無謀にも、
中国の古代の古文から清代に至る名書を臨書して来た。
原書とは全く形も意も異なったもの、
余りの粗雑さに眼を覆いたくなるもの、
意外に上手く書けたぞ、と、ほくそ笑んだもの、
長い間、書に携わってきて始めて目にしたもの、
それが、ときめきを感じるものであったり、
いろいろ、いろいろである。
不思議なもので、次第次第に、
書に対する親愛の情が湧いてきた。
その時代時代の雄叫び、凱歌、情熱、鬱憤、
そして、喜怒哀楽、親子親族への情愛、憎しみ、
男女の情愛、憎しみ、
間近に接したような気がする。
暫くお休みして、次は日本の名書の臨書に入る。
時折、未練を持ちながら書き残した中国の書も書き添えてみようと思う。
(「書の歴史を臨書する」は2006年初より拙ホームページに原書とその臨書を掲載したものであり、その後、平行して臨書のみを本プログに掲載した)
完
中国の古代の古文から清代に至る名書を臨書して来た。
原書とは全く形も意も異なったもの、
余りの粗雑さに眼を覆いたくなるもの、
意外に上手く書けたぞ、と、ほくそ笑んだもの、
長い間、書に携わってきて始めて目にしたもの、
それが、ときめきを感じるものであったり、
いろいろ、いろいろである。
不思議なもので、次第次第に、
書に対する親愛の情が湧いてきた。
その時代時代の雄叫び、凱歌、情熱、鬱憤、
そして、喜怒哀楽、親子親族への情愛、憎しみ、
男女の情愛、憎しみ、
間近に接したような気がする。
暫くお休みして、次は日本の名書の臨書に入る。
時折、未練を持ちながら書き残した中国の書も書き添えてみようと思う。
(「書の歴史を臨書する」は2006年初より拙ホームページに原書とその臨書を掲載したものであり、その後、平行して臨書のみを本プログに掲載した)
完