老齢者の数を考えると統計の上からは勿論、路上で出会うのも女性が多い。だから、当然、お婆さんの行動が目立つのだろう。何時の頃からか知らないが、交通規則を護らないお婆さんが多くなった。二本の足で歩いていた頃の未来でも道路を、しかもバス通りを横切る時は必ずといってよいほど横断歩道を探したものだ。理由は簡単で自分の命が惜しいからだった。そんなくだらない事で大切な自分を傷つけたくないと思っていた。未来にはやらねばならない事が山積みされているのだからと思っていた。これは自分だけではない、世の中には気づかないだけで埋れた才能が沢山ある筈だと思っている。何処に埋まっているのかって? 甘えないで欲しい。自分で探すの! 人間一人ひとりが真剣に自分と向き合って探せば、自分の中に自分にだけピカッって光るものがある筈だ。折角、命という尊いものを貰っていながら磨かないなんて、そんな人は罪人と呼んでもいいのではないか。綺麗な宝石を磨く。深い美を持つ漆を磨く。自分を磨かない手はない。
留学時代の週末の習慣に銀磨きがあった。部屋中に妙な臭いが立ちこめて手は真っ黒になり、銀磨きは大変な仕事だった。だが、新しい月曜日が来ると食卓がピカピカの銀食器で輝いてくるのである。当然、食卓を囲む人間の表情も明るく、話も弾む事になる。漆塗師の姉の口癖は「漆のよしあしは塗りで決まるのではなく、大変な作業の磨きなの」であるが、大きく頷ける。
横道に深く入り込まない内に横断歩道の話に戻そう。
車椅子生活になってからは無論、未来は横断歩道をそれも必ず信号つきのを使用するようにしている。理由は車を運転している人が可哀想だからだ。自分の不注意が他人のかけがえのない宝を奪うなどもっての外だと思う。横断歩道に関してはちょっと気になる事がある。これはお婆さんだけに限った話ではない。ついつい横道の話が好きな未来は立ち止まってしまうが、ここはちょっと黄信号だと思って我慢して貰おう。
残念ながら、障害者センターの送迎バスでの経験である。後方のドアから車椅子ごと降ろされた未来は介助人に後のハンドルで操作され、いきなり思わぬ方向に連れて行かれそうになったのである。ほんの少し雨が落ち始めていた。未来は仰天して声高に言った。
「何処へ行くの?」
介助人はドキッとしたらしく、慌てて車椅子を押すのを止めた。
「何するの。何処へ行くの」
ほんの僅か前方にいつも未来が使う横断歩道がある。介助人は自分が押して急いで道路を渡れば雨に濡れないと考えたらしい。とんでもない。濡れたって砂糖菓子の未来じゃあるまいし融けるわけはない。いつものように車椅子を横断歩道の方に向けて貰い、手を振って別れた。後日、センターとバス会社から謝罪があったのは当然である。だが、僅か数ヶ月で、送迎バスは再び未来を立腹させたのである。別の運転手に別の介助人が未来を送ってきた。その時は未来の他にもう一人障害者が降りる事になっていた。迎えに出ていた母親が、おやおや、事もあろうにバス通りを斜めに渡って来たではないか。介助人が車椅子を押し、母親がすぐ脇を小走りに歩いた。しかも再び車道をだ。二人は車道と歩道の高い段差を前に車椅子を持ち上げた。何という事だ! 未来は注意する事も出来ず、ただただ腹が立って仕方なかった。二人は頭を何度も下げていた。恐らく、自分達の間だけの礼を述べていたのだろう。やがて介助人だけが又々道路を斜めに渡ってきた。
「お待たせしました」
彼は悪びれた様子もなく、未来の車椅子に手をかけた。
「ちょっと待って! 貴方、どうして横断歩道まで行かなかったの。言語道断だわ」
「すみません」
「当たり前よ。貴方、こういう仕事のプロでしょ。後ろ指刺されるような行動は止めなさいよ」
未来の声に彼はシュンとなった。
「数ヶ月前に似たような事があったのよ。あっちからもこっちからも謝罪の言葉を貰ったけど、どうかしているわ」
バス会社からの謝罪の言葉は何だったの? とりあえず謝っておこうという事だったの?
