淀君(1567?-1615)
内容からして、淀君40歳頃の書とみられる。
流れるような華美な筆跡の中に、緩急を伴う鋭い線が非凡な書き手であった事を如実に語っている。
伝えられている通りの才色兼備であったのであろう。
ひとひハ御さうさに
豊臣秀頼(1593-1615)
秀頼八歳の書である。
一説に凡才、一説に秀才、と二説あるが、
僅か八歳で是だけの書を書くのは後者であったに違いない。
おおらかで温かみがある、バランス感覚にも優れる。
豊国大明神
片桐且元(1556-1615)
賤ヶ岳の八本槍の一人として武名を馳せた。
秀吉死後、秀頼に近従するが最晩年の行動には不審な点が多い。
北野神社造営の折の奉行を務めた折の指図を示した内容であり、
一時期の充実した様子が読み取れる。
御本社まへのしらすな入ニ
古田織部(1544-1615)
桃山時代の大名で利休の高弟と知られ、
利休亡き後の茶の名人として茶界をリードした。
大阪夏の陣で大阪方に内通したとして自刃した。
茶人らしい趣に富んだ書である。
先剋尊書添存候大修理
近衛信尹(1595-1614)
低俗に堕ちた江戸初期の和様書道に新風を吹き込んだ。
当代一流の歌人としても名を留めている。
信尹の遺墨は極めて多種多様で、
幅広い能書活動家で有った事が覗える。
寄蘇鉄恋
高山右近(1552-1614?)
典型的なキリシタン大名であり数奇な運命を辿った。
最後は徳川幕府のキリシタン弾圧によりマニラに追放され、
没年は定かでない。
茶道にも通じた文化人であった。
自由闊達な何物にも束縛されない伸び伸びとした書風である。
水指昨可然候