書の歴史を臨書する

古今の名磧を臨書、最近は米フツ。
時折、気の向くままに漢詩や詩、俳句などを勝手気侭に書いております。

護良親王・願文

2007-08-17 08:05:34 | Weblog

護良親王(1308-1335)
幼くして延暦寺大塔に入ったので、大塔宮と呼ばれる。
19歳で落飾し2度にわたり天台座主となる。
元弘元年(1331年)に後醍醐が2度目の鎌倉幕府討幕運動を起こした時に還俗して参戦する。
その後、幕府軍との戦いに明け暮れ、ついに六波羅探題を滅ぼすに至る。
しかし、尊氏や父後醍醐天皇、その寵姫阿野廉子等と反目して捕らえられ鎌倉へ幽閉される。
その翌年、北条時行の中先代の乱の際、
護良親王が時行等に奉じられる事を恐れた足利直義に殺害される。
明治維新後、東光寺跡に親王の霊を弔うために鎌倉宮が造られ「大塔宮」とし呼ばれ、
幽閉されていた土牢は現在も鎌倉宮に現存する。
直義から護良親王の殺害を命じられた淵辺義博は憐れんで親王を逃がしたと言う伝説があり、
関東地方の各地に生存伝説が残っている。
後に、直義による護良親王暗殺を知った後醍醐天皇は益々尊氏との溝を深め、
新田義貞に尊氏征討を命じられ、かくして、南北朝の動乱が始まることになりる。

この書風から、剛直無骨なお人柄を想像する。
読み:
今度所願令成就者於丹生

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