ガンバレ よし子さん

手作りせんきょ日記

神尾真由子さん☆シベリウス再び/アンスネス☆ラフマニノフ再び

2011年10月08日 | シベリウス バイオリン協奏曲
シベコンチームの皆さんこんにちは。シベコン広報部長のクレタです。
いよいよ2011-2012シーズンがスタートしましたね。音楽の秋、皆さんはいかがお過ごしですか。幸運なことに、私は昨シーズンに続いて今シーズンも、シベコンの演奏会がシーズンの幕開けになりました。というわけで、今日はヴィルデのシベコンレポートをお休みして、シベコンまわりの近況について書きたいと思います。

まず、9月のシベコンから。
9月11日にN響定期を聴きに行きました。私は別にN響ファンじゃないけれど、「シベリウスヴァイオリン協奏曲」をキーワードに検索するとN響定期に辿り着くという状況が昨シーズンから続いていて、思えば昨年の9月11日もN響定期でシベコン(ミハイル・シモニアン/指揮ネヴィル・マリナー)を聴いています。N響のシベコンはこれで3度目。他のオケも含むと7度目のシベコン体験です。
今では私もすっかりうるさ型のシベコンウォッチャーとなり、「たぶん今回もコンマスは堀さんで、チェロは藤森さんね。いつもはクールな藤森さんも、第3楽章の16ビートになると異様にいきいきと、前ノリで演奏するのよね~。」と、着眼点もどんどんマニアックになっています。
しかし、敵もさるもの。9月のN響定期には、そんなうるさ型の常連をも黙らせる大物ソリストがブッキングされています。


そのソリストとは、誰あろうレオニダス・カヴァコス。

カヴァコスについて、シベコンチームの皆さんにあえて説明する必要はないでしょう。1世紀に及ぶシベコンの歴史を語る上で欠かせない演奏家のひとりであり、1991年にラハティ交響楽団と組んで録音したCD(指揮オスモ・ヴァンスカ)が、シベコン史上に残るマスターピースであることは周知のとおりです。




そのカヴァコスのシベコンが、この極東の島国で、生で、一万円以下で聴ける。
「ビバNHK!」と、私が狂喜したのは言うまでもありません。
私はカヴァコスを今シーズンのシベコンの大本命に位置づけ、彼の演奏を後顧の憂いなく楽しむために、時と金を惜しまず、できる限りの準備をしました。私は発売開始と同時にN響ガイドに電話してA席(S席じゃないところがせこい)を確保しました。イメージトレーニングのために件のCDも買いました。自慢じゃないけど、それはものぐさビンボーの私にとって破格の先行投資でした。
それなのに、ああ、それなのに、

カヴァコス、ドタキャン!?



これは痛かった。期待が大きかったぶんダメージも大きくて、いつもなら高嶺の花のNHKホールのA席(S席じゃないところが・・・)に座っても心は沈んだまま。
急きょ代打に立つヴァイオリニストの竹澤恭子さんに対しても、

「誰を後釜に据えようがこのダメージは挽回できない、誰もカヴァコスには及ばない。」
なーんて、はなから上から目線でダメ出ししていました。

でもそれは演奏が始まるまでのこと。

いざ聴いてみると、この竹澤さん、
なかなかどうして、大向こうを唸らせる実力派でした。
はでなところはないけど深く考えさせる音楽。
その充実ぶりはどっしりとしたフルボディのワインのよう。





それに比べて自分は軽薄だな。

私は自分がカヴァコスより竹澤さんを格下に見なして侮っていたことを恥ずかしく思いました。ネームバリューや既成概念にとらわれて、もっと大事なものを見落としていたことを、竹澤さんは演奏を通して私に教えてくれました。

カヴァコスのシベコンが聴けなかったのはもちろん残念なことでした。でも彼ほどのスーパースターなら、いずれどこかでリベンジの機会は巡ってくる気がします(昨シーズンも来日してメンコン弾いてたし)。それよりも、竹澤恭子さんというすてきなヴァイオリニストを、今このタイミングで発見できた喜びのほうが自分の中では大きくて、それはマイナス面を差し引いてもお釣りがくるくらい価値のあることでした。
シベコンにはまだまだ学ぶべきものがあるんだな。そう思って、あらためて闘志(?)を燃やす、意義深い演奏会でした。めでたし、めでたし。

そして、シベコンに関してめでたいお知らせがもうひとつ。

神尾真由子さんについてはカヴァコス同様、シベコンチームの皆さんに説明の必要はありませんね。2010年5月にBBC交響楽団を従えて演奏されたシベコンは、彼女の類まれなる歌心によって歴史を塗り替える名演となりました。

演奏会のレビューは こちら
その神尾さんが「東芝グランドコンサート2012」の看板を担って、再びシベコンを弾くというではありませんか!




