ガンバレ よし子さん

手作りせんきょ日記

声を届ける ~ その7 ~

2019年03月31日 | SAVE 築地市場
2019年3月30日(土) 午後は築地営業権組合お買い物ツアーに飛び入り

12:00 銀座

12:25 築地正門
営業権組合のムラキさんに挨拶。お元気そうでなにより。*1

12:40 中央市場前交差点の信号機下にアンプを置いて辻立ちスタート。*2
ルポライターのNさん、営業権組合のKさんなど、おなじみの顔ぶれ
が目の前を通り過ぎていく。原稿を読みながら、横目で挨拶。

13:00 正門前にて築地営業権組合お買い物ツアースタート
お客さんとの距離は10メートルくらい。声は届いているのかな。

13:30 ルポライターのNさんが
「クレタさん、そこじゃ聞こえないから、こっちでやろう」
と、声をかけて下さる。その言葉に甘えて、
つ、ついに、正門前の檜舞台にデビュー 
 


アンプの目盛りもちょっと上げてみる。これでいいかな。*3

13:45 スピーチ終了
皆さんから温かい拍手をいただく。*4

14:30 銀座

15:45 帰宅


*1 ムラキさんは東京都がバッシングする仲卸のひとり。昨年末まで、私は売り子としてお買い物ツアーを手伝っていた。東京都への抗議を含むこのアクションが、冬を越えて春まで持ちこたえたことに敬服。

*2 マイクを使って話す人は、自分の音の大きさを把握できない。アンプの目盛を、どのレベルに合わせればいいのかわからなくて悩む。私自身、無駄な大音量が苦手なので、サウンドチェックをしてくれる人がいればいいのに、と思う。

*3 写真はGalbraithianさんのツィッターから転載しました。写るとわかっていたら、もうちょっとおしゃれしたのに。ムラキさんのねじりはちまき、しぶい。

*4 今までアウェーで孤軍奮闘していたので、自分と方向性を同じくする人たちの存在にほっとする。













声を届ける ~ その6 ~

2019年03月30日 | SAVE 築地市場
2019年3月30日(土)  辻立ち6日目

03:10 起床

05:24 銀座 ざぎんの桜は見頃。



05:50 築地正門
新大橋通りの露天の八百屋を通りすがりにチェックし、筍を発見。
スーパーの店先のものよりずっと美しく、おいしそう。
か、買いたい … しかし物欲を抑え、先を急ぐ

06:00 波除神社・波除門



06:10 ぷらっと築地のベンチの前で辻立ちスタート
土曜日の波除通りは通りの端から端まで活気に満ちている
…と言いたいところだが、松枝物産(かまぼこ)は本日をもって
廃業とのこと。ジェントリフィケーションの波は場外にも。


06:18 スピーチ ~その1~ 読了。

06:29 スピーチ ~その2~ 読了。

06:45 スピーチ ~その3~ 読了。

06:52 スピーチ ~その4~ 読了。撤収。

ようやく言葉と口と喉が噛み合ってきたようで、原稿がスラスラ
読める。テンポも速くなった。初日(ちょうど一週間前)は、
読み終えるまで1時間近くかかった。継続は力。
帰りに再び八百屋をチェック…と思ったら、すでに
別の店に入れ替わっていた。速い。

07:37 銀座

09:00 帰宅
















声を届ける 第1回

2019年03月23日 | SAVE 築地市場
2019年3月23日(土)

8:00 銀座 気温7度 
8:22 築地正門
雨が降り出す。





8:29 波除通り駐輪場のフェンスにTHE M/ALL の提灯をセットして
辻立ちスタート

スピーチ ~その1~ 読了。

スピーチ ~その2~ 読了。

スピーチ ~その3~ 読了。

スピーチ ~その4~ 読了。



ローランドのモバイルアンプ。音量の目盛りをどこに合わせれば
いいか悩む。新大橋通りは車両の交通量が多い。
車の音にかき消されないけど、耳障りでもない音量。
それはひとりではわからない。

9:17 辻立ち終了。撤収 *1
雨は止んでいる。しかし、風強く寒い … カゼひく … 。

*1 辻立ちの間ずっと隣の駐車場の係員がこちらの様子を伺っていた。でもクレームはなかった。途中で外国人観光客に「なにやってるの」と尋ねられ「アイムプロテスター」と答えた。













