New Happy-life☆

人生、良いことが必ずある!幸せになれることを願いながら日記をつけていこう☆

家族のお葬式

2025-02-22 14:49:18 | 日記
Hi Everyone!

みなさんは、家族のお葬式についてどのくらい知っていますか?

私は、ほとんど知らないと言えます。

それだけ、お葬式への参加は避けてきたという事です・・・

人が亡くなる事が受け入れられず、

ご遺体を見るたびにショックが大きくて避けるようになりました・・・

ただ、親となったら、そういうわけにもいかず、

年をとったせいもあってか

きちんと向き合えるようになりました。

昔、祖母が生前の頃、

「お葬式費用は、100万くらいかかるから

100万程は貯めておかないとね。」と

教えられたことがありました。

私は、年寄りの言うことやし、「ふーん」くらいでした。

でも、今回、お葬式にがっつり関わって

祖母の言う事、ほんまやったんや・・・と信じれました。

なぜ100万くらいかと言うと、

人数によって費用は変わってくるのですが、

人が多ければ多い程、費用がかかるのです。

だから、新聞に載せたりすると、

何人来るかもわからないので

人脈がある故人の場合は、100万以上は普通にかかります。

・和尚さんへのお布施・お経代・交通費など
(うちは初七日代も含まれていました。)
・お葬式会場費用(宿泊代×人数分)
・お花代(人数分)
・香典返し代(挨拶状×人数分)
・お食事代(お通夜・お葬式×人数分)
・お骨入れ代
・遺影・位牌代
・火葬代
・霊柩車及び交通費
・マイクロバス代
・祭壇代
・棺セット・故人のお化粧等代
・ドライアイス代
などなど

他にも仮通夜などに来ていただいた方への

おもてなしのお菓子代やお茶代なども

結構かかります。

ただ、ありがたいことに、

人がくればくる程、お香典で賄えたりもします。

お葬式が終わっても束の間・・・

休む暇なく書類の嵐が待っています。

相続遺産ってやつがすごく大変なんです。

税金の問題もあるし・・・これが一番の問題かも?

すべて受け取ったものに税金支払い請求が今後くるのです。

人が亡くなったのに、こんな地獄の日々ってあります?

税金を払うお金さえあればいいんでしょ?って

問題じゃないんです。

だから、「妻」って立ち位置は、一番最後まで苦しいんだなと

私は思いました・・・〇にたくなる気持ちもわかる・・・

法務局って「法の殺人犯の職場」と言っても過言ではありません。

あんなところで働きたいと思う人の気持ちもわかりません。

そうこうバタバタしてるうちに

やってくる49日・・・

うちの父の場合、置き土産のように、

母の誕生日なんです。

一生、忘れてほしくないかのように・・・

すごいタイミングというか・・・

・父の他界は、私のクズ元彼の誕生日
・父の49日は、母の誕生日

嫌がらせか?というくらい

それは、ほんのジョークにしか過ぎないのですが。

初盆は、夏休み真っ只中。

今年は大連休になる企業もあるし、

帰省したいけど、難しそうな予感やし・・・

早めの法事でもかなり苦しい・・・

渋滞をどうしても避けたいのでね。

親が亡くなると、

自分が「大変」と思ってる以上にすごく大変なんです。

現代では、法律もすごく厳しいので、

法律に基づいた書類が重苦しくのしかかるんです・・・

それがまた精神を崩壊へ導くというか・・・

今、自分は、妹たちに任せるしかなくて、

関わっていないのですが、

個人的には、今関わっていた方が後々楽ではないかと思うのです。

だって、年をとればとるほど理解も捉え方も変わってくるので。

と思っていたら、やはり直筆が必要となるので、

その書類はどっさりと私の元へ届くのです

これからまた勉強ですよ・・・

おと~ん、私もがんばる

まぁ、法律は、分野は違うけど今までも勉強してきてたわけだし。

私の過去世は、たぶん、「裁判官」な気がします

なぜか、この前、郵便局に行った時に

「特送で」と言ったら、

郵便局員さんが「特送は、裁判所の方が送るものなんですが・・・」って

言われて、え~なんで今、私、特送なんて言ったの?と

自分でも驚きでしたもんね

そこで、私が思ったのが、

たぶん私の過去世は、「裁判官」だったのでは?