今でこそ「シベコンチーム」だの「シベコン広報部長」だの、好き放題に大口をたたいているクレタですが、もともとはG線とE線の区別もつかない市井のいちリスナーにすぎませんでした( 今でもそうだって)。私のターニングポイントは上述の演奏会を聴いたことで、以来、神尾さんの比類なき才能とひたむきな情熱は私のイマジネーションの源泉となり、そのイマジネーションをレビューの形でアウトプットすることで、私のクラシック生活は計り知れないほど豊かになりました。私のレビューは諸般の事情から第2楽章で中断していますが、神尾さんはもう新しい第1楽章を始めようとしている。

なんて、頼もしい。

おまけにその演奏が東京だけじゃなくて、名古屋と大阪でも聴けるとは。

つくづく、頼もしい。

あれからはや2年。神尾さんはその不世出の歌心にさらに磨きをかけて、シベコンの魅力を日本中の音楽ファンに伝道してくれることでしょう。

***  ***

最後に、シベコンネタではないのですが、
N響つながりで、9月のCプログラムについて少し書かせて下さい。
ノルウェーのピアニスト、アンスネスがラフマニノフのピアノ協奏曲3番を弾くというので、夫とふたりで聴きに行ってきました。ラフマニノフは夫がもっとも共感を寄せる音楽家で、特にピアノ協奏曲3番が大のお気に入り。そのため、この曲を語る時の夫はとても熱い。どれくらい熱いかというと、シベコンを語る時の私くらい熱い。
そんな夫がアンスネスの演奏を聴いて発した第一声は、


このラフ3が、これから僕のベンチマークになる!

続く第二声は、

類まれなる才能を持つひとりがいるだけで、凡庸なオーケストラが
類まれなる演奏をしてしまう見本のような演奏だ!

なるほど。私はN響を決して凡庸なオケとは思わないが、アン様のラフ3が傑出していたことに異論はなく、「うわ~、すごいもの聴いちゃったね。もう昔には戻れないね・・・ 」と、夫婦そろって客席で遠い目になってしまいました。




私達は何年か前に、アンスネスの弾くラフマニノフのピアノ協奏曲2番も聴いています。でも(座席の位置のせいかもしれないけど)、私は前回とは比較にならないほどの感銘を受けました。感銘を受けたというよりも、励まされた。

アンスネスの演奏はとても音色が美しく、技巧も的確です。
でもそれは彼の音楽世界の、ほんのとりかかりの部分に過ぎなくて、フランス料理で言えば食前酒のシャンパンみたいなものだったりします。
前回のラフ2では、私はそのシャンパンの味を楽しんだだけで、その奥にある、メインディッシュの部分の味わいはわかりませんでした。まだそこまで舌が(耳が)肥えていなかったのです。
今回のラフ3も、もちろん磨き抜かれた音色と超絶技巧は健在でした。でもこの人はそれに溺れるタイプではなく、むしろここぞ!というときに垣間見せるまっすぐな勇気と、その勇気を支えている知性にこそ演奏家としての真価があります。私はようやく念願のメインディッシュに辿りつき、その気高いスピリットに強く励まされました。

この演奏会のもようは2011年10月9日(←明日です!)のN響アワーでオンエアされます。生演奏の現場で彼から放たれて私が受け取ったもののうちの、どこまでが録画で再現されるかわからないけど、もう一度じっくり聴き直したいと思います。興味のある方はこの素晴らしい演奏を是非聴いてみてください。

というわけで、長いテキストになりましたが、今日はここで失礼します。
天候に恵まれそうな3連休、皆さん、どうぞ楽しくお過ごしください。




ヴィルデ・フラングに片思い(3)

