アユ母日記

東日本大震災
平成23年3月11日
あの日から会えなくなったアユと凛へ
思いが届きますように

行ってきます

2021年03月11日 | 東日本大震災の事

10年目の311日になってしまいました。

酒田の揺れだけでも怖かったのに、アユと凛はどれ程怖かった事か……それでも6ヶ月の凛はアユの腕の中で「泣いてなかった」と、アユと凛と最後まで一緒だった人が言ってくれました。

生きたかった。生きるはずだった。

アユは最後まで凛を離さず守った。

そんなアユと凛を今も誇りに思っています。


たまたま我が家に降りかかってきた災害

悲しすぎる出来事で、今も夢であってほしいと思います。

でもこれは、誰にでも起こりうる事だし、子どもは成長したら親元を離れて、そこで被災するかもしれない。

旅行に行って知らない場所で巻き込まれる事もあるかもしれない。

災害だけじゃない。事故や事件に巻き込まれるかもしれない。

誰にでも、どこでも起こりうる事だと思います。

あたりまえの明日は誰にもない。

誰もが自分の命を守れる人であってほしい。


家でも車でも、モノはなくなっても何とかなるけど、命は違う。

命を守る、命が大切だ。とみんなが命の大切さを語れる1日であってほしい。


311日は被災した人や場所を「大変だね」「今はどうなった」と見物する日ではなくて

この日が災害を伝える特別な日でもなくて

みんなが自分の事として考え

命の大切さを見つめる日であってほしい。


3年経つと悲しみは薄れるよ

と言われた事がありますが、そんな事は全くない!

10年経っても我が子の悲しみは薄れたりしないし、悲しい気持ちも苦しい気持ちも深く大きくなる。

悲しみに「節目」などない。10年目は「節目」なんかじゃない。

生きている子どもと同じ。今も抱きしめる。

会いたい


今から女川へ

行ってきます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時々思い出す。

2020年03月22日 | 東日本大震災の事
忘れそうになると時々
思い出す。

震災の時の沢山のなくなった人達の顔
寝ている様な顔
色あせた顔
焼け焦げた顔
目が飛び出して家族は本当にわかるのだろうか
って顔
半分 白骨化した焼けた顔

あの時
身元不明者が余りにも多すぎて
どんな人でも
どんな形でも
写真掲示されていて…

そんな中を
茫然と歩き回った。

突然 泣き崩れる人
あの写真がどうしてお母さんだとわかるのか…
他人にはわからない。
そんな写真なのに
泣きながら崩れる人を
何人も見て
自分もそんな風になるのか…な
アユと凛は違う
なんて
漠然と思いながら歩き回った。

どれもこれも
アユと凛じゃない
こんなの
アユと凛じゃない

そう思いながら歩いた。
その写真の数々の顔を

今も時々
思い出す。

家族の元に帰れましたか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

9年前の今頃

2020年03月11日 | 東日本大震災の事
9年前の今頃
何をしていたっけ?

アユに何度 電話してもつながらなくて
何度も何度も
どのくらいかわからないほど電話をかけた。

停電になってたから
テレビでニュースも見れなくて
パパが
「クルマのテレビで見れるよ」
と言ってくれたけど
なんだか怖くて
くーちゃんとくっついて早く寝た。

とりあえず寝てしまえ
と思って
懐中電灯を沢山付けてたけど
早く消して
真っ暗な中
アユは大丈夫だ!
と思って  

寝た

大丈夫じゃなかったのに…
バカだ 私

アユと凛は……

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2020年3月11日

2020年03月11日 | 東日本大震災の事

「追悼式がなくなって残念だね」とおっしゃる方がいましたが

311日のあの日と同じ日に女川の場所にいて

アユと凛に花を渡す事に意味があると思っています。

今年、初めて246分アユの見つかった海でその時を過ごしました。

(毎年、女川町立体育館での追悼式に参加していたので)










どんなにか怖かった事か

どんなに不安で、心細かった事か

9年前 

きっと無事だと信じて疑いませんでした。


6ヶ月だった凛は9

26歳だったアユは35歳になりました。

どんな少年でどんなお母さんなんだろう。

もう想像できない。

でも、アユの声は今も覚えていて

夢はみないのに

声は時々聞こえてくる。







前がどっちなのかわからなくて

何年もただ時間をやり過ごした。

周りの景色はどんどん変わっていって

アユの知らない事がどんどん増えていって

それがイヤでイヤで仕方なかった。


人は「前」を向かないといけない事みたいに言われるけど

「前」はどっちなのか全然わからなかった。

それでも9年生きてこれました。








今日まで沢山の方々に支えてもらって過ごしてきました。

毎年

アユと凛を思って声をかけてくれる方々もいて

忘れないでいてくれる事に感謝しています。

ありがとうございます。


そんな思いも全部持って

女川の空の上にいるだろう

アユと凛に渡してきたつもりです。


待ち合わせたかの様に偶然

女川町長とお会いする事ができました。

引き寄せは

アユと凛のおかげです。(写真はカット…)



震災遺構として整備された交番

私にはとても辛いものでしたが記録として写真に納めてきました。











コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日は…

2020年03月11日 | 東日本大震災の事
3月11日の震災関連のブログといえば
偉そうな上から目線の話ししか見当たらなくて
ガッカリする。

何か大変な出来事があると
世の中
評論家だらけ

そんなのは
今日は聞きたくない
読みたくもない。

アユと凛はいない

この現実は消えてなくならない。
どんなに偉そうな話しをしても
どんなに街がキレイになっても
沢山の人が忘れてしまっても
あの時
めちゃくちゃに壊れた街の中の
海に沈められた
アユと凛の現実を
かき消してくれる話しをしている人は
誰もいない。

そうやってなくなったのは
アユと凛だけじゃないけど
私はアユと凛の母でありパパでだから
二人の事しか考えない。

今日はそういう3月11日


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする