9月27日宮古到着後
にっぽん縦断こころ旅2016年春の旅
541日目のこころの風景”宮古港出崎埠頭”と
東日本大震災直後、津波動画を観てトラウマとなっていた宮古市役所跡を訪れてから
『さて、どこかで夕食でも』と市街地を歩いていたところ
いつもの嗅覚で歓楽街の面影が残る一角を発見
昭和な淫靡な雰囲気の漂うとても魅力的な場所でしたが
もはやすっかり時代に取り残された遺跡となってしまっているなと
肩を落としてトボトボと徘徊していたところ・・・
薪を燃やしている匂いがして
見上げてみると高い煙突とたなびく煙が目に入り
これは間違いなく薪炊きの銭湯だな と気づき
『ひとっ風呂浴びよかな』と心惹かれちゃいましたねぇ
後ろ髪を引かれる思いで煙突と煙を目に焼き付けてから
飲み屋探しを続けていたところ
なぜかとても気になる赤提灯の居酒屋を発見
『よしこれは入ってみなければ』と躊躇することなく暖簾をくぐり
大将に断ってカウンターの隅の席に座り
「とりあえず生(ビール)」と注文しながら
お品書きをみてみると
どれもこれも魅力的なメニューだらけ
この、大きな大根と糸コン、つくね団子に
海苔がたっぷり入った”突き出し”
ムチャクチャ美味しくて
『この店、正解だったな』と確信
”生牡蠣”と”しめこはだ”で生ビールを数杯飲んでから
『さて、次は何飲もう?』
と悩みながら
日本酒は飲み過ぎて早起きするのが辛くなりそうだし
甘いチューハイやサワー類じゃ肴に合わないなと思っていたところ
突如、あまちゃんで北鉄の駅長”大吉っあん”が頼む
”ウーロンハイ”焼酎抜きを思い出し注文(但し、勿論焼酎入り)
続けて、店の売りと思われる”どんこたたき”なるものが気になって
ネットで検索してどんな魚なのか確かめてから注文したのですが
肝であえたタタキは最高でしたねぇ
この辺りで、地元の常連さんらしき客がカウンターの隣の席に座り
続けてその友達も来店した頃にはすっかり打ち解けて
それまでにもそこそこ飲んでいたものの
まだ飲み足らず、かと言って一人でボトル頼んでも勿体ないからと
彼等も飲むかと尋ねてから赤霧島をボトルで注文
続けて、宮古港まで歩いていた時に見かけた カレイの一夜干しを頼み
↓ 意気投合した大将がオマケでサービスしてくれた鮪のお刺身
これも最高に美味しかった~
『宮古の津波の動画がショックで市役所跡に行ってきた』
と話すと当時ことを話してくれて
『遺跡のような歓楽街を眺めてきたけど、その昔は漁船の乗組員で賑わってみたいだね』
『あと、火野正平さんの自転車の旅で出てた出崎埠頭に行ってきた』
とか
『この店も嗅覚で探し当てた』と話すととても喜んでくれて
彼等と大将も加わって会話も弾み
そこそこいい気分になったところでオアイソしてもらったところ
「ボトル代が入ってお高くなっちゃいました。。。」と
9千なにがし円の紙を渡されたのですが
生牡蠣800円
しめこはだ600円
どんこたたき800円
カレイ一夜干し800円
に生ビール4杯(600円x4=2400円)
ウーロンハイ5杯(500円x5=2500円)
赤霧島 ボトル 2700円
ですでに10,600円
突き出しを加えたらそれ以上とわかっていたので
その心意気が気に入ってしまい
ついついまたまたフーテンの寅さん『釣りはいらねーよ』から
この日は諭吉を二枚渡し
「今夜は良い店がみつかって美味い酒が飲めて嬉しかったなぁ。
彼等の飲み代の足しと大将に酒勧めなかったからとっといて」
と往時の藤山寛美ほどじゃないけど
つい大判振る舞い
受け取るのを遠慮してるので
「今度は火野正平さんの番組で観た山田町の荒神社(あらがみしゃ)に行くからまた寄らせてもらうわ」
と店を後にしたのですが
その後、〆のラーメンが食べたくなってしまい
ホテルに戻ったのに入らず
宮古駅方面を彷徨ったまでは覚えているのですが
その後の記憶なし
翌日、三陸鉄道が動き出した音で目覚め
外をのぞくと丁度日の出時刻
前日には気づかなかった 大煙突をみつけ
調べてみると”ラサの大煙突”だそうで
前日、出崎埠頭近くでラサの精錬所の遺構をみていたので
当時は漁業以外での代表する産業だったんだなと納得
いや~、何も調べずに現地で知る新たな知識 ためになりますね。
朝イチで朝食を済ませ
宮古駅に向かい