2011年10月05日 | シベリウス バイオリン協奏曲
シベコンチームのみなさんこんにちは。シベコン広報部長のクレタです。家庭の事情で更新の間があいてしまいましたが、再びヴィルデ・フラングのシベコンレポートをお送りします。久々のエントリなので、長いテキストになりました。世の中は刻一刻と移り変わっていますが、お茶でも飲みながらのんびりと楽しんでいただければ幸いです。このテキストは前回のテキストの続きです。前回(2011年4月25日)のテキストは こちら

さて、話は2011年3月5日に遡ります。
この日、私には同伴者がいました・・・なーんて、思わせぶりに引っ張ってみましたが、なんのことはない、相手は夫でした。禁断のラブ・アフェアを期待した方がいらしたらすみません。シベコン広報部長こと私クレタ、そのレベルでの欲望のリリースはもう卒業しました。
とはいうものの、夫婦そろってシベコンを聴きに行きました ・・・なんて月並みな話題じゃあ、今どき読み手の心をそそらないのかもしれません。そもそも半年以上前(!)の、しかも震災前の演奏会を回顧するテキストをブログで更新して、そこにどんな意味があるのかという気もします。インターネット上の情報の多くは目先のものであり、それらの多くは時間の経過とともに価値を失います。もし私が万人に向けてブログを書くとしたら、こんな古い話題はさっさと切り上げて、もっとタイムリーな話題に目を向けることでしょう。過去の記憶を思い返して文章を組み立てるよりも、直近の体験をメモ風にパッケージしてリリースするほうがはるかに効率的です。
でも私はそうしない。それは私がこのブログを万人に向けて発しているのではなく、シベコンチームという、ごく限られた読み手に向けて発しているからです。
震災後、私はこのブログの閲覧者を勝手にシベコンチームと名付けました。PCの向こうにはシベコンチームのメンバーがいて、私はその一人ひとりとつながっている。私は彼らの存在に励まされ、同時に私も彼らを励ましている・・・そんな架空の人間関係を想定して、私はこのブログを書いています。その想定のもとでは次のような仮説が成り立ちます。

3月5日の時点で、私がシベコンの演奏会に足を運ぶのは、既に6度目を数えていた。
過去5回の演奏会はことごとく個人的、かつ孤独な営みだった。
この日私に連れがいたことは、それが夫であれ誰であれ特筆に値する事件である。
私にとって事件なら、それはシベコンチームにとってもまた事件なのだ。

この仮説を検証するのは不可能であり、無意味です。だってシベコンチームなんてほんとは存在しないかもしれないから。私はそんな根拠ゼロの、吹けば飛ぶような妄想を、自分のブログの旗じるしに掲げることにしたのです。

前置きが長くなりましたが、話を戻します。
私はこの日初めて夫と一緒にシベコン聴きました。一方の夫のほうはシベコンを生で聴くのは初めてでした。とはいえ、夫は既にチョン、ムター、ラクリン、ヌヴーなど、様々なソリストの演奏でこの曲を脳内にデフォルトしています。
私は晩めしの支度をしながら台所でシベコンのCDを聴くのですが、自宅のアパートが狭いため、リビング兼ダイニングで晩酌しつつくつろいでいる夫も同時にそれを聴かされます。逆に、夫が食後にリビング兼ダイニングで佐野元春を聴き始めると、寝室で本を読んでいる私も否応なくそれを聴かされます(これは結構つらい)。私達は狭い東京の限られたスペースで相手の趣味を尊重しながら共生していて、私がシベコンを頻繁に聴くほど夫のシベコン経験値も上がり、その逆もまた真なり、という状況になっています。
しかし、シベコン経験値の高さがすなわち曲の理解の深さに反映するわけではないようで、夫は「そうやって毎日飽きずに聴いているところを見ると、キミはこの曲が好きなんだね。でも僕にはこの曲のどこがいいのか、さっぱり分からないよ。」などとたわけたことをぬかします。

