6月6日(火)
こんにちは。更新が遅くなりましたが、4月27日の続きです。
私が選挙に立候補した理由を要約するとこんな感じ。
自民党議員がカルトを選挙マシーンに使っていたことが明らかになった。
私たちの代表として選ばれたはずの議員が、実はカルトの支援を受けていて、
ビラ配りやポスター貼りを手伝わせるだけでなく、信者の票を振り分けてもらっていた。
当落線上の候補者はカルトのおかげで当選し、
カルトの利益を第一義として政治活動をしていた。
カルト議員が社会にもたらす弊害は
ジェンダー平等に関わる分野において特に顕著であり
妻は夫と同じ姓を名乗らなければ結婚を認められないとか、
皇族は男に生まれなければ皇位継承権を与えられないとか、
女性に不当なダメージを与える制度が常に改革の対象から外れてしまうのは、
改革を求める側が贅沢を言っているからでも、高望みをしているからでもなく、
女性の能力をもっぱら出産、家事、育児の枠内で管理したい自民党議員と
カルトの教義が結びついたことによるものだった。
2023年3月、宗教2世の救済にあたる弁護士たちが選挙に先立って
現職議員とカルトの接点の有無を明らかにするよう各政党や地方議会に求めた。
それと同じ文脈で、カルトの政治ハックが女性に与えた不利益回復のために、
自ら立候補して自民党の選挙マシーンの「見える化」を世に問う人間が
今この国に必要な気がする。
でも私の意気込みとは裏腹に、マスメディアが今回の選挙報道で行ったのは、
選挙マシーンの「見える化」ではなく、むしろ「曖昧化」だった。
たとえば三鷹市議選告示日の4月16日のNHKニュースの伝え方はこんな感じ。
統一地方選挙の後半戦では、人口減少が進む中、
子ども・子育て政策や地域経済の活性化など、暮らしに身近なテーマをめぐって
活発な論戦が交わされるものとみられます。
なんで?なんで子ども・子育て政策が選挙の争点になるんだろう?
私はキツネにつままれた気分。
「私は子育て政策にノーだ」なんて候補者がいるわけないのに。
誰も反論しない善や道徳をめぐって活発な議論が交わされるわけないのに。
カルトと接点のある議員たちは
子ども・子育て政策を公約として前面に打ち出すことで
自分の選挙マシーンをカモフラージュできるかもしれないのに。
しかしテレビのニュースを恨んではいけない。これが私たちの国の選挙の現実。
2020年の都知事選では「アスリートファースト」という善意の言葉が
コロナ五輪開催の是非を問う本質の議論を不可能にした。
福島第一原発の汚染水の海洋投棄は
「風評被害」という情緒的な言葉とセットで語られることで
論理的な反論を封じられ、ほぼ既成事実化されつつある。
国家が直面する政治課題を個人の道徳の問題にすり替えて
本質の議論をうやむやにするのが震災後のマスメディアの常套手段で、
今回の選挙でも、主要な報道機関がこぞって子ども・子育て政策
(いわばチルドレンファーストですね)を争点に設定したことで
カルトの選挙マシーンの「見える化」という政治課題がぼやけてしまった。
イエスかノーかで世論が割れるような
インパクトのある政治課題が選挙の争点に浮上することはない、というのが
私たちの国の選挙カルチャー。
旧統一教会にイエスかノーか、各候補者のスタンスが
報道を通じて明らかになり、それを参考に有権者の取捨選択が行われ、
カルト信者と政治家の蜜月に終止符が打たれ、政治空間が浄化され…
というような胸のすくストーリーが、今の日本の選挙で展開されることはない。
だから有権者の半分は投票を棄権する。
社会が直面する課題をめぐってガチンコの議論が行われない選挙、
候補者の名前の連呼だけが街中に響き渡る選挙では、
投票で未来が良くなるという実感は持てないから。
有権者の心に政治不信を植え付けるための選挙報道
と言ったら言い過ぎだろうか。
でもそれが選挙私たちの国の選挙の現実。
その現実を踏まえた上で、候補者が新しい選挙の手法を探ろうとするならば
その候補者にはマスメディア主導の選挙空間から抜け出して
別の選挙空間を立ち上げるための工夫が求められる。
停滞する現状を突破して、本気で世の中を良く変えたい候補者は
マスメディアが提供する既存の選挙カルチャーに安住しているだけでは足りなくて、
自らオリジナルな選挙カルチャーを生み出す者でなくてはならない。
そういうオリジナルな選挙カルチャーの先駆けとして
杉並区が「選挙(VOTE)マッチ」を実行しようとしていたことに、
選挙の新しいフェーズへの移行を感じて、私はとても励まされた。
(続きます)
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こんにちは。更新が遅くなりましたが、4月27日の続きです。
