音楽が音楽に別れを告げる時の悲痛な叫び、、、、、
小林秀雄がその名著”モオツアルト”に書き綴ったこの文章ほど、この曲の真実をあらわした言葉を私は知りません。
モーツアルトの音楽に関して、様々な研究が進み、彼を取り巻く様々な事実は明らかにされてゆきました。
しかし、それらの事実がいかほどのものでしょう。
真実はいつでも人間の心の中にあります。 偉大な評論家の心にはあらゆる事実をこえてこの真実の言葉が浮かんだのです。
モーツアルト35才。
このころ彼の作った曲は、全ての様式、形式をこえ、音楽そのものがそこに存在するだけという、まさに神の言葉の領域に達しています。
同じく小林秀雄書き綴った文章
モーツアルトはかなしい。 モーツアルトのかなしさは疾走する。 涙がついてゆかない、、、
と言い表した弦楽五重奏はまさにこの時期の作品であり、このころ作曲されたピアノ協奏曲、交響曲もまた、涙はその音楽を追うばかりです。
疲労と困窮の中で、名作魔笛を含め、月に30曲以上も作曲をするという多忙。 彼の中にあふれかえる神の音楽は、彼の肉体の限界をもう超えようとしていました。彼に死因は過労死であったろうともいわれています。
そんなある日彼のもとに、黒尽くめの異様な身なりをした使者が現れ、死者のためのミサ曲、レクイエムの作曲を依頼します。
彼はこれが自分に対する死の使いであることを直感します。今となればこの使者がだれであったかの事実は明らかにされています。 しかしそれもまたどれほどの意味があるでしょう。 彼は真実それが死の使いであったことを感じ取っていたのです。
これは僕のためのミサ曲なのです。 僕はどうしてもこれを完成させなければいけません。 そう書き残した彼は、最後の力を振り絞って作曲を続けます。
天地が裂けるような慟哭の響き。 彼は自分の死にそこまでの慟哭の叫びを上げたのでしょうか。
死は長い間僕の友人です。 死ぬことは少しも恐ろしくありません。
ずっと若いころ彼はそう書き綴っています。
そして死のわずか2ヶ月前、天国の音楽とも思える、平穏に満ちた名作、クラリネット協奏曲を書き残しています。 このレクイエムが作曲されたのは死の恐れも何も感じさせない美しい音楽を作り上げたわずか2ヵ月後のことです。
私には、悲痛な叫びを上げているのは、音楽、音そのものとしか思えないのです。
天に、地に、この空間に、宇宙にあふれる音という音が、自分自身を、この上なく美しく響かせてくれたモーツアルトとの別れに、慟哭の声を上げているのです。
残されたわずかの力を振り絞り、作曲を続けるモーツアルト。しかしその命はついに、”涙の日” まで作曲がすすんだところで尽き果ててしまいます。
涙の日の自筆譜の最後に見られるしみ、、、 彼自身の涙のあと、、、といわれています。
絶筆となったこのレクイエムは、モーツアルトの残したスケッチをもとに弟子ジェスマイヤーの手により完成されます。
演奏をしていて感じます。 ジェスマイヤーの完成した後半は明らかにそれまで慟哭の叫びを上げていた音たちは沈黙し、安らかな死を迎えたモーツアルトの平穏な心が表れています。
幼いころから旅に明け暮れ、その才能ゆえに決して安らぐことなく人々に神の音楽を伝え続けた、モーツアルトが、いまやっと穏やかな死を迎えたのです。
彼の死を悼む大勢の人々は、城門までしか、彼を送ることが許されず、共同墓地に埋葬されたお墓の所在はいまだに明らかでないとも言われています。
新春にふさわしい、地元の若きピアニスト中ノ森めぐみさんと、日本を代表する弦楽四重奏団SAWA QUARTET の共演です。
鷲見三郎氏は米子市の生んだ偉大なバイオリンの指導者。数多くの名バイオリニストを育て上げられました。現在活躍する日本のバイオリニストで鷲見氏と関連を持たない人を探すのはきわめて難しい、といっても過言ではありません。米子市ではその偉大な業績を顕彰するため、氏の育てられた著明な音楽家を招いてのコンサートを行っています。
今年度あわせて行われるジュニアオーケストラの演奏会の指導には、長岡京アンサンブルの主催者として有名な森悠子氏が指導者として加わっていただくことになりました。
さて、近年は地元の演奏家と、鷲見氏の育てられた著明な演奏家との共演によるコンサートを行ってまいりました。安部可菜子氏と澤和樹氏の共演、野坂智子氏、稲田真司氏とSAWA QURTETの共演は何れも、地元の音楽ファンに大きな感動を与えました。