でもこの発言から夫の感受性の鈍さを責めるのはいささか酷な気もします。
シベリウスは39歳の時に「都会は騒がしい」という理由でヘルシンキを離れて郊外の別荘に移り住み、シベコンの作曲および改訂に取り掛かりました。「アイノラ」と呼ばれるその別荘は、森に囲まれた小高い丘の上に湖を見下ろすようにして、今も建っています。アイノラに創作のベースを据えたことで、シベリウスの音楽は大きく変化します。豊かな自然と深い静寂の中で、彼はより高い次元に精神を向け始めるのです。でも東京都下で暮らす夫がその精神に思いを致すのはいささか無理があるでしょう。現在の東京の人口密度はヘルシンキの20倍。取り巻く環境の騒がしさは比較にならないと思います。
アイノラとまではいかなくても、せめてコンサートホールでこの曲を聴かせてやりたい。次のシベコンの演奏会は二人で行こう。私は狭い台所でそう決意するのですが、その計画はなかなか実行されませんでした。ホールという非日常の空間で、夫婦並んでシベコンを聴く。はじめての経験は夫に良き変化をもたらすにちがいない。私の中にそんな期待があるのは言うまでもないのですが、いざ実行という段になると、夫のシベコンデビューに対して、私は意外なほどの心理的抵抗を感じることになりました。

音楽には不思議な力がある。とりわけシベコンのように長い時の試練を耐えて生き残った音楽は不思議な力を持っている。私はそう考えています。
たとえばシベコンの出だしのソロ・ヴァイオリンのテーマ。「ソ#~ラレ~ 」で始まる、この息の長いテーマに、般若心経レベルの呪術性を感じるのは私だけでしょうか。前回も書いたように、シベリウスはこの冒頭部分について「極寒の空を滑空する鷲のように」という言葉を残していて、私はその言葉を、コンサートホールでシベコンを聴く時のマントラにしています。チベットの坊さんが「色即是空、空即是色」と唱えて現世からの解脱を試みるのと同様に、私は現実という檻を離れて自由に心を解き放つために、この言葉で自らに暗示をかけるわけです。
その状態で聴いていると、ごくまれに、悟りを開くというほどのものではないけれど、いきなり自分には理解できるはずのないことが理解できることがあります。どうして自分にこんなことがわかるんだろう、と現実に戻って呆然とすることがある。
その体験を文章で再現しようとしているのがこのブログなのですが、そもそもこのブログからして、本来私には書けるはずのないものです。私にこんな複雑な内容が文章で書けるはずがありません。そこまでの描写力も構成力も私は持ちあわせていないのです。にもかかわらず、気がつけばその複雑な内容をテキストに落とし込んで、形を整えて、ブログにエントリしている自分がいます。どうしてこんなことができるのか、私はブログを更新する度に不思議に思います。自分のしたことは明らかにオーバー・アチーブメントなんだけど、それがどこからやってきたのか自分でもよくわからない。この現象について、今まで何度も考えてみましたが、その度に結論は同じところに辿り着きます。つまり、

それはシベコン(もしくはシベリウス)が音楽を通して不思議な力を
私に貸し与えた結果なのだ。
その力を借りたおかげで私は普段はわからないことがわかったり、
書けないことが書けたりするのだ。

確たる根拠はありません。でも私はシベコンの演奏会のチケットを買う度に、その不思議な力が再び自分にもたらされることを願います。その願いは演奏前にマントラを唱える原動力となり、マントラを繰り返すことで、私はさらに深い呪術性を曲中に垣間見ることになるのです。



でもそんなこと夫には言えません。私達が暮らす世の中では、上述のような目に見えない力は存在しないものとみなされています。現代社会はそのような力を勘定に入れないで作られているのです。私は自分も社会の一部なんだし、日常生活ではその枠内を順守しよう、目に見えないもの、本当に存在するのかしないのかわからないものについては胸の中にしまっておこう、その方が世の中は丸く収まる、と思って日々を送っています。その構えは夫の前でも変わりません。たとえば私はこのブログのことを夫に黙っています。以前のエントリで夫をインタビュアーとして登場させましたが、あれは便宜上のもので、リアル世界の夫はこのブログのことを知りません(たぶん)。ブログ上の出来事を家の中に持ち込むとややこしそうだから黙っている、もしくは自閉したブログワールドに居心地の良さを感じる、というのは私に限ったことではなく、同じようなブロガーは他にもたくさんいると思います。そのスタンスはアパートで、CDに録音されたシベコンを、夫婦がそれぞれ別の作業をしながら聴いているうちは何の問題もないのです。でもコンサートホールでふたり並んで生演奏を聴くとなると話は違ってきます。