じゃないと、「特送」って言葉はそうそう知らないはず。

ちょっと雑談が入ってしまいましたが、すいません

親が亡くなったら、印鑑証明が必要になります。

なので、みなさんも今は必要がなくても

今のうちに印鑑登録だけはしておいた方が良いです。

印鑑は、認めとは別の印鑑でも出来るそうですが、

シャチハタはダメですよ。

少しでもこの内容がお役に立てばうれしいです。

Thank you for reading today too.
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父の他界・・・②

2025-02-17 15:40:22 | 日記
Hi Everyone!

この年齢にして初めて乗った霊柩車・・・

霊柩車って外車なんだ・・・

「父さん、人生初の外車じゃない?高級車で良かったね!」

そう私たちは声掛けしました。

私は、仕事や元知人の車でジャガーとリンカーンに

乗ったことはありましたが、三度目に乗った外車が

まさかの立派な霊柩車・・・

運転手の方も遺族たちを気遣って、何気ない会話をしてくれるんですね。

「故人のために、走ってほしい思い出の道はないですか?」とか

聞いてくれて、とてもありがたい対応でした。

父の遺影も私が持つことが出来、ほんまに良かった。

火葬場・・・何十年ぶりだろう・・・

この匂い・・・嫌だ・・・そんな思いでいっぱいでした。

でも・・・嫌な時間は迫ってくるばかり・・・

母は、いっぱいいっぱいだったみたいで

普通は、躊躇する点火のボタンをスタッフの説明後、

躊躇することなくすんなり押しました・・・

そして、あの点火される音・・・

耐えがたいものが私にはありました・・・

小声で私は泣きながら、

「父さん・・・バイバイ・・・」て言いました・・・

お骨を見た時の実感・・・

人って恐ろしいものですね。

不思議と目の前にあるものを受け入れてるんです。

もう・・・父さんは、この世にいないんだ・・・

寂しさはあったものの、きちんと受け入れてました。

父は、やっと苦しみから解放されて

うちの苦しみが終わったという安堵感もありました。

今は、たくさんの親族に囲まれてるから平気だけど、

落ち着いてきて自宅に帰る時は

きっと私は、もぬけの殻なんだろうなとわかっていました。

そこからは、私の口数は普段以上に減りました・・・

母もそこには気づいており、

一生懸命、私に声掛けをするものの

私の返事は、「うん・・・」ばかり・・・

心配してたことでしょう。

「うん・・・」ということは、

私にとって最大限の精いっぱいの言葉でした。

私が話をしなくなった時は、

限界を超えてるサインなんです。

心にぽっかり穴が空いたような・・・

何にも考えれないんです。

でも、傍からみると、

何かを考えてるように見える・・・

だから、心配になるのでしょうね。

そんな時は、一人になるのが一番なんですが、

一人になれないのがうちの実家なんです。

父はいつもこんな気持ちだったんだろうな・・・

そう思うと、父の日々の忍耐はほんまに尊敬しかないんです。

私には、出来ない事だから・・・

なぜかいつも自宅に帰る時、

福岡に入ると涙が出るんです。

それには意味がありました・・・

父の思い入れがあったんです・・・

今回、たくさんの人と久しぶりに会って

色んな話を初めて聞きました。

その話の中の一話なんですが、

私が生まれた日、父は仕事に戻らないといけない日だったそうです。

母が産気づいてる中、

複雑な気持ちで、父は駅へ向かったそうです。

私が生まれてすぐ、叔母(母の一番上の兄の奥さん)が

別の叔母(母の二番目の兄の奥さん)に

「女の子が生まれたから、今、〇〇さん(父の名)が駅に向かったから

今行けば間に合う。女の子だよって伝えてきて。」と言われ、

走って行ったそうなんです。

その時の父の顔は、仕事に戻りたくなさそうな表情をしていたそうです。

でも、当時は、仕事第一・・・とてもツラかったと聞きました。

そんな仕事へ戻る電車の中から景色を見ていたら、

綺麗な稲穂が目についたそうなんです。

私の名前の由来は、そこからきており、

父がつけてくれた名前です。

そんな話・・・なんで生きてる時に話してくれなかったのよ・・・

父の口からそんな話を聞いてたら、もっと嬉しかったのに・・・

きっと、そんなこともあり、父はずっと後悔していたのでしょう・・・

だから、自分が死ぬ時、私には会えないと不安だったのだと思います。

その後悔を晴らすかのように、

私が父の最後に間に合って立ち会えた事は、

ほんまに良かったです。

そんな父の過去があるからこそ

出来る限り家族との時間を何が何でも

大切にしてきたのかもしれません。

そんな事も知らずに、

私は・・・家族よりも自分の時間や自由を大切にしていました。

失って初めて気づく・・・遅すぎる・・・

でも、その後悔は必ず晴らせます。

父と叔父(父の弟)は、ほんまに見た目がそっくりなんです。

叔父は、結婚もしたことはなく独り身です。

自分が悪くなったら、誰も見てもらえないと

とても不安になってる胸の内を最近、話してくれました。

だから、何かあったら叔父の面倒は私が看る。

そう心に決めてます。

父の面倒を看れなかった分、

私が叔父の面倒を看る。

それで許してほしい・・・

きっと、父の事だから、許さないなんて思ってもないはずです。

ただ、父から聞こえた心のメッセージは、

「〇〇(私の名)、弟を頼む・・・」そう聞こえました。

叔父も「あんちゃんが話すことが出来たら

頼れたのに、もう頼れないから

頼る人が俺にはいない・・・」と切なく言ってたんです。

だから、「同じ独り身同士、

二人で支え合っていこうね」と叔父と約束をしました。

正直、叔父の事も私は心配です。

約1年前には、叔父の母の死。

そして、約1年後には兄(私の父)の死。

叔父は、見せないけど、

ショックは、私が思っているより大きいと思っています。

私の父の死も自分が思っているよりダメージは大きいのです・・・

日に日に寂しさも増しますし、後悔も出てきます。

でも・・・私は、これから父の写真に向かって

毎日、毎日、小さな感謝を伝えていこうと決めました!

いつまでもメソメソしてる私を父は見たくないはずです。

少しずつ少しずつ、父の死も受け入れて涙を流さなくてすむように

感謝と尊敬を父に伝えていく!

父さん、たくさんありがとう!

今、私が生きれてるのは、父さんが一生懸命頑張って

我慢してくれたおかげです!

最後まで心配ばかりかけてごめんね・・・

素直に話せなくてごめんね・・・

それでも、黙って見守ってくれてありがとう!

Thank you for reading today too.
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父の他界・・・①