スピーチ on 波除通り ~ その4 ~

2019年03月22日 | SAVE 築地市場
 さて皆さん、長々と自説を述べてきましたが、そろそろまとめに入ります。私がこの場で言いたいことはひとつです。「豊洲は豊洲、築地は築地」というスローガンは築地にふさわしくありません。少なくともそこに客のニーズはありません。築地の客のニーズは「三方よし」の共同体の中にしかありません。場内と場外が揃ってこそ築地。皆さんはそこから目をそらさないでほしい。その事実を踏まえ、場外市場の置かれた状況を正しく理解した上で、皆さんにふさわしいスローガンを、僭越ながら私がここに披露します。

それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」という分断の呪いを解いて、皆さんの心をひとつに束ねる言葉です。
それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」というビジネスマインドを超えて、皆さんの可能性を新しい時代に開く言葉です。
それは
「豊洲は豊洲、築地は築地」という傍観を卒業し、現実と正面から向き合う皆さんの勇気を表す言葉です。
皆さんが真に掲げるべきスローガン、それは

「都知事は都知事、築地は築地」

これしかありません。
そしてこの言葉には豊富なバリエーションがあります。たとえば

「オリンピックはオリンピック、築地は築地」とか、
「電通は電通、築地は築地」とか、
「森ビルは森ビル、築地は築地」とか、

いろいろと応用が利く優れモノです。築地に「三方よし」の連携を取り戻す。都知事や広告代理店やディベロッパーの与えるキャッチコピーから脱却する。そしてみんなで心をひとつにして築地に仲卸を復活させる。それ以外に築地が未来の客を取り込む道はありません。

 私の存在を目障りと感じる方はどうぞ無視してください。「善人ヅラむかつく」とか「マイクの音量下げろよ」とか、今まで散々高飛車に心の中で人に浴びせてきた批判が、今自分に矢になって突き刺さっています。「穴があったら入りたい」とは言わないまでも、人前で政治的に振舞うのはやはり気恥ずかしいことです。でもその気恥ずかしさは、大切なものを守ろうとする人が進んで背負うべき荷物なのだとも思います。こうでもしなければ、私は築地から仲卸が消え、歴史的価値のある建物が破壊され、場外市場に地上げ屋が紛れ込み、東京の魚河岸文化が衰退していく悲しみを乗り越えることができません。私は場外の皆さんを貶めるために話しているのではありません。私は皆さんと敵対するためにここに立つのではありません。私は自分が背負う荷物を少しでも軽くしたいと思ってここに立っています。そして築地を愛する人は今日誰もが等しく同じ荷物を背負わされています。私の言葉が、私と同じ荷物を背負っていると感じている誰かの心に届くことを願っています。

(おわり)
















スピーチ on 波除通り ~ その3 ~

2019年03月21日 | SAVE 築地市場
 では、メディアが場外の皆さんに与える幻想とは何か。それはたとえば「豊洲は豊洲、築地は築地」という言葉です。あるいは「場外がなくならない限り築地はなくならない」という言葉です。前者は『築地食のまちづくり協議会』の鈴木章夫理事長による年頭の挨拶の言葉なので、2019年の場外商店街のスローガンとみなしていいでしょう。後者はテレビの築地ヨイショ番組で通説としてしきりに語られています。「豊洲は豊洲、築地は築地」というのは「仲卸は仲卸、場外は場外」ということです。それは言い換えれば「仲卸と場外を切り離して合理的に考えよう」ということです。「場外がなくならない限り築地はなくならない」というのは煎じつめれば「築地には場外だけ残ればいい」という利己主義です。その思考パターンが「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」に逆行することはすでに述べたとおりです。つまり場外の皆さんはこれらの言葉を口にするたびに共同体の連携に自らの手で楔を打ち込んでいるのです。これは「僕たちのいるところが市場になる」という仲卸のセルフイメージとよく似ていませんか?皆さんには申し訳ないのですが、私はこれらの言葉に真っ向から異を唱えたいと思います。そもそも「豊洲は豊洲、築地は築地」というのは鈴木理事長のオリジナルな言葉でしょうか。私には別の誰かからの借り物のように感じられます。

