『賭博者』ドストエフスキー(原 卓也訳)
ドストエフスキーの作品のなかでは、一番わかりやすく読みやすいのではないか。
──第一に、わたしにはすべてがきわめて不潔に思われた──なにか精神的にいまわしく、不潔なのである。
最初にカジノに入ったときは、主人公はそう思ったはず。
しかし、家庭教師にすぎない男は、恋する女のために、わずかな金を持って賭博室へ行く。
勝って、勝って、負けて、そしてまた勝って。勝ちまくりはじめると、ほかのことはどうでもよくなってしまう。
競馬、パチンコなどの経験はあるが、ケチな私は擦ってしまうお金が惜しくて、ひとりで出かけたことはない。また、賭けをするときのコントロールに自信のない小心者でもある。
勝ちはじめたら、どんどん深みにはまっていく心情が手にとるように伝わってくる。それがわかるということは、自分にもその要素がある、ということでもある。
そして、主人公はすっからかんになっても、もうやめることはできない……
作者自身が二番目の若い妻とともに、ヨーロッパの賭博地を転々とし、打ち込んだことがあるだけに、賭博場の雰囲気、賭けにはまった者の熱情などの描写はなまなましい。
自分まで手に汗をにぎり、賭けをしているような気分になる。
ドストエフスキーのなかで、もっともサスペンスフルで、エンターテインメントしている作品だと思う。
日本にも、横浜に、カジノを作るらしいが、作ることで大金を儲ける人がいるからだろう。その裏側には、深みにはまって、家庭が壊れ、路頭に迷う悲劇が増えるのではないか。
海外のカジノに行った者の話では、カジノには時計や窓がないという。熱中した賭博者に日常を思い出させない設計なのだ。それを聞いて、心底ぞっとした。
たしか台風が来ている、どさくさ紛れのときにIR法は可決された。