2月7日午後 出張先の倉敷(水島)で”つぼ八”を発見して
頭の中が若鶏の半身揚げにいっぱいになってしまい
山陽道・中国道・阪神高速をぶっ飛ばして奈良に戻り
そのまま電車で難波に出て
心斎橋か堺市駅前のつぼ八に行くつもりだったのに
やはり仕事と運転の疲れがどっと出て断念
その後苦手な季節の変わり目もあって
ずっと手足が異常に冷たくなったり心拍数が不安定になったりと
たぶん自律神経の失調から体調不良が続き
それでも18・19日と
約束していた名古屋港での仕事を無理やりやっつけたりしてたのですが
戻ってきたらまたまた絶不調
24日の夜には約5年ぶりに20年来のフィンランド人の友人と
大阪で飲む約束をしていたため
このままじゃあマズイと天皇誕生日に
鈍った身体に喝を入れようと
慣れた暗越え街道で生駒山に登るか大阪まで歩こうと決意
その時のご報告記事を書かせていただきました。
2月23日祝日天皇誕生日
家を出て霊山寺の裏手から暗越え街道に向かって坂を登るも
すぐに息切れしてしまい
何度も立ち止まっては息を整えることとなりましたが
なんとか追分梅林を眺められる地点まで登ったところ
↑ ココは
数年前にできたなんの変哲もない空き地にできた”OIWAKE PARK”なるキャンプ場
運よくキャンプブームの波に乗っていつも数張りのテントがあるのですが
第二阪奈道路を走る車の音やショッピングタウンのネオンが眩しいようなところなのに
いつも予約でいっぱいなんだとか
信じられへんと思いながら通過
その後酷道308号線を歩いていたところ
猪が破ったフェンスが目に入り
そう言えばウチの竹林にはまったく気配がなくなっちゃったけど
猪ちゃんと生き残ってるのかな? と気になり
ところどころで目についた獣が歩いたらしき形跡があるものの
猪らしき足跡がみつからず
たんなる生駒山越えを目指すより
矢田丘陵に猪が棲息しているか調査しようと
いつもながらの突然の思いつきで目的変更
榁の木峠から矢田丘陵縦走路に入り
矢田山遊びの森を過ぎた辺りで
ミミズを探した形跡を発見
登山道に沿ってミミズのいそうな場所を掘り起こしてて
枯葉の様子からウリ坊くらいの子猪みたい
視界のひらけた場所から生駒山を眺めながら
よしよし これは成果があったなぁと気分も上々
ヌタ場にはあまり暴れた形跡がなく
ミミズを求めて掘り起こした地面からもやっぱり子供しかいないみたい
大きな猪なら身体についたダニを落とすために
ヌタ場で寝転がってその泥を木の幹に擦りつけた跡があるのですが
目につくのは枯葉を掘り起こした跡ばかり
斜面を駆け上がったり駆け下りたりした場所には
爪と蹴爪もみつかり
間違いなく猪だと確信できました~
その後、池に鴨がいないかなぁと覗いてみたのですが
どの池にもみつからず
トレッキングする人も多いし
もしかしたら銃禁なのに空気銃で違法な猟をしている不届き者がいて
それを嫌って夕暮れまでどこかに逃げてるのかもと勝手に推察
いずれにしても猪が棲息している痕跡がみつかったので
大嫌いな松尾寺(厄除けをネタに脅すように祈祷を迫る強欲寺なので)を避けて
周回ルートで家まで戻ろうと下山開始
矢田寺までの道にも猪の痕跡だらけで安心しちゃいました
矢田寺からは
饒速日とその妻で長髄彦の妹、御炊屋姫を祭神とする
矢田坐久志玉比古神社(矢落神社)に参拝して
以前は半分馬鹿にしながら眺めてた邪馬台国想定地跡を歩くことに
たぶん古代史に興味のない方には全く知られていないと思いますが
つい最近、わが集落にある富雄丸山古墳から
日本最大の蛇行剣や前例のない銅鏡が発掘されて
魏志倭人伝に書かれている鉄を精製する技術があったとすると
ヤマト王権時代の権力者の墓だったのでは?と想像してしまい
いつもながら、勝手に想像をたくましくしちゃいました
そこから我が家に向かう道中には
去年まで悩まされていた猪の罠だらけ
ここは大和郡山市と奈良市の境で
猪が浸入してこないよう
こんな仕掛けがしてありました。
(与那国島で観た馬や牛が住居地に入れないようにしてあったテキサスゲートみたい)
ということで、この日は14キロ、二万歩超えを達成できて
すっかり元気を取り戻すことができちゃいました
もう高齢者になっちゃったし、このまま老いてくのかなぁ
と悲しい気分もすっかり払拭
みなさんも もし歳とっちゃったかなぁ~なんて思うことがあったら
是非一度心肺機能や全身の筋肉に負荷をかけtれ
是非とも健康体を維持してくださいね。