鳥取県でも優れた演奏家が沢山育つようになりましたが、このような超一流の演奏家との共演は、米子の音楽ファンや、これから音楽の道を目指す若い子供たちに大きな夢を与えてくれます。
今年度登場する中ノ森めぐみさんは米子北斗を卒業後、東京藝術大学で学ぶ新進のピアニスト。すでに数々のコンクールでの入賞歴を持っておられます。平成17年5月にはミンクス室内オーケストラと共演されシューマンのピアノ協奏曲を演奏され地元の音楽ファンに大きな感動を与えて下さいました。
SAWA QUARTET は東京藝術大学教授でバイオリン奏者の 澤 和樹氏の主催される日本では最も有名な弦楽四重奏団のひとつです。ファーストバイオリンの澤 和樹氏はもとより、デュオハヤシとしての活躍でも有名なチェロの林 俊昭氏などこれほどの著明な演奏家が集まっての弦楽四重奏は国内では他に類を見ません。
昨年度の演奏会では澤氏のお人柄もあいまって、アンコールのときなど、客席と一体となった暖かい演奏会になりました。
今年の演奏会は。モーツアルト:弦楽四重奏曲変ロ長調 狩 ラベル:弦楽四重奏 シューマン:ピアノ5重奏曲が演奏されます。
今回のチケットの裏面には、お越しの皆様のお名前をいただけますようお願いをしております。 米子市の音楽文化を担当する文化ホールでは独自の鑑賞団体や会員を持っておりません。皆様が連絡先としてお名前を書いていただければ、文化ホール主催の安価で、ハイレベルな演奏会のご案内を差し上げることが出来ます。安定した集客が望めるようになれば様々な演奏会の企画が可能となり、音楽ファンの皆様の大きなメリットとなると思われます。 ご理解のうえ、どうかお名前を書いていただきますよう、お願いいたします。
県知事も挨拶に見えられ盛大でした。 文化に重きを置かれる姿勢に感激。
奥様女中、恐れ多くもダブルカルテットで釈さんとファーストバイオリンを共演させてもらいました。 とんでもないことだわ、、、、
ダブルカルテットて大変ですね。 音程、弾き方ぴったり合わなければ、どんなに釈さんがきれいに弾かれても、ピアノの弦の2本が音程が狂っているようなもので足をひっぱってしまう。おまけにソリストはじめ回りは超一流の音楽家ばかり。
釈さんくらいになると、ピタゴラス、ミーントーン 純正律 自由自在に使い分けられる。 もうたださえ音程の悪い私が合わせるのは大変でした。
一つ一つの音の高さを必死で覚えこむ、、、。イントネーションも、
でもすごく勉強になりました。
アマールでもう一度ご一緒していただける。 近代曲になったらどんな音律で弾かれるんだろ。 どうしたらいいのやら
贅沢贅沢。
がんばるメンバーの方々の写真、フォトアルバムでご覧ください。
ミンクスのメンバーもプロの音楽家の方々に一歩もひけを取らずに演奏されました。
そもそも宗教で音楽を使うのは一般的ですが、それを最も効果的に使っていたのはキリスト教でしょうね。
ミサ曲だけでなく、あの荘厳な教会で天地、空間すべてが鳴り響くパイプオルガンの音楽を聴くともうただただひれ伏すばかりの感動でしょうね。思わず神様を信じてしまいます。
日本でも平安の昔にはお経は音楽として楽しまれていたようで、 今日はいい声のグループがお経をあげるから聞きにに行こうねと、まるでグループサウンズ(古いなー)を聞きに行くようにいい交わしているのが、つれづれ草か何かにかかれていましたね。
学生のころ奈良を一人で回りました。
夕暮れの長谷寺。 長い石段を登りきるころ、突然素晴らしい読経の声が聞こえてきました。
静寂な山々に響き渡る美しい声は、グレゴリオ聖歌に勝るとも劣らず、清冽な美しさにあふれていました。
平安のお経の美しさを偲ばせるに十分でした。
いまだにあの強烈な感動は忘れることができません。
私としてはぜひこのお経をCD化して、長谷寺ボーカルザウンズ、略してハセボーズ として売り出してもらいたいと思っています。
ミサもはじめは鳴り物を一切用いない、いわゆる、アカペラ (カペラって教会ですよね)しかやってはいけない時代が長くあったそうですね。
グレゴリオ聖歌に始まり、パレストリーナで極められたポリフォニーの音楽に発展してゆくのでしょうか。パレストリーナですら、華麗すぎるとの批判を受けていたとか、、、
ところが、ビバルディーの時代から(というより私の読んだ本ではいきなりビバルディーから)オーケストラバックの豪華絢爛な音楽になってしまいます。
