鳥取県の音楽家の方々が結成されていた、音の会、という集まりがあり、その声楽関係の方々。鳥取大学の新倉健先生、西岡千秋先生、などから、モーツアルトのレクイエムをやってくれないか、との要望があったのです。
県内3ヶ所公演。
まだまだ、演奏団体として活動を始めた早期。 他団体との初共演。初めての宗教曲。しかも鳥取県初演。常任指揮者の松岡さんはヨーロッパ留学中。
他に歴史あるオーケストラが多数存在する中、出来たばかりの小さな団体に声をかけていただいたのはありがたいものの、不安でいっぱいながら、引き受けました。
幸い、牧村邦彦氏という天才的な指揮者を迎えることが出来、またセカンドのトップには嶋田孝一氏や個人的に親交があり、長年N響のトップを勤められた竹内久文氏を迎え、好評のうちに終えることが出来ました。
ついで1994年、境港ハーフエンコールの方々と、モーツアルトのミサブレビスを共演。境港市初公演となりました。
米子第九合唱団は、米子市で第九を演奏するために結成された合唱団ですが、宗教曲の演奏にも熱心にとりくんでおられます。 ミンクスの演奏を認めてくださり、共演の機会を与え続けてくださいます。
これまで松岡究氏のもと優れたソリストを迎え、
モーツアルト、レクイエム 2回
フォーレ レクイエム
バッハ ロ短調ミサ
ビバルディー グロリア
を共演しました。
2005年3月には メサイアを演奏します。
歴代の館長さん、市民音楽祭実行委員の方々、文化ホール湯嶋さんのご努力で、メインのホールを使わせていただき、またオペラのガラコンサートのときなど、特別の舞台を組んでもらうなど、舞台関係の方にも、さまざまな便宜をはかっていただきました。
これは2003年までの長きにわたり続き、春の演奏会は、5月、倉吉、米子のそれぞれの音楽祭出演という形が定着してきました。
残念ながら、2004年より招待公演はなくなり、米子では自主公演を再開しています。
実際アザレアの町音楽祭がなければミンクス室内オーケストラ、鳥取県のオペラ活動、世米子第九合唱団との宗教曲の共演など、もありえなかったと、思います。
物心両面で支えられてきたのです。
アザレアとの出会いは、1989年の松江プラバホールでの演奏会にさかのぼります。アザレアの芸術監督、計羽先生がこの演奏会を聞いて感動され、ぜひアザレアの町音楽祭のオープニングコンサートをやってほしいと依頼されたのです。そのときこのような批評記事を書かれたのを記憶しています。 ”ミンクスの演奏を聴き、私は驚愕した。音楽が、そして演奏者が活き活きと、躍動しているのだ。鳥取県の音楽の成長を願ってきた、長年の夢が実現したと感じた、、、、”
その後企画委員の方々のご努力により、演奏会の費用、チケットの売りさばきすべてをやってもらえ、音楽祭の最高の舞台、オープニングコンサート飾らせてもらうという、破格の条件で迎えていただきました。
1990年の5月のことです。以後今日に至るまで、ご援助は続けられています。
当初ミンクスは,普通の市民オケのように大編成でもなく、何の補助もなく、団員の住んでいるところはてんでんばらばら。演奏会のチケットがさばけるわけもなく、それでも指揮者はプロを呼ぶ。 これで演奏会が続けられるわけはなかったのです。
それまで、細々と、でも自分たちが楽しめれば、そして自分たちの演奏を認めてくださる方に来ていただければ、小さなホールでも満足、、 と思っていた活動は、これ以後次第に変化し、思っても見なかったさまざまな活動の場を与えていただけるようになりました。
鳥取県では1985年より、毎年県民による第九演奏会が開かれています。
年毎に、鳥取市、倉吉市、米子市、と開催される会場が移動します。
ミンクス室内オーケストラは、米子公演において、地元の市民オーケストラ、米子管弦楽団とともに、第九オーケストラとして参加しています。
米子市においては、1985年、1987年、1990年、1994年、1996年,2003年に開催されています。
第九によせて
人の一生には、たとえそれがどんなに短いものでも、必ず、春があり、夏があり、秋があり、そして冬がある。幕末の混沌とした時代を、その短い人生を駆け抜けていった思想家、吉田松蔭の言葉です。
様々な天才たちが残していった音楽の中にも、それは見て取れます。ベートーヴェンのシンフォニーも例外ではありません。明るい春の喜びを、ひばりが精一杯歌うように、自分の才能を信じ、希望いっぱいに明るい和音を溢れさせる、一番。
真夏の太陽が何もかも、熱く燃え上がらせ、夜には森で妖精が踊るなか、狂おうしい才能のうずきを、どうしようもなく、譜面の上に叩き付けていった、そんな感じのする、五番。