すでに新田老までは不通となって代行バスになってることを知っていたので
駅の構内で”あまちゃん”の第一回の開業記念日を彷彿とさせる写真を眺め
自販機でキップを購入
代行バスに乗り込みました
新田老駅で下車後は
ほとんどの乗客が三陸鉄道に乗り継いでゆく姿を見送り
とぼとぼと歩いて
その昔は万里の長城と呼ばれた防潮堤を訪ね
その奥に新たにつくられた防潮堤に驚きながら
津波遺構として保存されている”たろう観光ホテル”を眺め
標識に誘われて展望台まで登ってみたものの
木が生い茂っていて三王岩を眺めることができず
諦めてまた漁港に戻って三王岩に向かったところ
修復された製氷保管施設があり
港内には少し大きな定置網用の漁船もあるものの
ほとんどが小型の船外機付きのFRP和船だらけ
この辺りの主流はアワビなんだと知りました。
漁港の先は荒波が岩に砕ける音が鳴り響く海岸線となり
その先に三王岩があったのですが
津波で動いてしまった大きな岩を眺めながら
前日、居酒屋で仲良くなった常連さんが
「『津波で三王岩が一王になったらしい』って噂が飛び交ったました」との話しを思い出し
よく耐えたなぁと
三王岩の近くには
奇跡の一本松があり、陸前高田は枯れてしまいましたが
ここ田老は煙害にも耐えたようで驚かされました。
その後、また昔の防潮堤方面に戻り道
過去の津波の高さを教える標識がありましたが
田老は入り江が狭いため、
容積で押し寄せた津波が行き場所をなくして上に逃げたんだなと実感させられました。
これは、川の河口に作られた防潮堤
分厚いコンクリートの扉にビックリさせられましたねぇ
中央の狭い切り込みが海と繋がっている箇所
また昔の防潮堤をまじまじと眺めてから
道の駅へ向かい
ジオラマや津波の直後と現在の比較写真で
その被害の大きさを実感
この田老の道の駅には訪問者がどこから来たのかシールで残してありましたが
奈良からは3人目でした。。。
その後、新田老駅に向かい(新田老駅は津波の後新設された駅)
津波で被害を受けただろうと思われる建物もしっかり使われていて驚きました。
あと、新築の5階建てのマンションも最上階から屋上に上れる梯子があり
また津波に襲われたら屋上まで逃げられるようにしてるんだとこれまたビックリ
この日は土曜日だったからか
三陸鉄道も大賑わい
代行バスも2台体制でしたが
宮古からのバスの遅れと
新田老駅は三階がプラットホームのため
エレベーター待ちで更に遅れ
とうとう20分遅れでの出発となりました。
新型車両はすっかり観光仕様
次に向かったのが
島越(しまのこし)
”あまちゃん”で親友の足立ユイが東京に向かおうと乗車していて東日本大震災に遭遇
大吉とトンネルを出たところで津波で破壊された線路を呆然と眺めていた場所だったので
今回の旅ではぜったいに訪れなければと思っていた土地でした。
新しい駅舎は、津波で破壊された駅舎を模した宮沢賢治ゆかりの地のひとつ
t
津波前の航空写真がありましたが
現存してるのは高台にある家のみ
ここの駅舎には やはり津波前の島越のジオラマがあり
これは津波がきたら”ひとたまりもない”だろうなと実感
島越のある田野畑村には
にっぽん縦断こころ旅で火野正平さんが訪れていた北山崎のあり
断崖クルーズの観光船があるとの案内があったので
乗れないかと電話してみたところ
「風が強くて本日は欠航です」とのつれない返事
それならばと、訪問先に決めていた旧駅舎跡と宮沢賢治の碑を目指そうと歩いていたところ
橋の架け替え工事で年度末まで通行止め
そんならいいやと歩いて海岸線に出ることに
新しい防潮堤の上から海を眺め
迂回路で大回りして旧島越駅階段と
慰霊碑に手を合わせ
断崖クルーズの観光船のある漁港まで行ってみましたが
実は、ザックを担いでもう10キロ近く歩いていてヘトヘト
まだ次の三陸鉄道の発車時刻まで1時間以上ありましたが
駅舎に戻り
田老の道の駅で仕込んでおいた
発泡酒ロング缶2本と塩オニギリと玉子焼きとフライドチキンで昼食を済ませ
そのままベンチでうたた寝してから改札口に向かったのですが
やはり遅延していて20分遅れ
駅まで迎えに来てくれる国民宿舎の方に申し訳ないなぁと思いつつ
支援のつもりでお土産を買わせていただきました。
【その③いよいよ”あまちゃん”ロケの聖地、袖ヶ浜(現実の地名は小袖海岸)へ】