2025-02-15 13:12:06 | 日記
Hi Everyone・・・

新年早々、父親の死・・・早すぎる・・・

父は、元航空自衛隊で勲章をもらったエリート中のエリートです。

なんでお国のために一生懸命働いてきた人たちが早く亡くなり、

なんで人を騙すような悪い人たちが長生きするのだろう・・・

神様は間違ってる・・・本来は、逆だよ・・・

皮肉にも父が亡くなったのは、クズ元彼の誕生日・・・

なんの意味があるのだろう・・・

約半年前、父は、誤嚥を起こし、危篤ながらも持ちこたえました。

しかし、そこから食べれない日々が続き、胃ろうをしました。

胃ろうをしても食べることは出来ず、

使えない筋肉がどんどん父を弱らせていきました。

父は、話すことも出来なかったため、痛みを母に伝えようにも

伝えれなかったと思います。

痛みを我慢するしかない日々が続き、

痰吸引を行いながら点滴で少ない栄養を入れながら

頑張って生きてくれました。

令和7年2月3日の夜、父の弟、叔父から電話が入りました。

私は、うすうす感じていました・・・

恐る恐る電話をとると、

「すぐ帰ってきてほしい。どうしても長女のお前に

父と最後、会ってほしいんだ・・・」と・・・

ほんまに最後になってしまうという恐怖と、

父に会いたいという想いが葛藤して、

数時間でも早く帰省したかったのですが、夜の運転は危険な上、

翌日には、私の病院の予約が入っているという状況で・・・

タイミングが合わないながらも最善は尽くしました。

なんとか、2月3日の午前11時過ぎ頃、出発することが出来、

いつもは途中で一泊するところを

雪が降る状況もあり、とにかくノンストップで車を走らせ続けました。

おかげで夜22時頃には、到着出来、

母も叔父も翌日、父に会いに行けばいいとは言われたのですが、

私は、すぐ会いに行きたいと言い、

連れて行ってもらいました。

父は寝ていたのですが、声をかけると、起きてくれました。

すぐに、声をあげて泣いてました・・・

声を出すのも痛くてしんどいだろうに、

「あ~」って何度も言いながら・・・

私には、「ありがとうのあ」に聞こえました・・・

そして、息子の名前を何度も連呼して泣いていました・・・

最後に私に会えた嬉しさと痛みが増す中、

一生懸命、息子に会いたい気持ちが抑えられなかったようで、

興奮気味になっていたので、息があがり、痰がどんどんあがってきて・・・

痰吸引をしたら、少し楽にはなったようで、

最後に大きく息を吸い込んだのが最後でした・・・

ほんまにあっという間で・・・

大きく息を吸い込んだ時、魂が抜けたのを私は見ました・・・

悲しい・・・ツラい・・・というより、えっ?と、茫然としました・・・

一人で死ぬのは、ツラくて悲しいだろうと私は思い、

最後までそばにいると言ったのですが、

母の思いは違い、「帰るよ」と言われて帰らされました。

母曰く、父さんは、死ぬところを見られたくなかったというのです・・・

それに、一人体制では寝れないから二人体制じゃないといけないから

母の身体が持たないと・・・きっと、母も父の死を見届けるのは

ツラく悲しいものがあったのでしょう・・・

実家に帰った数時間後に、施設から午前2時半ごろ電話があり、

「脈が取れません。」と連絡が入りました・・・

父は、私の到着を苦しい中、待っててくれたのだと思いました・・・