「ソ#~ラレ~ 」の出だしを聴けば、自動的に私のマントラモードはONになるし、その気配は間違いなく隣に座る夫に漏れ伝わることでしょう。夫は不審に思うはずです。今自分のとなりに座っているヨメは、普段見ているヨメとはどこかしら異なっているようだ。演奏が終わった後で、夫は私に尋ねるかもしれません。どうしたの?変だよ。私はその問いをうまくかわせるでしょうか。私の中には隠し事をしている後ろめたさがあります。不安げな夫の表情にほだされて、つい自分がシベコン広報部長であることの秘密 を打ち明けてしまわないともかぎりません。夫にシベコンデビューさせたいのはヤマヤマです。前回も前々回も、ふたりぶんのチケットを買おうとしました。でもその余波で自分がカミングアウトを迫られることを考えると、それは私の本意ではなく、悩んだ挙句、結局ひとりで聴くことになったのです。

ところが3月のN響オーチャード定期では、私は迷うことなくペアでチケットを購入しました。この演奏会は春の土曜日のマチネ 、チケットが手ごろな値段 、プログラム前半がシベコンで後半はセンチメンタルなブラ4 と、三拍子そろったデート仕様の内容で、宣伝用のチラシを見た私はすぐにこんな歌を思い浮かべました。

この曲をキミがいいねと言ったから3月5日はシベコン記念日

(サ、サラダ記念日・・・古い?)
え~ 、知らない人のために説明すると、1987年に出版された俵万智の歌集「サラダ記念日」は、日本中に短歌ブームを巻き起こした大ベストセラーです。加えてこの歌集はバブル経済で景気が良かった頃の日本文化の象徴でもあります。バブルの頃私は20代で、イケイケではない普通の若者だったけど、それでも当時の記憶の多くは享楽的な祝祭モードに彩られています。気がつけば、私はチケットをペアで購入していただけでなく、近所で評判のフランス料理店に予約まで入れていました。バブルの記憶おそるべし。夫に話すと、堅苦しいのは苦手 と二の足を踏むと思いきや、意外にも大乗り気。というわけで、俵万智のみそひともじをきっかけに、それまでの孤高のマントラモードは一転してフレンドリーなイベントモードに切り替わり、演奏会当日は夫婦揃って一張羅を着て客席に座ることになりました。こうなるともう極寒の空を滑空する鷲どころではなく、私が春先の蝶々のように浮かれていたのは前回のテキストに書いたとおりです。

もちろんシベコンへの期待がないわけではありません。ソリストが前評判の高いヴィルデ・フラングとあればなおさらです。でも私のストイックな探究心は俵万智のみそひともじパワーに押されて大幅に後退していて、かわりに「シベコン記念日」という夫婦のイベントを手放しで楽しみたいという欲望が強くなっていました。そのため開演前にもかかわらず、私の関心は早くも演奏会の後の楽しいひととき ―― シベコン記念日を祝して乾杯し、ワイングラスを手に夫の感想に耳を傾ける時間 ―― へ向けられていたのです。

・・・ と、ここまで読んで、
この内容のどこが「ヴィルデに片思い」なんだ?
これじゃあただの夫婦のノロケじゃないか!と思った方。
もうしばらくお待ちください。この後ヴィルデ・フラングが登場すると状況は一変します。結果から言うと、私は夫を放置してヴィルデを追いかけて旅立つことになります。
でもその話はまた次回。   ( つづく )

***  ***

画像は歌川広重の「名所江戸百景 深川洲崎十万坪」です。
広重は鷹の目で冬の江戸湾を見下ろしています。彼方に見えるのは雪化粧した筑波山です。「極寒の空を滑空する鷲のように」というシベリウスの言葉をビジュアルにすると、ちょうどこんな感じでしょうか。フィンランドはもっと森が深いのかな。広重は1857年にこの作品を書きました。シベコン初演が1904年なので、半世紀前ということになります。

前へ