大内義弘・書状 2007-08-31 07:08:37 | Weblog 大内義弘(1356-1399) 百済王朝の血を引くとされる。 南北朝統一などで功績を挙げ、幕府に対抗するまでの勢力となるが、守護大名の弱体化を図る足利義満との戦いに敗れ戦死する。 義弘の墓所のある瑠璃光寺五重塔は国宝として知られる。 この書状は義弘30代後半の書とされる。 読み:臨時之祭礼厳重執勲行之条返々
北畠親房・書状 2007-08-30 07:26:01 | Weblog 北畠親房(1293-1354) 若年時から剛直と言われ、 最後まで南朝の中心人物として後醍醐天皇、後村上天皇に仕える。 「神皇正統記」の著者。 この書状は夢窓国師宛てのものである。 如何にも忠義一筋の筆跡である。 清清しく外連味が無い。 読み: 芹河殿敷地先年賜
足利尊氏・書状 2007-08-29 08:12:54 | Weblog 足利尊氏(1305-1358) 室町幕府の初代将軍。 元弘の乱が起こると、 当初は幕府方に組し後醍醐天皇を攻めるが、 後に天皇方に内応、六波羅探題を攻略した。 その功を以って建武の中興第一の功労者に挙げられる。 しかし、護良親王、新田義貞等の反尊氏の勢力の前に孤立して行く。 貴族中心の建武政権に反感を持つ武士達を結集して、 建武政権に反乱しこれを打ち破り、室町幕府を成立させる。 弟直義との不和など、必ずしも安泰な晩年では無かった。 尊氏の書は世尊寺派に分類され、能書家でもある。 読み: 自伯耆国所蒙
足利直義・書状 2007-08-28 07:27:53 | Weblog 足利直義(1306-1352) 兄の尊氏の忠実な補佐役として、 鎌倉幕府倒幕、建武の中興に重要な位置を占めたが、 急進派の高師直と対立し、 後には尊氏と戦い47歳の波乱の生涯を閉じる。 読み: 顕家卿己下凶徒事
高師直・書状 2007-08-27 07:18:37 | Weblog 高師直(?-1351) 足利尊氏の執事として権勢を振るう。 足利直義と対立し一度は勝ちをおさめ実権を握ったが、 二年後、直義軍に破れた。 「太平記」に塩屋判官高貞の妻に横恋慕した、 など頗る悪党野蛮な人物との伝えがあるが、 この書を見ると、相当に高い教養の持ち主だった事が覗える。 読み: 於敏満寺不可致乱入狼藉
夢窓疏石・書状 2007-08-26 07:57:17 | Weblog 夢窓疏石(1275-1351) 臨済宗の高僧。 宇多天皇九代の孫と言う。 18歳にして仏門に入り、 一山一寧等、当時の名僧達の薫陶を受ける。 次第に名僧としての名を馳せ、 北条高時、足利尊氏、後醍醐天皇等の帰依を受ける。 造園技術に優れ、 西芳寺、天竜寺、瑞泉寺、恵林寺等の名園を残す。 読み: 御礼委細拝見候了
吉田 兼好・書状 2007-08-25 08:35:03 | Weblog 吉田 兼好(1283-1350) 言わずと知れた日本の三大随筆に数えられる「徒然草」の作者である。 北面の武士として後宇多天皇に使えたらしいが、 意外とその伝記は詳らかではない。 当時の和歌四天王との記録が有り、 幾つかの和歌を残している。 悪党野蛮な人物とされる高師直の横恋慕の恋文を代筆したとされる。 典型的な和様の書であり、相当に鍛錬された筆跡である。 読み: 御寺坊葱別(無子細候覧)
雪村友梅・一行詩 2007-08-24 07:14:08 | Weblog 雪村友梅(1290-1347) 18歳にして元に渡る。 現地では趙子昂に書を学んだ。 間諜の疑いを受け獄に投じられるなど帰国したのは40歳を数えた。 五山文学の代表的人物である。 臨終の折、右手も左手も使えず、大筆を憤然と屏上に投げ捨てたという。 読み: 月掛南渓樹
新田義貞・書状 2007-08-23 08:47:56 | Weblog 新田義貞(1301-1338) 先年、琵琶湖北岸の観音を巡り歩いた時に、あるお寺で、 ここが新田義貞とその兵が豪雪にを阻まれ自害したと伝えられる地と、聞いた。 お話して頂いたご婦人が、ご自分の胸の辺りを指差して、 「冬はこの辺りまで雪が積もるのですよ」 と仰って居られたのが印象的だった。 どちらかと言えば雪の少ない上野の出身である義貞にとっては 堪らない雪であったであろう。 ましてや義に忠じての負け戦、 頼みの後醍醐天皇にも見捨てられた形の義貞の心底を思うと切ない。 これは義貞36歳の書、 内容は尊氏討伐の出兵を鞍馬寺に要請したものである。 読み: 尊氏以下五徒追罰の事
花園天皇・達磨像賛 2007-08-22 06:27:05 | Weblog 花園天皇(1297-1350) 後醍醐天皇の1代前の持明院統の天皇。 読経・念仏を欠かさなかったなど、文人肌で信心深かったと言われている。皇太子時代の光厳天皇を訓戒するために記述した誡太子書は、来るべき動乱の時代を予見した文章として名高い。 読み:底事当年断脣人