ガンバレ よし子さん

手作りせんきょ日記

ヴィルデ・フラングに片思い(5)/2012は再来日!

2011年12月30日 | シベリウス バイオリン協奏曲

シベコンチームのみなさんこんにちは。シベコン広報部のクレタです。
連日の閲覧ありがとうございます。今年最後のエントリはこのニュースから。
2012年5月にヴィルデ・フラングが再び来日します!




11日と12日はニールセンのコンチェルト with 東京交響楽団




来日の詳細はまた後ほど。

で、ここからは前回のテキストの続きです。
前回のテキストは こちら

神尾真由子/BBC響のシベコンは心に残る名演奏で、それを聴く機会に恵まれたのは疑いの余地なく幸運なことでした。でもそこには後遺症もあって、それ以降の私は過去の呪縛の中でシベコンを聴くことを余儀なくされました。新しいソリストが登場しても神尾さんの演奏が上書されることはなく、したがってその呪縛が解かれることもなく、私は新たな感動を見出せないまま演奏会を重ね、いつしか私とシベコンの間には緩やかな倦怠期が訪れてました。その状況は2011年3月5日のヴィルデ・フラングのシベコンを聴いた後で一変します。それは私の耳に残っていた過去の演奏を消し去っていきました。

こんな書き方をすると、それは神尾さんをも凌駕する演奏だったのか、と誤解されそうなので補足しますが、コンチェルト全体の完成度という点ではヴィルデは神尾さんに及ばなかったと思います。残念ながら初日の演奏についてはそう言わざるを得ません。なんか変てこなシベコンだな、というのが第一印象でした。ヴィルデのシベコンは風変わりで、ユニークで、それまでに聴いた他の誰の演奏とも違っていました。じゃあそれはNGなのか、というとそんなことはなく、むしろ大アリ。
まだはっきりとした輪郭をとらない、断片的でノイジーな信号だけど、だからこそ
私のアンテナには引っかかって、この音楽は私に発見されるのを求めている!
なんてひとりよがりの、特殊で、狭くて、深い感情が喚起されて、気がつけばβエンドルフィンとかキラー細胞とかアルファ波とか、脳内物質でまくり。それは俗にいう


・・・ヴィルデ・フラング、萌え~。

的な高揚で、その高揚は演奏が進むにつれて更に強くなり、

これは間違いなく新しい音楽。
でも私はまだこの音楽を語る言葉を持たない。
過去の言葉はもはや無効。この音楽の姿を歪めてしまう。
私はこの音楽にふさわしい言葉をゼロから探さなければいけない。
その言葉を確保してようやく音楽が私のものなる。
でもそんなことができるだろうか。
音楽が消えるまでに私は新しい言葉を見つけられるだろうか。

みたいな求心的かつ切羽詰まった心境になって、
客席に座ったまま、頭だけがどんどん回転して燃え(萌え)上がっていくのでした。


余談になりますが、同じような焦燥を、私は原発が爆発した時にも感じました。
水素爆発の映像が流れた時、私は目の前の現実を語る言葉をひとつとして持ちませんでした。それまで原発に対して使われていた言葉は、そのすべてが核の安全利用を前提にしていて、2011年のホワイトデーの11時に起こるはずのない爆発が起きて核の安全が失われた後は、古い言葉をどれだけ駆使しても目の前の現実には追いつけなかった。NHKのアナウンサーと解説員が、言葉のプロの威信をかけて「メルトダウン」とか「シーベルト」とか代替になりそうな新しい語彙を持ち出して、必死で現実に秩序を与えようとしていたけど、私の混乱をオーガナイズするにはそれらの新語はあまりにも局所的で頼りないものでした。


今を境にして世界は一変する。そこでは古い世界の秩序は役に立たない。
新しい秩序はまだどこにもない。それは自分で作るしかない。

TVの前の私はそんな焦燥に強くかられましたが、考えてみればその感覚はもともと自分の中にあったもので、古い概念が一度にリセットされる新たな転換は、震災ほどのスケールではないけれど、3月5日の時点で既に私に起きていた気がします。私の内面の変化はそこから既に始まっていて、震災後の私はその感覚をただ確認しただけなのかもしれません。