「築地は一旦立ち止まって考える」。小池百合子氏は3年前の都知事選挙の演説で築地問題を取り上げてこう発言し、2年前の都議会議員選挙では『都民ファーストの会』の応援演説でさらに踏み込んでこう発言しました。曰く「豊洲は活かす、築地は残す」。市場の築地残留を示唆するこれらの発言は、いずれも投票日の10日前という選挙戦ラストスパートのタイミングで行われました。市場の築地残留は、元をただせば宇都宮健児氏の公約の目玉でした。しかし同氏は出馬を取り止めたため、小池氏がそのバトンを引き継ぎ自らの公約としました。小池氏が築地残留のカラーを明確に打ち出した背景には「豊洲移転はノー!」という根強い都民感情があり、その民意を取り込まない限りライバルの自民党候補に勝てないという判断がありました。そして小池氏の思惑通りに築地問題は選挙の争点に急浮上し、結果は都知事選、さらには都議選でも小池氏が圧勝しました。知事就任後の小池氏は、悪代官の石原慎太郎氏を議会で吊るし上げ、しがらみ政治からの脱却をアピールしましたが、肝心の豊洲移転の撤回には決して踏み込もうとしませんでした。都議選後の小池氏は方針を転換し、記者会見なしの一方的な安全宣言、いまだ土壌汚染の疑いが残る豊洲への移転強行、旧市場のバリケード封鎖とそこに留まる仲卸業者へのバッシング、自民党への接近、市場跡地の帳簿操作と売却構想など、積極的に移転プロジェクトを推し進めます。

小池氏のこの露骨な手のひら返しを目の当たりにして、選挙民としては「築地は残す」の公約はどうなった、落とし前をつけてくれ、と言いたいところですが、小池氏にしてみれば「場内の仲卸は追い出したけど、場外の商店街は残っている。だから築地は残っている」という理屈になるのかもしれません。

しかしそれは詭弁というものです。3年前の都知事選の経緯を踏まえれば、小池氏の公約は宇都宮氏の公約の反映でなくてはならず、宇都宮氏が『築地』と言うときは、場内と場外を含む全体を想定しているのは明らかで、小池氏もそれに倣うのが筋というものです。当時の選挙民のほとんどは、小池氏が「築地は残す」と発言すれば、その趣旨はとりもなおさず「場内も場外も丸ごと残す」なのだと受け止めました。「場内は捨てて、場外は残す…だったりして?」なんて穿った見方をする選挙民はまずいませんでした。だから小池氏が場内の仲卸を追放しておきながら築地はまだ残っていると主張するとしたら、それは羊頭狗肉というもので、選挙民の反撥を招かないはずがありません。

昨年10月18日、築地で商売を続ける仲卸業者と東京都の役人が衝突し、買い物客を巻き込んだトラブルが発生しました。仲卸を支援する客がバリケードを乗り越えて場内に入る映像を、テレビで見たという方もいらっしゃるかもしれません。メディアはこの事件を移転反対派による迷惑行為として非難しましたが、現場に立ち会った者として言わせてもらえれば、この事件は賛成か反対かの二項対立ではなく、移転プロジェクトは民主的か否かという視点で考えないと本質を見誤ってしまいます。市場の築地撤退にあたり、東京都は多数派の意見を全体の総意とみなし、少数派の意見は一貫して黙殺しました。撤退の合意形成は民主的な手順を踏んだものではなかったと訴える仲卸は少なくありません。撤退を不服とする仲卸の一部が、小池氏の玉虫色の公約を不服とする選挙民の一部と連携し、移転プロジェクトの根本にある強権政治を告発したというのがこの事件の真相です。築地を「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の共同体として次世代に継承しようとする者は、時代に翻弄される存在から自ら台風の目となり周囲を巻き込む存在へと自己を変革しなければならない。その兆候がここにあります。このムーブメントを場内だけでなく場外まで拡張したい。築地に留まった仲卸と場外が中心となり小池氏の圧政の対抗軸を打ち立てたい。そんな思いで私はここに立っているのですが、しかし現実は厳しい。