未来はもうバス会社にもセンターにも忠告をする気にはなれなかった。
毎年、四月になると可愛い片手が横断歩道であちこちに挙がる。あの風景はあの一ヶ月間だけなのか? だったらあんな行事みたいな事は止めて欲しい。だったら横断歩道に頼らず、どんな時も何処ででも右見て左見て自分の確かな判断を身に付ける練習でもさせたらいいのに。子供は大丈夫、いい事でも悪い事でもすぐ習慣になるんだから。それに信号無視の車だってあるんだから。「みんなで渡れば怖くない」なんて誰が言ったの? みんな信用できるの? 確かな自分を信用して渡れば一人だって混雑した道路だって怖くないと教える方がよっぽどましだと考えるのは未来だけだろうか。
かつて豪州で豊かな牧草を求めて引越しする羊の群れに出くわして、移動が終わるまでのそりのそりと車を動かして思わぬ渋滞のど真ん中に入った事があったっけ。渋滞? 車の渋滞? いいえ、羊の渋滞! 一茶の俳句に「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」というのがあるが、か弱き小さなものは自分の身を護るべきだろうし、余裕のある人間は護ってあげるべきなのである。
お婆さんの話題に戻ろう。
お婆さんには自分は大丈夫だという妙な自信があるのだろうか。その上、妙に他人の事が気になるのだろうか。やはり、高齢になったら、ご自分の事だけ気くばりしてくれればいいのに、とつくづく思ってしまう。今まで挨拶もした事のないような人ににっこり笑われて「大丈夫ですか?」なんて聞かれて妙に変な気持ちになるのは未来だけではないらしい。そんな老婆にはしばしば優越感のようなものが潜んでいる事があるようだ。もっと以前から会う度に会釈でもしていた仲ならねえ・・・決して、障害者たる未来は僻みで言っているのではない。そんな批判を買うお婆さんの中には障害者のレッテルを堂々と貼って外出している未来のほうがずっと確かに思えるような明らかに危なっかしい人もいるのである。
未来が海外で出会ったお婆さんに好意を持つきっかけを語ってみよう。十代の頃から海外生活を始めた未来には嬉しい出逢いがある。六十年代の海外生活は未だ未だ珍しく、未来は自分の留学時代には日本人に一人も会わなかった。そんな時代に日本娘が好意を持ったお婆さんとはどんな人だろう?
かの地では道ですれ違うお婆さんの殆どが挨拶代わりの笑顔を未来にくれたのである。目が合えば必ず笑顔のお返しがあった。お節介なヘルプは全くなく、スマイルだけがあった。未来は感激した。嬉しかった。それは留学先の豪州が好きになった一番大きな理由である。留学中、ホームシックにもならず学生生活を満喫する事ができた最大の理由である。
こんな微笑ましくも可笑しな話がある。未来がメルボルン市内の電車に乗っていた時の事である。留学生同士で街に出かけた時の事だった。日本娘の相棒は香港からの留学生で、二人はボックスシートに並んで座っていた。突然、彼が漢字で何やら紙に書いて未来に見せた。未来は無言でこれまた漢字で答えた。彼が、未来が、彼が、未来が、若い二人は面白くなりだし、ゲームのように続け、目的地まで退屈せずに時間を過ごした。やがて二人がゲームを止めて降りる用意をし出すと目の前に二人のお婆さんの笑顔があった。お婆さん達は二人の漢字のやり取りを黙って嬉しそうに見ていたらしい。
「降りる?」
「ああ、終点だから焦らなくていいよ」