いつも私を心配してくれてたので

最後、会えて良かったと思いました・・・

でも・・・いつも私はアンカーなんだなという辛さ・・・

これも宿命なんでしょうけど・・・

何にもしてやれなかったけど、最後の親孝行として

長女としての役目は果たせたと思います。

それから数日間は、父の遺体のある部屋で、母と友人と一緒に寝ました。

不思議と、親の遺体って怖くないんです。親ですからね・・・

色んな父との思い出が、ほんま走馬灯のように巡るんです。

こんな日がくることも覚悟できてたはずなのに、

実際にこんな日がくると、とても受け入れ難いことなんです・・・

棺に、ご遺体を運ぶ時は、ほんまに亡くなったんだという実感が

一気に寄せてきて、想像以上のショックを受けました・・・

ほんまに、これで最後なんや・・・という実感。

ほんまに、もう二度と会えないんやという実感・・・

写真の中の父は幸せそうな顔してはるのに・・・

現実は、ただただ寝てるように見える。

一人、お風呂場で私は泣きじゃくりました。

父が苦しみから解放されて良かったという思いもあれば

ほんまに父の命尽きたという現実に気持ちが追いつかない・・・

色んな思いが巡ります・・・

私が父を介護していたら、もっと父は生きれたのだろうか・・・とか・・・

でも、私が親の立場だったら、子供に面倒見てもらうのは

恥ずかしいかなと思ったりして、受け入れられず何も出来なかったんです。

もし、私が死んだら、こんな豪華なお葬式、誰もしてくれないだろうなと

思うと、父は立派な人だったんだなと思いました。

亡くなってからも新たな勲章をもらいました。

ご遺体にも敬意を払ってもらえて幸せです。

幸いにも火葬もまちまちの中、3日で対応していただけました。

今年は、ものすごく亡くなる方が多いらしく、

最長10日待ちの火葬だと聞きました。

骨もどこが悪かったのだろうというくらい

とても立派で、綺麗なしっかりしたお骨でした。

あの筋肉質な父が、最後には、骨と皮だけで

半年も生きた証は、素晴らしさを物語っていました。

最後まで我慢強い人だったな・・・

我々が想像するよりも痛さは酷かっただろうに・・・

最後の父の服装は、私の夢に出てきた「Yシャツ」でした。

それを見た時は、ほんまに驚きました。

父は、私にお知らせにきてた・・・

それもわかっていたのに・・・

「あとは、頼む・・・」と言わんばかりに・・・

父さん・・・私には何にも出来ないよ・・・

ただ、独り身の叔父さん(父の弟)とは

支え合って生きてくから安心してね。

最後まで、父さんに良い報告が出来なかったことも心残りです・・・

「今の地で、夢も成功して、人に恵まれて

楽しくやってるから安心してね」と最後言いたかったのに・・・

父さんがくれた言葉を胸に、

最後まで私は諦めないからね!

私が諦めそうになったら、天から私を守ってね!

父さんには、尊敬と感謝しかありません。

自由にさせてくれてありがとう!

また来世で会おうね!

Thank you for reading today too.
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違い!!

2025-01-05 15:43:08 | 日記
明けましておめでとうございます

本年もよろしくお願いいたします。

みなさんは、初詣に行きましたか?