「豊洲は豊洲、築地は築地」「場外がなくならない限り築地はなくならない」。このスローガンを掲げる場外の店先では、私は築地から仲卸が去っていった悲しみをうっかり口に出すことはできません。「小池さんうそつきだよね」と怒りをぶちまけることもできません。店員さんたちは、客の顔を見ると同時に場内の欠落を悟らせまいと「豊洲は豊洲、築地は築地」と、平気な顔で、まるで場内の仲卸なんて最初からいなかったかのように、威勢よく接客していますし、私もその空気につられて、強いて暖簾をくぐり興味を持って品定めしてみるのですが、内心は甚だそうではない場合が多いのです。これは底をわると両者とも極めて割の悪い話に当たります。店員が合理的な利己主義者として振舞う店ではエシカル消費は成立せず、エシカル消費のない築地に未来はありません。どうか皆さん、欠落があるのにないようなふりをまずやめて下さい。不安があるのにないようなふりをまずやめて下さい。場内と場外は表裏一体。切っても切れない間柄。セリ場のない築地市場、あるいは仲卸やターレがいない築地市場は築地であって築地ではない。その悲しみをどうか私と共有してください。そうすれば私も安心し警戒を解いて財布のひもを緩めるという態度に出ます。そうでないと今後、私は場外市場から遠ざかってゆかなければならない事になるかも知れません。これは何とも寂しい事です。

こんなことを言うと「問題の本質を見誤っているのはそっちの方だ」と批判を浴びるかもしれません。連携も何も、向こうは勝手に出て行ったんじゃないか。仲卸は自ら築地からの撤退を選択した。取り残されたのは場外のほうだ。だから場外が一丸となってサバイバルするしかない … そんな反論の声が、場外の店から聞こえてきそうです。でも「仲卸が自ら選択した」という前提についても、私は異を唱えなければなりません。豊洲移転をめぐり東京都は仲卸との個別の交渉を省略しました。そして代表者の意見を全体の総意とみなし、末端の仲卸の意見を聞く耳を持ちませんでした。東京都は移転を拒み築地の家財道具を撤去しなかった仲卸2名を業務停止にしました。それは傍目にも見せしめとわかる重い処分でした。このような状況で仲卸は自由な意志表示ができたでしょうか。事態の推移はむしろ築地撤退以外の選択肢が最初からなかったことや、築地に留まりたくてもまわりの圧力で撤退に追い込まれた仲卸がいたことを物語っています。そして「豊洲は豊洲、築地は築地」という言葉は、これらの深刻な問題について考える力を場外の皆さんから奪っている。「豊洲は豊洲、築地は築地」と唱えれば、皆さんは仲卸の背負う痛みを他人事として遠ざけることができる。でもそれと同時に皆さんは進んで小池氏の圧政にお墨付きを与え、仲卸の切り捨てに加担し、自らの手で共同体の連携を分断している。それは「僕らのいるところが市場になる」という短絡思考で築地から離脱し、窮地に追い込まれた仲卸の二の舞ではないですか。

(つづく)















スピーチ on 波除通り ~ その2 ~

2019年03月20日 | SAVE 築地市場
 昨年10月に築地市場は閉鎖され、場内の住人だった仲卸業者は去り、彼らの住処だった水産卸売市場の建物は ―これは文化的、歴史的に貴重な建造物ですがー 無人のまま放置されています。仲卸業者が市場の新旧交代に翻弄されながらも豊洲転進の方針を固めた背景にはひとつの言葉がありました。「目利きの技」がそれに当たります。

2年前の夏、東京都知事が「移転プランは一旦立ち止まって考える」と宣言し、昨年秋に築地場内が封鎖されるまでの間、仲卸業者は移転推進派と慎重派に分断され、内外から有形無形の圧力を受けていました。ちょうど同じ頃、築地のマグロのセリ場が外国人観光客の人気を集め、そこで働く仲卸業者が築地の主役としてメディアの脚光を浴びました。テレビは鮮魚の付加価値を高める仲卸の独自技術を「目利きの技」と賛美し、食通をうならせる名店を顧客にもつ仲卸に密着するドキュメンタリー映画も公開されました。にわかに巻き起こったブームは、今にして思うと、移転問題の渦中にある仲卸に必ずしも良い影響を与えませんでした。周りにちやほやされた人が、うぬぼれて判断を誤ることを「贔屓の引き倒し」と言いますが、場内もその例外ではありませんでした。たとえば仲卸の島津修さん。彼は市場移転の是非を問われ、取材カメラに向かってこう答えました。

