのですが

それでも最終回を迎えてしまい

 

その時にはいつものことで

直ぐにでもロケ地へ飛んで行きたい気持ちに駆られてしまったのですが

 

いかんせん8月は水利組合の池の水管理当番

9月は環境整備の委員長もあり

それまでにそこらじゅうの土地の草刈りをしなければ

後ろ指を指されるなと

 

Google Mapsの航空写真を眺めながら

ルートや旅程を空想しながら

旅程を組み立てて

悶々としながら過ごしていたのですが

 

9月22日、ようやく環境整備を終え

とりあえず近所の空き地の草刈りも終えて

 

会社と家族に旅に出ることを伝え

最も楽そうな花巻空港へ飛ぶこととしたのですが・・・

関西からは以前はピーチもあったのですが

今はJ-AIRのみ

競合のない航路もあってシニア割もなく

片道40,000円超え

 

他に方法がないかなぁ?と花巻空港への乗り入れフライトを調べてみると

FDA(フジドリームエアライン)の神戸と名古屋便があり

神戸は一日1便のみで到着時間からせいぜい盛岡泊まりしかできず断念

名古屋便は4便あって昼頃のフライトなら現地移動も楽とわかり

他の選択肢はないなと自分に言い聞かせ即決

事前に調べておいた時には、早割だったのか片道16,500円程度だったのが

前日だったので28,500円

(但し、当日だと40,000円ちかくなってJALの方がお得)

 

悩ましいなぁと思いつつ

新幹線に乗るのは絶対にイヤなので

ネットでチケットを購入

 

さて、飛行機が確保できたし

宿も予約しよ と

宿泊予約サイトで龍泉洞温泉ホテルを探すと

どうにも出てこず大焦り

 

それならばと直接宿に電話したところ

団体客が入って満室なんですとのこと

 

周辺の宿も全くとれず

これはヤバいぞと二日目の宿

あまちゃんで何度も登場する

袖ヶ浜の最寄り駅で、安家川橋梁の眺望も楽しもうと

”堀内(ほりない)駅”に近く

食事もよさそうな”小野旅館”に電話してみると

「すみません。満室なんですよ」とのこと

 

急いで小野旅館の先にあった”国民宿舎えぼし荘”に電話すると

「風呂・トイレ共用のお部屋ならあります」とのことだったので

 

 

アチャー

これは旅程から見直さないとと

花巻から 釜石線で釜石に出るルートも考えたのですが

どうにも不便

 

盛岡からJR山田線で宮古のルートも考えて

いずれにしても初日は宮古泊まりにしようと決め

駅近くのホテルを予約

 

当初は、とりあえず”あまちゃん”ロケの聖地

袖ヶ浜(小袖海岸&小袖海女センター)と北三陸駅(久慈駅)を訪ねてから

帰路、東日本大震災の津波の被災地【宮古】【田老】そして【島越】で

鎮魂の祈りを捧げようと思っていたのを急遽変更

 

急いで国民宿舎えぼし荘に電話して予約を済ませ

「堀内から歩いて行けますよね?」と尋ねると

「野田玉川へお迎えにあがりますよ」とのこと

堀内駅で下車できないのが残念でしたが

旅程を組みなおし

 

当日、朝7時30分に家を出て

大和西大寺から特急で大和八木に向かい

大和八木からは 特急ひのとり(8:29発)

平日の朝だからかビジネス客がほとんどで 

それもほぼ満席

10:08 近鉄名古屋駅到着

地下街を抜けて

ミッドタウン前のバス停から

県営名古屋空港行バスに乗車(10:35)

(11:00)県営名古屋空港到着

その昔、セントレアができる前は

名古屋からNZのオークランド行とかに乗ったこともあったなぁと思い出していたところ

 

三菱重工の建屋を発見

例の大失敗したMRJの工場みたいでした

その後、花巻空港や盛岡でのんびり食事する時間がないので

つい、ランチを注文して大焦り

断食してからお酒はやめられないので

食事は思いっきり節制してたのに

どうしよう と思いつつ完食しちゃいました。

その後、搭乗口へと向かったのですが

いまや定期便はFDAのみなんですねぇ

 

