書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

趙孟フ・玄妙観重修三門記

2006-10-31 08:56:10 | Weblog

趙孟フ(1254-1311)

字は趙子昂。
宋の太祖の流れを込む宋王室の後裔である。
宋滅亡後、隠遁していたが、その才幹を認められ、
元の世祖から五朝に仕える。
弁にたけ学に通じ、眉目秀麗、、書画詩文に詳しく、
所謂、当時のスターであったらしい。
管夫人と呼ばれる彼の夫人は才色兼備をうたわれ内助の功のお方と知られている。
ご本人の趙孟フ、趙子昂と言った方が通りが良いかもしれない。
天分に恵まれ、元代では右に出る人は居ないとまで言われた傑物であった。

顔真卿以降、王羲之の典型を破り、
宋の、蘇軾、米元章、黄庭堅と新しい書風に走っていたが、
元時代の入ると懐古主義が風靡し王羲之への回帰が叫ばれ、
趙孟フがそのの活動の中心人物であった。

玄妙観重修三門記
玄妙観は現在でも蘇州城内に現存する。
三門を修復した由来を記した原稿である。


文天祥・虎頭山詩

2006-10-29 08:55:32 | Weblog
文天祥(1236-1282)

20歳にして進士に合格した秀才であり、
武人の如き芯の強き忠臣として名高い。
文官で有ったにも拘らず元軍に最後まで抵抗した憂国の士だ。
宋の滅亡後、元の世祖に任を請われたが最後までこれを拒み処刑された。

虎頭山詩
いかにも文天祥らしい、意志の強さを感じさせられる書だ。


張即之・金剛経(1253)

2006-10-25 07:53:56 | Weblog

張即之(1186-1266)

沈滞気味の南宋末期の書界において、
一人気を吐いたのが張即之ある。
正統的な二王の典型から脱し、王羲之の書にさえも異論を唱え、
新風を引き吹き込み一種独特の書風を打ち立てた。
その為か、後世の評価は割れている。

この時期に中国にわたった日本僧達がこぞって張即之の書を持ち帰っていることからしても、
当時の中国での著名振りがうかがい知れる。


金剛経(1253)
張即之は敬虔な仏教信者であり、その生涯で幾つもの金剛経を書いている。
その中の一つが京都智積院に蔵されている。
堂々とした長文で一字たりとも緩みが無い。


朱熹・劉子羽神道碑

2006-10-24 08:53:03 | Weblog

朱熹(1130-1200)

中国史上屈指の思想家である。
常に硬骨な正論を吐き他学派との軋轢に終始し、
遂には罪籍を蒙り悲運のうちに没した。
後に、大師等を追贈され、後世には朱子と尊称された。
彼の打ち立てた朱子学は中国ばかりでなく、
アジア諸国の正統的な学問と位置づけられた。

劉子羽神道碑
行書に近い楷書であるが、
一見して、唐の太宗を連想する。
敬虔な学者らしく端正に終始している。