私が選挙に立候補した理由を要約するとこんな感じ。
自民党議員がカルトを選挙マシーンに使っていたことが明らかになった。
私たちの代表として選ばれたはずの議員が、実はカルトの支援を受けていて、
ビラ配りやポスター貼りを手伝わせるだけでなく、信者の票を振り分けてもらっていた。
当落線上の候補者はカルトのおかげで当選し、
カルトの利益を第一義として政治活動をしていた。
カルト議員が社会にもたらす弊害は
ジェンダー平等に関わる分野において特に顕著であり
妻は夫と同じ姓を名乗らなければ結婚を認められないとか、
皇族は男に生まれなければ皇位継承権を与えられないとか、
女性に不当なダメージを与える制度が常に改革の対象から外れてしまうのは、
改革を求める側が贅沢を言っているからでも、高望みをしているからでもなく、
女性の能力をもっぱら出産、家事、育児の枠内で管理したい自民党議員と
カルトの教義が結びついたことによるものだった。
2023年3月、宗教2世の救済にあたる弁護士たちが選挙に先立って
現職議員とカルトの接点の有無を明らかにするよう各政党や地方議会に求めた。
それと同じ文脈で、カルトの政治ハックが女性に与えた不利益回復のために、
自ら立候補して自民党の選挙マシーンの「見える化」を世に問う人間が
今この国に必要な気がする。
でも私の意気込みとは裏腹に、マスメディアが今回の選挙報道で行ったのは、
選挙マシーンの「見える化」ではなく、むしろ「曖昧化」だった。
たとえば三鷹市議選告示日の4月16日のNHKニュースの伝え方はこんな感じ。
統一地方選挙の後半戦では、人口減少が進む中、
子ども・子育て政策や地域経済の活性化など、暮らしに身近なテーマをめぐって
活発な論戦が交わされるものとみられます。
なんで?なんで子ども・子育て政策が選挙の争点になるんだろう?
私はキツネにつままれた気分。
「私は子育て政策にノーだ」なんて候補者がいるわけないのに。
誰も反論しない善や道徳をめぐって活発な議論が交わされるわけないのに。
カルトと接点のある議員たちは
子ども・子育て政策を公約として前面に打ち出すことで
自分の選挙マシーンをカモフラージュできるかもしれないのに。
しかしテレビのニュースを恨んではいけない。これが私たちの国の選挙の現実。
2020年の都知事選では「アスリートファースト」という善意の言葉が
コロナ五輪開催の是非を問う本質の議論を不可能にした。
福島第一原発の汚染水の海洋投棄は
「風評被害」という情緒的な言葉とセットで語られることで
論理的な反論を封じられ、ほぼ既成事実化されつつある。
国家が直面する政治課題を個人の道徳の問題にすり替えて
本質の議論をうやむやにするのが震災後のマスメディアの常套手段で、
今回の選挙でも、主要な報道機関がこぞって子ども・子育て政策
(いわばチルドレンファーストですね)を争点に設定したことで
カルトの選挙マシーンの「見える化」という政治課題がぼやけてしまった。
イエスかノーかで世論が割れるような
インパクトのある政治課題が選挙の争点に浮上することはない、というのが
私たちの国の選挙カルチャー。
旧統一教会にイエスかノーか、各候補者のスタンスが
報道を通じて明らかになり、それを参考に有権者の取捨選択が行われ、
カルト信者と政治家の蜜月に終止符が打たれ、政治空間が浄化され…
というような胸のすくストーリーが、今の日本の選挙で展開されることはない。
だから有権者の半分は投票を棄権する。
社会が直面する課題をめぐってガチンコの議論が行われない選挙、
候補者の名前の連呼だけが街中に響き渡る選挙では、
投票で未来が良くなるという実感は持てないから。
有権者の心に政治不信を植え付けるための選挙報道
と言ったら言い過ぎだろうか。
でもそれが選挙私たちの国の選挙の現実。
その現実を踏まえた上で、候補者が新しい選挙の手法を探ろうとするならば
その候補者にはマスメディア主導の選挙空間から抜け出して
別の選挙空間を立ち上げるための工夫が求められる。
停滞する現状を突破して、本気で世の中を良く変えたい候補者は
マスメディアが提供する既存の選挙カルチャーに安住しているだけでは足りなくて、
自らオリジナルな選挙カルチャーを生み出す者でなくてはならない。
そういうオリジナルな選挙カルチャーの先駆けとして
杉並区が「選挙(VOTE)マッチ」を実行しようとしていたことに、
選挙の新しいフェーズへの移行を感じて、私はとても励まされた。
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