「僕らは誇りを持って仕事をしているプロの集団。築地の仲卸の代わりはどこにもいない。僕らのいるところが市場になる」

目利きのプロの誇りとフロンティア精神で豊洲の未来はバラ色。島津さんの発言からはそんなイメージが浮かんできます。しかし残念ながらそのイメージは、今日私たちが豊洲で目にする光景の対極にあります。島津さんのように良識派と評される仲卸が、メディアのキャンペーンと安易に足並みを揃え、あたかも移転に太鼓判を押すかのような発言をしたことは、他の仲卸が移転のリスクを過小評価する空気を醸成したかもしれない。彼の発言は「批判封じ」の効果を上げ、移転推進派を利する結果を生んだかもしれない。勝手な想像かもしれませんが、私はそう思っています。

「目利きの技」が卓越した技術であり、それが築地のブランド力を高めていることに疑問の余地はありません。しかし築地市場を他に並ぶもののないオンリーワンの卸売市場にしている要因を「目利きの技」だけに求めるのは無理があります。
私たち一般大衆が築地と聞いて真っ先に思い浮かべるのは三億円マグロの行列や波除通りの賑わいです。築地の魅力はそこに集まる多種多様な客が生み出す活気にあり、仲卸の「目利きの技」は集客の要因のひとつに過ぎません。そして築地の客の多彩さは売り手の多彩さに裏打ちされていて、その根本には場内と場外が共存し、早朝のプレイヤーと昼間のプレイヤーが交代で客を集める重層構造があります。
仲卸のターゲットはプロの飲食店なので、場内市場は夜明け前にオープンし、昼には店じまいします。それ以降は場外商店街がランチやショッピング目当ての一般客と観光客を一手に引き受けます。場内は一見の客には敷居が高く、侵しがたい聖域のイメージがありましたが、場外の商店街がその敷居を下げて間口を広げ集客力を高めてきました。その商いの住み分けの機微や客のニーズを無視して、ことさらに仲卸の優位性のみを強調する島津さんの発言は「木を見て森を見ず」といいますか、前後の文脈を省略した短絡思考でもありました。

しかしこの短絡思考は仲卸さんたちの心を動かし、汚染問題で停滞していた移転プランを再び活性化させます。その頃の仲卸さんたちは先行きが見通せないストレスから「このまま時間を空費するより白黒はっきりさせたい」という気分を抱き始めていて、「目利きの技でフロンティアを開拓する」というイメージはその欲求にうまくマッチしていました。さらに「目利きのプロの誇り」という言葉は、築地というホーム・グラウンドから追放される痛みを忘れさせてくれました。こうして移転の合意形成が進み「豊洲では採算が合わない」という慎重派の警告は退けられます。

そして現在、仲卸さんたちは衛生面においても立地面においても大きなハンディキャップを背負い、豊洲で採算の合わない商売を余儀なくされています。取扱高は激減し、客足は遠のき、「目利きのプロの誇り」は微塵に砕かれ、経営体力の弱い業者は廃業の危機に晒されています。

  もし築地の仲卸が「目利きの技」なんていうキャッチコピーでメディアに持ち上げられることがなかったら、彼らは行政に翻弄される自らの弱さを直視し、市場の新旧交代の波を「三方よし」の心得に立ち帰るきっかけと捉え、場外や客と連携し、一丸となって豊洲移転に「ノー」を突き付けていたかもしれない。築地の市場関係者が権力から受ける圧力を、自らの共同体の求心力に転換することができれば、その意志は漁業権の私物化に抗う各地の漁業関係者にも波及したかもしれない。そう考えると仲卸の短慮が残念でなりません。現実の仲卸はメディアが与える三割増のセルフイメージに溺れ、築地離脱という逆張りの博打に活路を見出し、場外と袂を分かち、残留を乞う客を残して去って行きました。どんな世界でもそうですが、褒め殺しくらい怖いものはありません。

しかしそれよりもさらに私が残念に思うのは、仲卸に進路の判断を誤らせた三割増のセルフイメージが、今度は場外の商店街から聞こえてくることなのです。「木を見て森を見ず」の短慮に走っているのは仲卸だけではない。場外の皆さんもまたメディアが与える幻想に惑わされている。それを私はこの場で訴えたいのです。

(つづく)