それこそソロはあるは合唱はあるはトランペットは鳴り渡るは。もともとビバルディーのバイオリン協奏曲など、言ってしまえば、きれいな女の子の演じる宝塚のようなもの、日本でいえば長谷寺にいきなり宝塚の一団が現れて、絢爛豪華にお経ミュージカルとかをはじめるようなものでしょうか。
(その後のプロテスタントとカトリックのミサについてのことや、カトリックのミサ自体の変遷については音楽ではなく宗教のことになってしまうのでちょっと、、、)
この教会音楽の発展がやがてヨーロッパの音楽の基礎の一翼を になうようになっていったのを考えると、グレゴリオ聖歌に勝るとも劣らないお経を持ちながら、ビバルディーのような天才を持たなかったためその後の宗教音楽の発展が日本ではなかったのかと思うと感慨深いものがあります。
この世に救世主が現れるとの予言から、キリストの誕生。受難と十字架での死。復活。キリストを信じることにより訪れる平穏な世の到来までを物語る壮大な音楽です。
合唱と独唱。オーケストラにより演奏され、演奏時間はなんと3時間にも及びます。
題材は聖書からとられているものの、ラテン語やドイツ語で歌われる、バッハなどの宗教曲とは異なり、英語で歌われます。
英語の響きはやさしいですね。
霧に包まれた色彩に乏しいなだらかな丘陵が続くイギリス。
一秒一秒がほかの国よりもっと長くて時間がより深い意味を持ってゆっくりと流れてゆく国。
昔のシェークスピアのジュリエットのささやきから、この前聞いたハリーポッターの言葉まで、まるで時間の流れが止まったように、ほとんど変わらない響きを持つ英語で歌われるキリストの物語は、子供のときに聞いたクリスマスキャロルのようにやさしく懐かしい響きで心に語りかけます。
バロックの作曲家の中でもとりわけ美しく牧歌的な音楽を作曲したヘンデルは英語という優しく柔らかい発音を持つ言語を豊かに使い、美しく美しくこの音楽物語をすすめてゆきます。
貧しい人や孤児院のための慈善演奏会として演奏され始めたころ、客席からはあまりの美しさに常にすすり泣きが聞こえたということです。
メサイアの中でも、もっとも有名な曲ハレルヤコーラスは単独でもよく演奏されますね。
王の中の王、主の中の主。
キリストを褒め称える歌が高らかに歌われます。
ロンドン初演のとき、時の国王ジョージ2世が感動のあまり立ち上がり、おつきの人たちも聴衆も皆立ち上がりました。 それ以来、ハレルヤコーラスは皆立ち上がって聞くのが慣わしになっています。
おそらくベートーベンの第九と並んでオーケストラと合唱の共演ではもっとも人気の高いこの曲は、しかしながら鳥取県でこれまで演奏されることはありませんでした。
合唱団、オーケストラの並々ならぬ力量が必要であり、何よりこれだけの壮大な音楽を演奏するだけの組織力はこれまでの鳥取県にはなかったからです。
しかしついに鳥取県でもこのメサイアを演奏される日がやってきました。
これまでモーツアルト、フォーレのレクイエム。バッハのロ短調ミサと、大作を次々に演奏してきた米子第九合唱団が長年ともに歩んできたミンクス室内オーケストラとの共演で、この大作に取り組んだのです。
指揮はおなじみの松岡究さん。 ミンクス室内オーケストラの指揮者として登場以来、米子第九合唱団、鳥取オペラ協会の指揮者としても活躍。
鳥取県ではじめての数々の宗教曲の演奏や、オペラの演奏を成し遂げるなど、すでになくてはならない存在となっています。
さあ皆さん、いよいよ鳥取県でも、ハレルヤコーラスを立ち上がって聞く音楽会に出会えるようになりました。
ぜひ当日は会場へお越しになり、この感動を分かち合っていただきたいと思います。
メサイア演奏会は2005年3月13日(日)
午後14時より
米子公会堂大ホールにて行われます。
入場料 一般 前売り1500円 当日 1800円
高校生以下 前売り1000円 当日1200円です。
あさってはエキストラも加わって、舞台稽古。
歌の方たちは一年近く毎週毎週練習を重ねてこられたのでずっと大変なのですが、オーケストラはまた別の大変さがあります。
大勢の人がそれぞれに役割を果たしながら舞台を作り上げてゆく。
舞台芸術の醍醐味ではありますが、これほど大掛かりなものをうまく作り上げて行けるという人間の連係能力に感心。
ここまで育った組織。大事にしたいものです。
その中で、前回の公演がモーストリークラシックで取り上げられ全国的に高い評価がなされたこと。
それを受けて、鳥取での再演、福井の国民文化祭出の再演が行われるようになったことが紹介されました。