閑話休題。

正直なところ私はヴィルデのシベコンにそれほど期待をしていませんでした。それはこの日の演奏会にオプションをつけたことでもわかります。オプションとはもちろん夫婦の「シベコン記念日」のことです。そこには

今回もどうせまた過去の経験の延長だろう

という前提があり

演奏会でがっかりするのはイヤだからイベントのおまけでも付けておこう

という計算があり

しばらくは誰も神尾さんほどは心を動かさないだろうから、夫と楽しく記念日でも祝おう

という油断がありました。それは熊が食糧の乏しい冬を眠ってやり過ごすみたいにせこい了見でしたが、ヴィルデのシベコンによって私はその冬眠状態から叩き起こされ、目が覚めた後の世界は以前と全く違って見えました。たとえば演奏前は

シベコン記念日 > ヴィルデ

だったのが、演奏後は

シベコン記念日 < ヴィルデ

に変わるとか。そしてシベコン記念日のプライオリティが下がると同時に、夫と過ごす楽しいアフター演奏会に向けられていた私の興味はたちまち目の前のヴィルデ・フラングに全面投入されました。スケールが全く違いますが、それは3.11を境にして日本人が電力をめぐる価値観を

利益 > 安全

から

利益 < 安全

に入れ替えたようなもので、平たく言えば心変わり。
突然の、手のひらを返したような心変わり。


そんな私に振り回された夫は
「キミってほんとに音楽を前にすると人が変わるよね・・・。」
とため息をついていましたが、私はもはや夫どころではなく次に自分が何をすべきかで頭が一杯でした。


かくして震災後の日本の電力政策が原発推進から脱原発へと舵を切ったように、
その後の私の行動も当初の予定を大きく外れることになったのです。( つづく )

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16日は白寿ホールでミニ・リサイタル
18日はブルッフのコンチェルト with 京都市交響楽団 (わぉ
あとひとつ、名古屋でもリサイタルがあるみたい。

はやくこいこい

みなさん、よいお年を~。


ヴィルデ・フラングに片思い(4)バイオリンがやってきた

2011年12月29日 | シベリウス バイオリン協奏曲
シベコンチームのみなさんこんにちは。シベコン広報部長のクレタです。
年の瀬のお忙しいなかご覧いただきありがとうございます。


突然ですが!みなさん、倦怠期って経験したことありますか。
某結婚情報誌「ゼ*シィ」が、20~30代の女性に
「過去に倦怠期を経験したことがありますか?」と聞いたところ、
35%の人が「ある」と回答。
どのようなことに倦怠期を感じたのか聞いてみると、


■ 「なんかこれ以上好きになれない感じになった。 最初のドキドキ感が下降線になった。」(32歳)
■ 「一緒に何かをしていても楽しいと感じられず、彼によく『マンネリって感じだね』と言われた」(27歳)
■ 「彼に飽きて浮気願望が芽生えてしまい、
合コンに通ったり、ほかの男の人とデートをしたりした。」(23歳)

と、ほとんどが相手との関係に「慣れてしまった」「飽きてしまった」という気持から
倦怠期の訪れを実感した様子。さらに、
「付き合ってどのぐらいで倦怠期に陥りましたか?」という質問に対しては


■ 3か月・・・7% 
■ 6か月・・・14%
■ 1年・・・27% 
■ 2年・・・20%
■ 3年・・・20%
■ 4年以上・・・12%

という解答結果が。恋愛マーケットにおけるラブラブのピークは、早いケースでつき合い始めてから3~6か月位。1年が過ぎる頃には、約半数のカップルが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことわざよろしく、恋愛初期の発熱を忘れてマンネリ状態に突入しているもよう。みなさんは、身に覚えはありませんか?私は、大アリで~す・・・ってアンタ、40過ぎて、まだ倦怠期なんて言ってるの?と突っ込まれそうですが、私の場合は男女の話ではありません。まずは下記のグラフをご覧ください。