スピーチ on 波除通り ~ その1 ~

2019年03月19日 | SAVE 築地市場
「売り手よし、買い手よし、世間よし、」商売をする者なら、きっと一度は耳にしたことのあるこのフレーズは、近江商人の商いの心得「三方よし」です。「商いの尊さは、売り買い何れをも益し、世の不足をうずめ、身仏の心にかなうものである」という教えですが、現代風に言うと「商売繁盛の秘訣は『売り手』と『買い手』と『社会』という三つの視点を常に視野に入れて、柔軟に使い分けるバランス感覚にある」ということになるでしょうか。売り手目線オンリーの経営は、短期的な儲けに走りがちで商売が先細る懸念がありますが、そこへ立場の異なる第三者の視点を取り入れると、目先の儲けに惑わされることなく、長期的かつ持続的な経営が可能になるわけです。

そう考えると、この「三方よし」の心得というのは、商売の枠を超えて、持続的な社会のあり方を示唆する普遍的な教えのような気がしてきます。たとえば最近よく耳にする言葉に「エシカル消費」があります。新しい消費のスタイルとして現代人の意識に浸透しつつありますが、念のため説明すると、「エシカル消費」とは買い物の際に自分の利益だけでなく、自分の属する共同体の利益を視野に入れて商品を選ぶ消費行動をいいます。資本主義の競争原理に従って自己利益を追求しているだけでは、いずれ資源が枯渇し共同体が消滅するのは目に見えている。そんな危機感を共有する人たちが、行き過ぎた資本主義への対案として、自分だけでなくまわりを思いやることで弱体化した共同体を回復しようとする試みがエシカル消費です。

そして築地市場はエシカル消費の先進地でした。
同じ魚でもスーパーで買うのはただの消費だけど築地で買えばエシカル消費になる。なぜか。魚の鮮度が勝るのは大前提であるが、それだけではない。客は築地で買った魚を食べて命を支える。同時に魚の背後にある漁師の暮らしや浜の共有資源を支える。客は取引を介して、消費する自分と魚を供給する共同体とのつながりを明確にイメージする。そのイメージはグローバル資本主義や拝金主義や合理主義といった現代社会の前提をいったんリセットする力を持っていて、客は現代社会の枠組みを棚上げし、その束縛の外で自分らしさを回復することができる。
利己(己を利する)と利他(まわりを利する)を等しく視野に入れることで、自分がひとつの共同体の欠かせない構成要素であることを実感し、自分の中に潜在する力を掘り起こす。そのわくわく感こそが築地での買い物の醍醐味であり、その楽しさはそのまま「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の心得に通じます。

 さて皆さん、築地はいま卸売市場の撤去と再開発という比類のない重圧の中にあります。老朽化した市場を新しい市場に置き替える新旧交代の波は、地域のアイデンティティである魚河岸文化を過去へ押しやろうとしています。この大きな時代の変化の中にあって、私たちの心を支え、困難な局面を切り開く知恵の源泉となるのが他ならぬ「三方よし」の心得ではないかと私は思います。でも私に同調してくれる人は今のところ少数です。

でもそんなのは当たり前のことで、「三方よし」の心得は、裏返して見れば浮世のしがらみであり、心理的拘束です。売り手の喜びが買い手の喜びになるということは、売り手の痛みもまた買い手にとっての痛みになるわけで、「三方よし」の共同体の一員は他人の痛みを知らんふりはできない。それを自分の痛みと同じように受け止めなくてはいけない。そして痛みを受け止めた人はたいていの場合なにか行動せずにいられなくなって、下手をすると私みたいに使命感に駆られて辻立ちなんかをするはめになる。そんなことをするくらいなら家でバイオリンを弾いていたい。テレビでスポーツ中継を見ていたい。スマホでゲームをしていたい。面倒なことには関わりたくない。そう考える人が多数派を占めているのが今の日本です。
暗い現実は見たくない。明るいことや楽しいことだけを見ていていたい。誰もがそんな気分で暮らす世の中では、人は自分の生活に何か大きな問題が降りかかっても「木を見て森を見ず」とでも言いますか、限られた文脈で一部分を切り取ることで全体を無効化します。そうやって目の前の大きな問題をなるべく見ないようにすることが処世術として、あるいはスマートな大人の態度として高く評価されます。それに比べると、路上に辻立ちして「この痛みをなんとかしなければ」と訴える私のようなアプローチは世の平穏を乱す蛮行にあたるわけで、そんな人は白い目で見られても仕方ない。それが波除通りのみなさんの、ひいては国民の大多数の共通認識ではないかと思います。でもそれを承知の上で、私は今日ここに立っています。

(つづく)