若い二人の英語の会話に「オー!」と驚いた二人のお婆さんは口を揃えて言った。
「口が不自由でお互いに書いているのかと思ったわ。どうして?」
「僕はホンコン・チャイニーズで彼女はジャパニーズ。漢字は同じ様でも発音は全く違うし、意味も漢字自身も違う事もあるんです」
「そうなの、共通語は英語っていうわけね」
別れ際に二人のお婆さんは若い二人に言った。
「ありがとう。愉しかったわ」
日本でもあんなお婆さんに会いたい会いたいと思っている内に未来自身がお婆さんの年齢に近づいてしまったというわけである。
留学時代の週末の習慣に銀磨きがあった。部屋中に妙な臭いが立ちこめて手は真っ黒になり、銀磨きは大変な仕事だった。だが、新しい月曜日が来ると食卓がピカピカの銀食器で輝いてくるのである。当然、食卓を囲む人間の表情も明るく、話も弾む事になる。漆塗師の姉の口癖は「漆のよしあしは塗りで決まるのではなく、大変な作業の磨きなの」であるが、大きく頷ける。
横道に深く入り込まない内に横断歩道の話に戻そう。
車椅子生活になってからは無論、未来は横断歩道をそれも必ず信号つきのを使用するようにしている。理由は車を運転している人が可哀想だからだ。自分の不注意が他人のかけがえのない宝を奪うなどもっての外だと思う。横断歩道に関してはちょっと気になる事がある。これはお婆さんだけに限った話ではない。ついつい横道の話が好きな未来は立ち止まってしまうが、ここはちょっと黄信号だと思って我慢して貰おう。
残念ながら、障害者センターの送迎バスでの経験である。後方のドアから車椅子ごと降ろされた未来は介助人に後のハンドルで操作され、いきなり思わぬ方向に連れて行かれそうになったのである。ほんの少し雨が落ち始めていた。未来は仰天して声高に言った。
「何処へ行くの?」
介助人はドキッとしたらしく、慌てて車椅子を押すのを止めた。
「何するの。何処へ行くの」
ほんの僅か前方にいつも未来が使う横断歩道がある。介助人は自分が押して急いで道路を渡れば雨に濡れないと考えたらしい。とんでもない。濡れたって砂糖菓子の未来じゃあるまいし融けるわけはない。いつものように車椅子を横断歩道の方に向けて貰い、手を振って別れた。後日、センターとバス会社から謝罪があったのは当然である。だが、僅か数ヶ月で、送迎バスは再び未来を立腹させたのである。別の運転手に別の介助人が未来を送ってきた。その時は未来の他にもう一人障害者が降りる事になっていた。迎えに出ていた母親が、おやおや、事もあろうにバス通りを斜めに渡って来たではないか。介助人が車椅子を押し、母親がすぐ脇を小走りに歩いた。しかも再び車道をだ。二人は車道と歩道の高い段差を前に車椅子を持ち上げた。何という事だ! 未来は注意する事も出来ず、ただただ腹が立って仕方なかった。二人は頭を何度も下げていた。恐らく、自分達の間だけの礼を述べていたのだろう。やがて介助人だけが又々道路を斜めに渡ってきた。
「お待たせしました」
彼は悪びれた様子もなく、未来の車椅子に手をかけた。
「ちょっと待って! 貴方、どうして横断歩道まで行かなかったの。言語道断だわ」
「すみません」
「当たり前よ。貴方、こういう仕事のプロでしょ。後ろ指刺されるような行動は止めなさいよ」
未来の声に彼はシュンとなった。
「数ヶ月前に似たような事があったのよ。あっちからもこっちからも謝罪の言葉を貰ったけど、どうかしているわ」
バス会社からの謝罪の言葉は何だったの? とりあえず謝っておこうという事だったの?