でもって、なんといまどき紙のチケットのみ利用可能

それでも、福岡、高知、丘珠、山形、新潟、花巻など

そこそこ本数もあってビックリ

FDAって、フジの名前のとおり静岡空港がハブで

どうやら鈴与が関与した会社で

JALと提携したLCCみたいでした。

てっきりANA系のIBEXみたいな小型JETかと思ってたら

ずんぐりむっくりした機体で

機内はゆったりとしていて乗り心地は良かったですよ。

ただ、相当使い込んだ翼をみてると『そうとう古そうだなぁ』との印象も

花巻空港への航路は 北アルプス上空から富山、新潟と

佐渡島を右手にみて針路を変え山形上空から花巻に進入してました。

予定時刻より少し早めに花巻空港到着

13:50発のバスしかないかと思ってバスのチケット売り場に行くと

13:20発の盛岡行バスが待ってますといわれ大助かり

宮沢賢治ゆかりの花巻農業高校横から

花巻空港駅を経由して花巻ICから東北縦貫自動車道を走るのですが

周辺に民家のない山裾には”動物注意”の標識の絵が”熊”

 

場所によって、狸だったり、猪だったり、猿や鹿は良くみるけど

さすがは陸中 熊が普通に棲む土地なんだなぁと納得しちゃいました。

14:10 盛岡駅東口到着

前述のとおり当初予定では

盛岡からバスで龍泉洞に向かい

龍泉洞温泉ホテルに泊まり

翌日龍泉洞を見学してから岩泉小本に出て三陸鉄道に乗るつもりだったのが

ホテルが団体が入って満室と断られ

 

花巻から釜石線で釜石に出ること

それよりも素直に盛岡から宮古に出ようとJR山田線に乗るつもりでいたところ

台風5号の大雨で被害を受けて不通となっていたことを知り大ショック

 

ネットの乗り換え案内サイトで月日時刻まで入力して調べたのに

そんな不通の情報は全く知らされず

 

(いまどきはGoogle Mapsで経路を調べた方が正確なのを再確認しました

 

調べてみると盛岡~宮古のバスがあることを知り

切符売り場できっぷを買って

車内にトイレがあるかと尋ねると

「トイレがないので、1時間後にトイレ休憩します」とのこと

薬のせいもあって、頻尿気味なので

JR駅のトイレに向かうと

久慈の琥珀のお店や

”紅生姜かき揚げそば”なるとっても美味しそうなそばを発見!

少し離れたところに ”わんこそば”のお店や

”盛岡冷麺”の店など

後ろ髪をひかれる思いでバスに乗り

 

14:36 宮古行特急バスに乗車

途中でみかけた履物屋さん

一本歯の下駄や高下駄、雪駄類もいっぱいで

いつか店に入ってみたいなぁとの印象(笑)

こちらは岩手県公会堂

生まれ故郷の豊橋にも昭和レトロで名物となっている公会堂があるので

つい目にとまってしまいました。

お次は、盛岡の象徴”岩手銀行”の建物も見ることができました

盛岡の市街地を抜けてからは、途中の停留所をまわるため

細い山道となりましたが

しばらくして盛岡・宮古横断道路に合流し

途中、道の駅”やまびこ館”でトイレ休憩して

16:30 宮古駅前到着

16:40 宮古に向かうことを決め急いで予約したホテルにチェックイン

駅近で決めた宿でしたが

三鉄(三陸鉄道の線路沿い)の車輛もみれて気分はウキウキ

とりあえず荷物を放り込んで

 

”釣瓶落とし”の季節なので 日没までに動かないと

最寄りのバス停から港方面に行き

 

にっぽん縦断こころ旅 2016年春の旅【541日目】で紹介された宮古港の出崎埠頭へ

 

当時はまだ工事中だった場所には

津波用に新設された防潮堤ができてました。

撮影当時は、まだ昔の魚市場があった場所には新しい防潮堤ができ

お手紙の主のお父さんが機関長をしていた内航船の接岸していた埠頭も

いまや漁船の水揚げ岸壁となっているようでした。

その後、津波到達地の碑をみつけ

 

東日本大震災直後、ボラバスで気仙沼へ行き共に活動した仲間(♀)から

2011年5月頃にメーリングリストで周知してもらった津波の動画を思い出し

 

https://www.youtube.com/watch?v=Run7WrfCgRE&t=618s


 

【宮古=津波の被災地】と刷り込まれていたため

撮影された市役所跡(いまは公園になってます)に立ち寄り

 

鎮魂の祈りを捧げてさせていただきました。

 

 

【”その②北三陸津波の被災地へ”に続く】


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