
藤原俊成(1114-1204)
若年から歌人として名を馳せており、
多くの歌合せの判者をした記録が残る。
「千載和歌集」の選者であり、勅撰集に四百あまりの歌が載っている。
当時の歌壇の指導者として多くの歌人を育てた。
中でも、平忠度とのエピソードは良く知られている。
・・さざ浪や志賀の都はあれにしを昔ながらの山ざくらかな・・
平忠度は師の俊成にこの歌を託し戦場に赴き華々しく戦死した。
俊成はこの歌を詠み人知らずとして千載集に撰んだ。
息子である藤原定家撰の小倉百人一首には俊成の、
・・世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奧にも鹿ぞ鳴くなる・・
がある。
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