私は、年始寸前で生理が始まってしまい・・・

現代では、血は、穢れではないようなのですが、

新年早々、私は、神様たちに不快な思いは与えたくないため、

生理が終わるまで控えました。

やっと、今日、行く事が出来ました~

日取りがとても良い日なので

氏神様と稲佐の浜の弁財天様のところへ行きました

5日とはいえ、たくさんの人が参拝に来ていました!

行きも帰りも変な頭の可笑しいクズ男がいて

そこはすんごい残念でしたが、神様たちのおかげで

私は難を逃れました

なんだかんだでやはり大社様にも守られる私です

さて、今日は、「えっ?そんなもんもわからへんの?」と

ドン引くお話です

数年前に性被害者聴取を受けに警察署から連絡があり

行った時のことです。

私の個人情報をかなり聞かれたのですが、

私のお仕事は、「フリーランス」です

普通、よほどの年よりじゃない限りは、

「フリーランス」って言葉は理解できます。

その時の担当刑事という名の担当者は、

30歳くらいの女警でした。

性格が目に、もろ出てたんですが、

すんごい目がきつくて性格の悪さが現れていました。

すると、なんの挑発か知りませんが、

「〇〇さん(私)は、フリーターですよね?」と聞かれ、

はっ?・・・

「あんた、私が塾講師してること知ってるよね?」と心の中で思いつつ、

挑発に乗らないようにしないと、と私はブレーキをかけ、

力をこめて冷静に「フリーランスね」と言い直しました。

すると、どうしてもフリーターと言わせたかったようで、

そいつが全然理解しないので、私は言いました。

「フリーターとフリーランスの違いもわからないの?

スマホで調べてごらん?」と

子供と思ってその名だけ女警に問いかけました。

皆さん、こんな当たり前の違いがわからない人らが、

「刑事だ~」って威張って上から目線な対応を

被害者にするんですよ

どう思います?

そいつは、間違ったプライドを傷つけられたようで、

納得いかないと言わんばかりに

「ま、いっか」って言われました

私は思いました。

「こいつ、知らない事を悟られたくないか

自信がねぇんだろうなと・・・」

だって、この女警、

「薄い」って漢字は、点いりましたっけ?とか

被害者に聞いてくる始末

ねぇ、こんな漢字もわからん人が刑事って名乗るってどうよ?

信用出来ないどころか不信しかないわ

この女警の腐った演技を私は

ずーと、いつまで下手な演技を見抜かれてると気づくのかなぁ?って

様子を見させてもらっていましたが、

本人は、バレてない騙せてると最後まで思い込んだまま

逃げやがりましたね(笑)

その女警の行く末は、降格だったのですが、

本人は、私に「昇進です」と嘘をついて

マウントをとっていたんです~

ほんま、本当の事を言ってれば

可愛げがあるものを

この女警がモテない理由が私にはわかりました。

結局、その女警は、不倫をしていたようで、

私には、「結婚したい」とは言っていたのですが、

そいつが結婚出来ない理由は私には視えていました!

あんな嘘つき女性を誰がいいな~って思います?

普通は、そんな女、身体だけの関係でもお断りだわ

まぁ、最後までそいつは職務怠慢をされたのですが、

フリーランスとフリーターの違いがわからない警察なんて

ヤバイどころか信用の「し」の字もありません

30代の女性で「便所」とか発するような人ですよ・・・

品もクソもあったもんじゃありません。

あんなんが母親になるとか

絶対にヤメていただきたいですね

生まれてくる子供がかわいそうです

このご時世に、「フリーランス」を知らない人が存在するんだぁと

とてつもない「〇か」をみせつけれた日でした

警官らってどこまで〇カなんでしょうね・・・

私の知人が「アホか〇カしか警官になれんよっ」て言ってましたが、

残念にも今では「ほんまやな」って思うわ

Thank you for reading today too.
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料理教室の中身

2024-12-27 18:16:54 | 日記
これは、いいブログ内容ではないので、

嫌な気分になる方は読まないように・・・

「わかる~」と共感出来る方は

読んでも大丈夫だと思います。

私は、去年、とある方との出会いをきっかけに

JAが開催している「手作りハム教室」に

参加しました!

今までの地元民からの嫌がらせ等から色んな心配がありましたが、

嫌がらせ等が始まったらそーと

フェードアウトして悪縁を切っていけば良いかな?と

割り切りで加入しました。

見た目からボス的存在のおばはんっているじゃないですか?