秋、全てが色づき、日の暮れようとする中、豊かな才能の実りがあふれ、完成された音楽が、リズムが、和音が、溢れるように全て覆う収穫の季節。 それが八番です。
そして冬。人生が冬を迎えたとき、人は何を思うのでしょう。
この曲で、彼は、彼のシンフォニーとしては、殆ど例外的に、その始まりに、いきなり和音をぶつける事を止めます。冬の朝早く、不思議な気持ちにより、目覚めて窓の外を見る。山並みの上が、少しずつ色づき、金色の光を放ちながら、太陽が、その姿を現してきます。その中に、神の予感が・・・。第九はそのようにして始まるのです。 彼は、自分の人生が神に祝福されていた事を信じ、時に明るく、時に暗く、これまでの音楽を確かめるように、和音を、旋律を、積み重ねてゆきます。 シューベルトが、彼の最後のシンフォニーで、”ラヴェンダーいりませんか、ラヴェンダーはいりませんか”と売り歩く、ウィーンのラヴェンダー売りの音楽を、オーボエにこのうえなく美しく歌わせたように、木管が旋律を、精一杯歌います。 様々な人が、この中に、彼のこれまでの音楽の断片を感じます。
しかし、この完成された音楽のなかに、その他のシンフォニーにみられるような、明確なモチーフを感じることができず、何かの不安感を感じるのは私だけでしょうか。
そんな不安感の中で、終る、1楽章のあと、それを振り払うように、常道である、緩徐楽章ではなく、なんとヴィヴァーチェの2楽章が始まります。ここではもう彼は、自分を、押さえようとしません。全ての音楽が、前へ、前へと溢れかえるように進行します。七番のリズムが、エロイカの軽快さ、華やかさが、田園の歌が、全てがこれらを上回るように、繰り返し、繰り返し、現われては消えてゆきます。そしてやがて始まる、天国の音楽。3楽章は、まさに天国の響さです。ゆったりした美しい音の流れ。ここはまさに、別世界なのです。いつ果てるともない音の流れ。そこには苦しみもなく、時の流れもなく、そして死さえも、感じさせない、彼の音楽がたどり着いた理想の世界。
しかし、彼はこの最後のシンフオニーでここまでたどり着いた音楽を、4楽章の冒頭で、いきなり全てを、破り捨ててしまいます。引き裂かれる、音。辺りに飛び散る音楽の断片。
そしてついに彼は、人の言葉でこう歌わせます。
”おお友よ、この音楽ではない”
人生の最後の喜び、それはこの音楽ではないのだ、と。これはシラーの詩ではなく、ベートーヴェン自身の言葉なのです。
人々はなぜ争いあうのか。なぜ圧政に苦しむ人々がいるのか。このような世界では、自分の天国の音楽さえ無意味ではないか。 これまで、頑なに、人間嫌いを装ってきた彼が、シラーの詩を借りて、激情を叩き付けます。
”人々よ、共に歓喜の歌を歌おうではないか。
生くとし生くなるもの、それは全て友ではないのか。”
繰り返し、繰り返し、歌われます。
”そして、共に神の御前にたとう”
合唱が。オーケストラの全楽器が。共に全音符で、精一杯、息の続くかぎりのばします。すると空を覆っていた雲が、次第に薄くなり、雲の切れ間から、神の国が、現われてくるのです。 高らかに歌われる、勝利への行進曲。そして怒涛のような、歓喜の合唱。 第九はこのようにして終ります。
ベートーヴェンがこの世を去って、何年になるでしょう。 私達は、はたして、べ一トーヴェンが残していったこの曲を、全世界の人々と共に歌えるようになるのでしょうか。
西部医師会館 指揮 高石治
モーツアルト フルート協奏曲第一番 ソリスト 門脇彩子
コレルリ 合奏協奏曲集
ベートーベン 7重奏曲
バッハ 管弦楽組曲
ヘンデル 水上の音楽
ジークフリート牧歌
1988年 西部医師会館 指揮 松岡究
ビバルディー 協奏曲集 2つのバイオリンのための
(来間智子 佐倉伸一)
4つのバイオリンのための
(湯原洋子、太田敏朗 国頭佳代 小笠原聡子)
四季 (吉田明雄) 海の嵐 (門脇彩子)
モーツアルト
オーボエ クラリネット ホルン ファゴットのための協奏曲
(古川雅彦 田中博文 江原雅章 本田祐美子)
モーツアルト ハフナー
1989年 西部医師会館 松江 プラバホール 指揮松岡究
ビバルディー 二つのトランペットのための協奏曲
(井田博之 田中晋造)
チャイコフスキー ノクターン (チェロ独奏 喜久里誼)
ヘンデル コレルリ 合奏協奏曲集
バッハ ブランデンブルグ協奏曲 第3番
モーツアルト セレナータ ノットゥルナ
ジュピター
1990年 西部医師会館 指揮 松岡究 鈴木博志
ブランデンブルグ協奏曲 第4番
ブラームス 管楽5重奏
モーツアルト シンフォニー 29番
他
倉吉 アザレアの町音楽祭 福祉会館
指揮 松岡究 鈴木博志
モーツアルト ピアノ協奏曲20番
ソリスト 宗廣真澄
ジュピター
他
1991年 天満屋ホール
チャイコフスキー 弦楽セレナーデ
バッハブランデンブルグ協奏曲 第一番
モーツアルト リンツ
他
アザレアの町音楽祭 カウベルホール
モーツアルト ピアノ協奏曲 21番
ソリスト 新田恵理子
交響曲40番
音の会
モーツアルト レクイエム 指揮 牧村邦彦
鳥取 倉吉 米子 公演
1992年 米子市文化ホール 指揮 牧村邦彦
エルガー 弦楽セレナーデ
ベートーベン エロイカ
アザレアの町 音楽祭
米子市文化ホール 指揮 松岡究
モーツアルト ピアノ協奏曲 23番 ソリスト 宗廣真澄
交響曲 39番
1993年 アザレアの町音楽祭 カウベルホール
米子市民音楽祭
指揮 松岡究
ホルベルグ組曲
モーツアルト ピアノ協奏曲24番 ソリスト 新田恵理子
ハフナー
1994年 アザレアの町音楽祭 5月
モーツアルト オペラアリア集
モテット 踊れ喜べ、、、 松尾香世子
ハフナー
米子市音楽祭
境港公演
ミサブレビス 境港ハーフエンコールと共演
ハフナー
指揮いずれも松岡究
1995年 アザレアの町音楽祭 米子市民音楽祭
指揮松岡究
エロイカ
1996年 アルジェのイタリア女
モーツアルト ピアノ協奏曲16番 ソリスト 中村恵理子
モーツアルト パリ
私はアンコールでタイスを弾かせてもらいました。
1997年 セビリアの理髪師
モーツアルト ピアノ協奏曲 7番 ソリスト 田中真紀
ジークフリート牧歌
ベートーベン 田園
1998年 モーツアルト フルート協奏曲 第2番 ソリスト 稲田真司
サンサーンス ピアノ協奏曲第2番 ソリスト 安部可菜子
魔笛序曲
ベートーベン 5番 運命
1999年 フィガロの結婚ガラ
モーツアルト 40番
2000年 絹のはしご
シューマン ピアノ協奏曲イ短調 ソリスト 安部可菜子
ハイドン ロンドン
2001年 モーツアルト バイオリン協奏曲 5番 ソリスト 山田美鈴
フィガロ ガラ
ベートーベン 交響曲 第2番
こんなに長い付き合いになるとは、お互い思ってもいなかったでしょうね。 松岡さんはレ.ミゼラブル500回の公演を振り終わったばかり。
モーツアルトはね、ここは、ハンカチをこう、ぱっと離して、ひらひら!と落ちてゆくあんな感じなんだよ、、 と説明したのが印象的。
マル秘松岡さん結婚式レポート
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ビバルディーの協奏曲集。 2つのバイオリンのための-4つのバイオリンのためのー海の嵐ー四季
バイオリンは全員がソロを弾くのは相変わらずでした。
そのあと、モーツアルトの オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンのための協奏曲。
皆、若かったし、ソロがやりたかったんだ。
コンサートマスターもほぼ全員が交代でやり、ファーストもセカンドも入れ替えるという演奏スタイルは、オルフェウス顔負け。
このあと数年間はこのスタイルを維持しました。
モーツアルトのシンフォニーを初めて手がけました。 ハフナー。
長いお付き合いとなるモーツアルトとの初めての出会いです。
このコンサートのCDを作って希望者に配布していますが、その演奏のレベルの高さに、多くの方より賛辞が寄せられています。
地方におけるオペラ活動は、あらゆる面で困難を伴いますが、特にオーケストラとの共演が問題となります。
鳥取県のように、オペラ協会と、オーケストラがともに活動をするというのは、きわめて例外的です。
オペラの演奏は、しかしオーケストラの演奏の進歩において、計り知れない恩恵を与えてくれます。
交響曲と、オペラは、オーケストラにおける車の両輪。
音楽の表現、クレッシェンド、アクセント、強弱、音量 すべてが、舞台上での、感情の動き、場面の変化と絡み合うオペラを体験してこそ、オーケストラは初めて本物になるといえます。
これまでに
フィガロの結婚 2回
魔笛
ドンジョバンニ
新作オペラ ポラーノの広場
を演奏してきました。
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クリックしてね フィガロやった時の解説です。
ポラーノ広場
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