未来はもうバス会社にもセンターにも忠告をする気にはなれなかった。
毎年、四月になると可愛い片手が横断歩道であちこちに挙がる。あの風景はあの一ヶ月間だけなのか? だったらあんな行事みたいな事は止めて欲しい。だったら横断歩道に頼らず、どんな時も何処ででも右見て左見て自分の確かな判断を身に付ける練習でもさせたらいいのに。子供は大丈夫、いい事でも悪い事でもすぐ習慣になるんだから。それに信号無視の車だってあるんだから。「みんなで渡れば怖くない」なんて誰が言ったの? みんな信用できるの? 確かな自分を信用して渡れば一人だって混雑した道路だって怖くないと教える方がよっぽどましだと考えるのは未来だけだろうか。
かつて豪州で豊かな牧草を求めて引越しする羊の群れに出くわして、移動が終わるまでのそりのそりと車を動かして思わぬ渋滞のど真ん中に入った事があったっけ。渋滞? 車の渋滞? いいえ、羊の渋滞! 一茶の俳句に「雀の子そこのけそこのけお馬が通る」というのがあるが、か弱き小さなものは自分の身を護るべきだろうし、余裕のある人間は護ってあげるべきなのである。
お婆さんの話題に戻ろう。
お婆さんには自分は大丈夫だという妙な自信があるのだろうか。その上、妙に他人の事が気になるのだろうか。やはり、高齢になったら、ご自分の事だけ気くばりしてくれればいいのに、とつくづく思ってしまう。今まで挨拶もした事のないような人ににっこり笑われて「大丈夫ですか?」なんて聞かれて妙に変な気持ちになるのは未来だけではないらしい。そんな老婆にはしばしば優越感のようなものが潜んでいる事があるようだ。もっと以前から会う度に会釈でもしていた仲ならねえ・・・決して、障害者たる未来は僻みで言っているのではない。そんな批判を買うお婆さんの中には障害者のレッテルを堂々と貼って外出している未来のほうがずっと確かに思えるような明らかに危なっかしい人もいるのである。
未来が海外で出会ったお婆さんに好意を持つきっかけを語ってみよう。十代の頃から海外生活を始めた未来には嬉しい出逢いがある。六十年代の海外生活は未だ未だ珍しく、未来は自分の留学時代には日本人に一人も会わなかった。そんな時代に日本娘が好意を持ったお婆さんとはどんな人だろう?
かの地では道ですれ違うお婆さんの殆どが挨拶代わりの笑顔を未来にくれたのである。目が合えば必ず笑顔のお返しがあった。お節介なヘルプは全くなく、スマイルだけがあった。未来は感激した。嬉しかった。それは留学先の豪州が好きになった一番大きな理由である。留学中、ホームシックにもならず学生生活を満喫する事ができた最大の理由である。
こんな微笑ましくも可笑しな話がある。未来がメルボルン市内の電車に乗っていた時の事である。留学生同士で街に出かけた時の事だった。日本娘の相棒は香港からの留学生で、二人はボックスシートに並んで座っていた。突然、彼が漢字で何やら紙に書いて未来に見せた。未来は無言でこれまた漢字で答えた。彼が、未来が、彼が、未来が、若い二人は面白くなりだし、ゲームのように続け、目的地まで退屈せずに時間を過ごした。やがて二人がゲームを止めて降りる用意をし出すと目の前に二人のお婆さんの笑顔があった。お婆さん達は二人の漢字のやり取りを黙って嬉しそうに見ていたらしい。
「降りる?」
「ああ、終点だから焦らなくていいよ」
若い二人の英語の会話に「オー!」と驚いた二人のお婆さんは口を揃えて言った。
「口が不自由でお互いに書いているのかと思ったわ。どうして?」
「僕はホンコン・チャイニーズで彼女はジャパニーズ。漢字は同じ様でも発音は全く違うし、意味も漢字自身も違う事もあるんです」
「そうなの、共通語は英語っていうわけね」
別れ際に二人のお婆さんは若い二人に言った。
「ありがとう。愉しかったわ」
日本でもあんなお婆さんに会いたい会いたいと思っている内に未来自身がお婆さんの年齢に近づいてしまったというわけである。