そんな人がよく料理教室の担当だったから

その人や先生と呼ばれているおばはん達が

嫌だな~とは感じていたのです。

参加するおばちゃん達は、ほぼ良い人達だったので

あまり気にしていませんでした。

でも、やはり私の最初の直観は正解だった

加入して約1年経とうとしている最近、

12月23日に「簡単おせち料理教室(家の光より)」があり、

私は、虚血性腸炎から食べれない物が多いので、

そのボス的存在のおばはんに確認と相談の電話をしたんです。

確認必須だからさ

でも、それを逆手にとって

結構、私が食べれないニンニクや唐辛子を入れられてて・・・

私の事情を知った上なので、

嫌がらせだなと確信に変わりました

そして、私への扱いも上から目線な物言いをしてきて、

楽しく料理出来ず、私の心の中はすぐに

決めていました、辞めることを

可愛がってくれるおばちゃん達は誰一人として

参加されていなかったし、不信感が確信に変わった瞬間でもありました!

「なぜ、急に参加しないわけ?」と考えると、

このJAの会長やら地区長(高齢女性)らが

参加者に圧をかけて

「家の光」という雑誌を勧誘する時期でもあるんですよね。

調べあげて納得しました

悪質な事に一度購入すると、

定期購入とは、記載されていません。

「希望者は、担当に(例:定価1000円)

申し出て下さい。」と良心という名の「迷惑」が

記載されています。

幸い、私の母が元JA職員だったので

聞いて発覚したことなので

「一回購入すると、定期購入なはずだから一年間払わんといけんよ」と

母が教えてくれました

良かった~相談してて

あ~だから、優しいおばちゃん達は参加しないのかと

理解できました

去年、「加入する」と言ったら、

優しいおばちゃん(部長さん?)が、「1月~3月は、今年度で

あまり参加出来ないと思うから4月からの加入にしときましょうかね。」と

親切に教えてくれてたんです!

その裏には、家の光の勧誘があったから

加入させるために、いきなり不信にさせないためかと繋がりました。

しかも、この家の光を何とか買わせようと

すごい威圧的な態度で、もうパワハラでした

そのボス的なおばはんとは、私は仲良くもないのに、

「は?」とかすげ~低い声で「ここ」とか

急に威圧的な態度をされ、胸糞悪かったです

そういう威圧的な態度をとれば

機嫌取りで買ってくれるとでも思ったのでしょうかね?

私は、そんなポンコツな輩とは無縁が良いので

汚される前にさよなら~をします

大損くらうのはお前さんらよいい加減学べって

そんな威圧的な態度をしても

誰一人として得しません。

不幸な輩は、私は大大大大大嫌いなので心の底からお断り

しかも、この前は、15名の定員に対して

参加者がなかなか集まらずたったの8名・・・

サクラとして地区会長やガタイが大きくて圧がある会長(中年女性)とかを

参加させたみたいな感じでした

そして、来月の嫌がらせが中華で

唐辛子やニンニクや発酵物を使った料理で

あたかも私が参加出来ない品ばかりを

選ばれてるので、あ~よほど私が嫌いなのね。

ということで、来年は参加しないです。

てか、そのポンコツおばば達に私が一体何をしたんだろうね?

1年目は、少し優しくして

2年目からは、厳しくして

それに耐えられたら仲良くしてや~わぁ

っていういつもの陰湿なやり方ヤメ~や

どうぞ、大損するのはあなたらですから

それでも良ければ、いつまでもザ・昭和の

間違ったやり方に固執しとけば?

私は、何年も優しく教える人だから

そんな腐った手のひら返しをするような妖怪らとは

絶対に仲良くできません。

楽しかった思い出のままで終わらせたいので、

来年からはフェードアウトしていきます!

「私らは、上の人間だから

下っ端のあんたらとは仲良くしません。」的な

ムッスーとされまくって

せっかく1000円も払ったのに、全く美味しくなかったです

これからJAに加入しようかなとお考えの方は、

慎重にいった方が良いです。

必ず「家の光」という雑誌を定期購入で

何度も勧誘・誘導が始まります。

おまけに、一度入ると、抜けさせてもらえないとか・・・

女性部なので、複数で何度も集められて

圧をかけられますよ・・・
(いつの時代のやり方よ?)

しかも何の宗教?みたいな感じもあるのでご注意を!

ほんまこの手のひら返し、残念だわ・・・

またか・・・って感じで呆れました

参考までに読んでいただいた方、ありがとうございました

Thank you for reading today too.
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