これは過去のシベコン演奏会における自分の満足度を示したグラフです。ご覧のように、出会って6か月目の2)でピークを迎え、その後急速に下降し、1年目から停滞が始まる折れ線のカーブは、そのままゼ*シィの倦怠期データと重なります。詳細を列記すると、

1) 2009年11月(庄司紗矢香/シンシナティ響)
2) 2010年5月(神尾真由子/BBC響)
3) 2010年9月(ミハイル・シモニアン/N響)
4) 2010年11月(諏訪内晶子/ロンドン響)
5) 2011年2月(アレクサンドラ・スム/東響)

となりますが、記憶を振り返っても、3)5)のあたりは、シベコンだからちょっと割高のいい席で聴いてるし、いつもと変わらず集中もしているのに、なぜか演奏後の感動が薄く、自分が払った努力に見合う成果が帰ってこない気がしました。

そもそも倦怠期はなぜ訪れるのか。
ゼ*シィによると、「倦怠期は、“相手を完全に自分の手に入れた”と思ったことで訪れることがほとんど」なのだとか。この“掌中に収めた”という感覚、私にもよくわかります。私も頂点を極めたというか、シベコンを聴き尽くした感がありました。
2)の神尾さんのシベコンを聴いた後ではそれを超える演奏がうまくイメージできなくて、3)5)のソリストも、それぞれ健闘しているのは認められるんだけど、出てくる音楽が想定内というか、パターンが読めるというか、第2楽章のテーマの提示の仕方でその人のキャパシティがわかっちゃうというか(←偉そう?)。

皆さんも経験ないですか?「好き」という気持ちが飽和して、初期のドキドキと比較して現状に物足りなさを感じることって。ゼ*シィ的恋愛マーケティングの観点から言うと、それはまさに倦怠期。そんなあなたはダイエットするでも、髪型変えるでも、なんでもいいから慣れ切った環境に変化を起こしてみて。倦怠期からラブを復活させるには、新鮮な気持ちを取り戻すことが何より大切なのです ・・・な~んて、ゼ*シィに代わってアドバイスしたところで本題に入ります。本題はヴィルデのシベコン演奏会です。前置きが長くてすみません。

なぜ私が「倦怠期」なんて持ち出して、エクセルでグラフまで作ってプレゼンしたかと言うと、自分の行動が、倦怠期のカップルがとるそれとシンクロするから。前回のテキストに書いたとおり、私はこの演奏会を「シベコン記念日」と位置づけていました。私はかねてからこの曲を夫と一緒に聴きたいと思っていて、その願いがかなった喜びを俵万智の「サラダ記念日」に重ねていました。でも「シベコン記念日」の説明はそれだけでは不充分で、そこには私とシベコンの間に漂い始めた閉塞感も深く関わっていました。倦怠期に陥ったカップルがマンネリムードを払拭すべくダイエットしたり髪型を変えたりするように、私の中には、自分とシベコンの間に「記念日」という新規プログラムを投入することで冷めかけた気持をテコ入れしたいという下心がありました。初心者の夫の反応を見ることで、自分もまたこの曲に対して新鮮な気持を取り戻せるのではないか。そんな期待が「シベコン記念日」という言葉に込められていたのです。


今にして思えば倦怠期なんて俗説に迎合すること自体シベコン広報部長として失格です。でも空振り(←失礼な )の演奏が3回も続くと、さすがに広報部長のアイデンティティも揺らいでくるところがありました。でもヴィルデは私の迷いなんかおかまいなし。その演奏はやすやすと私の想定を越えていきました。

芸術の力をあなどってはいけない。
真の芸術は、データ分析とかマーケティングなんていう
さかしらな勘ぐりとは別の次元で成立している。
私はもう倦怠期なんて陳腐な価値観に惑わされたり、
3)5)レベルの演奏に自分を合わせて感動を小さく見積もったりしない。
私はシベコン広報部長として、どこまでも最高の体験を追い求める。
私が求め続けるかぎり、それは必ず与えられるんだ。


音楽を聴いてそんな根拠のない確信が湧いてくるのはずいぶん久しぶりでした。

( つづく )  前へ  次へ

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我が家にバイオリンがやってきました