皆さんあと2週間です。がんばって練習しましょう。
曽田さん、稲田さんを中心にミンクスを代表して出演されたかたがたの演奏は、テレビ、新聞でも大きく取り上げられ、好評のうちに終了しました。
ご苦労様でした。
アンサンブル.ミンクス
としていただきました。
これから、ミンクスにお仕事の依頼が来て、何人か出られる場合、この名前を使っていただければ幸いです。
御呼ばれのとき簡単に出来るリングオーケストラみたいな、1管編成のオケもいいなー。
若いって、いいなー。一晩寝るとさらに成長している。 安部さんはますますきれいになって、年寄りの私は、ちょっとお祝いの電話するのがためらわれたのですが、”演奏会に来ていただきありがとうございます” とかわいらしいメールが入っていました。
門脇君によかったよー、と電話。
あのときのチェロコンはとても楽しかったですよ。 芸大の友達にCD聞かせると、皆、オケがほんとにうまいわー、とほめてくれるんです。 またご一緒したいです、 といってくれました。
お二人のますますの成長を期待しましょう。
ミンクス室内オーケストラは、結成後すでに20年近くになります。小編成で、緻密なアンサンブルを目指し、小さなホールで細々と、演奏会を続けていましたが、近年活動が大きく変わってきました。
よりよい演奏を目指そうという姿勢が、幸い、多くの方々に認められ、すでに16年続けているアザレアの町音楽祭のオープニング演奏会、米子第九合唱団との様々な宗教曲の共演、鳥取県オペラ協会の専属オーケストラとして、モーツアルトのオペラ公演をたびたび行う、など思っても見なかった、いろいろな機会を与えていただきました。特に国民文化祭(クリックしてね)のオペラ公演では、新作の新倉健作曲、ポラーノの広場のオーケストラを担当し、モーストリークラシックという雑誌で、全国的に紹介されました。
今でこそ、当時の演奏形式である、小編成のオーケストラはむしろ古典の演奏では主流となっていますが、20年前、オーケストラといえば大編成の、迫力ある演奏が当たり前で、ミンクスが認められるようになるとは、考えても見なかったのですが、自分たちの予想以上に、聴衆の皆様の新しい時代への感覚は鋭かったと、驚かざるを得ません。
これまで、米子市における演奏会は、米子市民音楽祭参加の形をとってきましたが、このたび、久しぶりに自主公演を行うことになりました。これを機会に、初心に帰るつもりで、演奏会場を、米子コンベンションセンター小ホールに移し、小さなホールでもう一度原点である緻密なアンサンブルと、より皆さんに親しまれる音楽を目指すつもりです。メインの曲にも、ミンクスの原点である、モーツアルトの交響曲40番を取り上げました。指揮はすでにおなじみの松岡究氏です。ミンクスの最も得意とする、モーツアルト。お楽しみいただければと思います。
今回のもうひとつの注目は、地元の若手ピアニスト、星野智子さんをお迎えすることです。(星野映二先生のお嬢さんです)
星野智子さんは、米子北斗中、高等学校卒業後、桐朋学園大学においてピアノの研鑽を積まれました。1998年PTNAピアノコンペティション西日本大会第三位。同年カウベルピアノコンクールにてグランプリ受賞、という輝かしい実績を持っておられます。5歳より母でありピアノ教育者である、星野まり子氏のもとで、ピアノを始められました。
近年の、米子における、子供たちのピアノの演奏レベルの高さには、目を見張るものがありますが、彼女の世代はピアノ、バイオリンで、特に数多くの優れた演奏者を輩出しています。互いに競うように、その豊かな才能を花開かせていったのですが、その影には、星野まり子氏をはじめとする、優れたピアノ指導者の献身的な努力があったのは、言うまでもありません。こういったご努力ののおかげで、私たちの町で育っていった演奏家が数多く存在することは、米子の音楽ファンにとって、とても幸せなことです。演奏家には旬というものがあります。10代後半から、20代前半までの香りたつような演奏は、成熟した演奏以上に魅力的で、神様が与えた才能が、紛れもなく存在するのだ、ということを私たちに教えてくれます。それが私たちの町で育った演奏家であれば、感慨もひとしおです。
今回取り上げるのはベートーベンのピアノ協奏曲第2番。彼女の若さあふれる演奏で、彼がさっそうと音楽界に現れたころのこの名曲が、より活き活きと輝くことと思います。
新緑のさわやかな季節にふさわしい、若さにあふれる演奏会。どうかお楽しみいただければと思います。